末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

風沢そらと『郷愁のモロッコ』

アイカツ!61話の魅力に取りつかれて以来、風沢そらをより深く理解するために、モロッコに関する情報を集めたり、書籍を読みふけったりしていたのですが、その中に、これは!風沢そら!と思うような小説がありましたので、この記事で紹介したいと思います。

その小説とは、エスタ・フロイド著の『郷愁のモロッコ』です。

郷愁のモロッコ

郷愁のモロッコ

 

私がこの本を知ったのは、マラケシュを舞台とする『グッバイ・モロッコ』なる映画があるらしいということからでした。調べてみると原作は小説であり邦訳もあるとのことで、それが『郷愁のモロッコ』だったのですが、より詳しい情報を求め河出書房新社のサイトへ行ってみますと、そこにはこんな惹句が。

『1960年代中頃のロンドンから、自由を求めてマラケシュへ旅立つヒッピーの母親と二人の娘。魔法の地モロッコでの不思議な体験を5歳の娘の目を通して描く。映画「グッバイ・モロッコ」原作。』

自由。マラケシュ。旅。ヒッピー。母親と娘。魔法。これはどう考えてもアイカツ61話なのでは?と思い、さっそく最寄りの図書館で借りて折り返しの著者紹介に目を通してみますと、そこに書かれている情報に胸を撃ちぬかれました。

 

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Esther Freud

1963年ロンドン生れ。4歳の時ヒッピーだった母につれられて姉とともにモロッコを2年間放浪。その時の体験が本書の素材となっている。各地を転々としたのち16歳の時にロンドンにもどって俳優の訓練をうけ、 現在は俳優、脚本家としても活躍している。本書は作家としてのデビュー作。出版と同時にベストセラーとなり、異例の反響を呼んだ。1998年に映画化。ちなみに著者の曽祖父はジークムント・フロイト、父は画家のルシアン・フロイド、そして姉は有名なファッション・デザイナー。

(折り返し部分)

自由。マラケシュ。旅。ヒッピー。母親と娘。魔法。ファッション・デザイナー(New!)。

 

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マラケシュを訪れた少女が後にファッションデザイナーになる、というのは完全にアイカツ61話です。さらに言えばエスタ自身も俳優の訓練を受け、俳優としての仕事もしている、という点も、風沢そらがファッションデザイナーと舞台に立つアイドルとの両方の仕事をしていることとの重なりをみることができて、非常に面白いところです。

この「有名なファッション・デザイナー」である姉とはBella Freud(ベラ・フロイド)のことです。彼女のbiographyについては日本語でまとまっているところがなさそうだったので、WikipediaのBella Freudの項とベラのHPのBIOGRAPHYFashion Model DirectoryのBella-Freudの項の情報を以下にまとめてみました。

61年ロンドン生まれ。77年、ベラが16歳の時にヴィヴィアン・ウエストウッドから『Seditionaries』(現在の『World's End shop』)というショップに職を与えられて働き始めるが、ファッションの勉強を望んで店を去る。イタリアの『Accademia di Costume e di Moda』で3年間学びながら、同時に現地で仕立ての仕事と靴のデザインに取り組む。その後ヴィヴィアンの下に戻り、彼女のデザインスタジオで4年間アシスタントとして働き、技術を完成させる。90年に自身のブランドを立ち上げ、91年にはBritish Fashion AwardsのセレモニーでYoung Innovative Fashion Designer of the Yearとして選ばれるなど活躍し、今に至る。

彼女のブランドについては、ちょっと変わっている、俗っぽい要素の配置されたカラフルなニットで知られている。

そのニットは氏のHPで見られます。

http://www.bellafreud.com/shop/women/

この姉とともに母に連れられ、妹のエスタがモロッコを放浪した2年間の経験をもとに書いた自伝的小説が『郷愁のモロッコ』です。

さて、小説の中身へと話を移しましょう。正直なところ、小説本文からはこの著者紹介を越えるだけのアイカツインパクトは受けなかったというのが正直なところですが、小説は小説で面白かったので、しっかりレビューしていきたいと思います。

 

 

■あらすじ

物語の語り手は、幼い少女であるルーシー。

時代は1960年代。若い母親・ジュリアと二人の娘(姉のビーと妹のルーシー)はロンドンを発ち、モロッコマラケシュへと向かう。ジュリアはイギリスの退屈なしきたりに愛想を尽かして旅に出たのだった。三人はマラケシュの安ホテルに宿をとり、手縫いの人形を売ったり、ロンドンに住む夫からのささやかな送金をあてにしたりして生計を立てる。

そんなある日、ジュリアはマラケシュの広場で魔術師の弟子であるビラルと出会う。ジュリアとビラルは次第に親密になり、二人の娘も父代わりに彼と親しむようになる。

ジュリアは旅の目的の一つであったスーフィズムイスラム神秘主義)を探求したがるが、娘たちは反発する。イギリスでの生活を取り戻したい姉のビーは、学校へ行きたいと訴える。しかしジュリアは、ビーをマラケシュで知り合ったばかりのイギリス人家族のもとへ預け、ルーシーだけをつれて隣国アルジェリアにいる高僧のもとへ旅立つ。

アルジェリアにて修行に入ったジュリアだったが、次第にマラケシュに残していったビーのことが気になり始める。マラケシュへと戻ると、ビーを預かったイギリス人家族はどこかへ消えている。ほうぼう探しまわり、施設へと預けられていたビーを見つけ出す。その施設の長は、ジュリアの苦手な、ジュリアの母そっくりのイギリス式の堅物な女性であった。ジュリアはこの女性と大喧嘩をしたのち、ビーを引き取る。

ビラルとも再会し、再びマラケシュでの生活が始まるが、生活費も底を尽き、ビーの体調もすぐれないことから、ジュリアはロンドンへ戻ることを決断する。乞食をしてお金を集め、マラケシュを去る列車に乗る。共に過ごしてきたビラルはついに駅に現れない。列車に揺られながらルーシーが思うことは、母が途中の駅でふらりと降りてしまわないかということだった。

自由を求めて旅立ったが、ついにはその自由への希求を諦め母国イギリスへと帰っていく母の挫折と、それに振り回される娘たちの困惑が描かれる物語でした。母の放浪の根源的な動機が堅物の祖母への反発に由来し、またその放浪の終焉が娘の病気によって齎されるという、祖母-母-娘の逃れ難い結びつきが物語のひとつの主軸であるように感じました。娘それぞれについても、母とくっついて旅した妹・ルーシーは無事であったが、母と離れた姉・ビーは病気に罹ってしまうという対比があり、ここからは、母と結びついて生きていかざるを得ない娘に関する観念が表されているように思えます。

このようにまとめてみると暗い話のように思えますが、実際の読後感は軽やかなものでした。それは、語り手の少女・ルーシーの認識がとても楽観に満ちたものであることが、大いに影響しています。

母の気分次第で明日がどうなるかわからない異国での暮らしは、娘にとっては不安で厳しいもののように思えるのですが、このルーシーは日々の生活に楽しみを見つけ、姉と可笑しな囃しことばを叫びながら、軽く過ごしていきます。幼い少女ゆえの楽観が物語に不思議なテイストを与えていて、シビアなはずの話であっても、するりと読めるところがありました。

この小説は98年にイギリスで映画化され、主役のヒッピーの母親役を『タイタニック』でおなじみのケイト・ウィンスレットが演じました。邦題は『グッバイ・モロッコ』。日本では99年に公開されました。

映画につきましては、こちらのブログ・『Audio-visual trivia』さまの『グッバイ・モロッコ』のレビュー記事(http://www.audio-visual-trivia.com/2006/07/hideous_kinky.html) が大変詳しく参考になります。

60年代末から70年代初頭にかけてのマラケシュはヒッピーの聖地のひとつであり、多くのヒッピーが集う都市だったそうなのですが、その時代の風俗をうまくとらえた映画となっているようです。

アイカツの方へ話を移しますが、この『郷愁のモロッコ』で描かれている、マラケシュという土地とヒッピーカルチャーとの深い結びつきこそが、風沢そらが「ボヘミアン」であるミミと出会ったのがマラケシュであった理由のひとつであると考えられます。

ヒッピーとボヘミアンは指し示す意味にずれがありますが、そらの言う「自由な生活をする人」という意味に限れば、ボヘミアンはヒッピーを包含する概念として捉えることができます。また『kira・pata・shining』のステージでそらが身に着けていた、自身でデザインしたアクセサリーが「オリエンタルリブラヒッピーバンド」であったことからも、アイカツにおいてボヘミアンとヒッピーの語の間にある程度の互換性があたえられているとみることが可能です。

『郷愁のモロッコ』は、マラケシュとヒッピーカルチャーの強い結びつきを、実際に現地で体験した人が書いた作品であり、風沢そらとマラケシュとヒッピーについて考えを深めたい人にはぜひおすすめしたい作品です。

いちそら学序論Ⅱ アイカツ!67話 蘭とそらの迷いとコンパス

このテキストは以前にアップした「いちそら学序論Ⅰ」の続きです。

前回同様、アイカツのエピソードをいちごとそらの関係性を中心に読みこんでいくものです。

前回取り上げた62話、クリスマス回は明確にそらといちごを中心とした物語でありましたが、今回取り上げる67話「フォーチュンコンパス☆」は、迷える蘭がエピソードの中心人物です。この蘭の迷いに対して、そらといちごはそれぞれどのように関与したのか、というのがこの論の論点のひとつです。

そしてこの論のもうひとつの論点は、蘭が迷子になった山中において、そらもまた迷子であった、というところにあります。蘭の迷子は、恵方巻きの具をどうするべきかについての迷いと一体のものでした。であるならば、そらの迷子もまた単純な迷子ではなく、何かしらの迷いや葛藤の現れだと解釈することが出来ます。であれば、この時のそらの迷いとは、いったい何に対しての、どのような迷いなのでしょうか?

 

まず一つめの論点について論じるために、62話における蘭のストーリーを追っていきましょう。

 

■あらすじ-蘭を中心とした

蘭は「料理の材料は必ず体にいいものを」という祖母の心得を守りながら料理を作っており、『Yeah!Hoo!!巻き』のオーディションへ向けての特訓でも、体によい具ばかりを用いた恵方巻きを作っていました。

しかし、『スイーツアイドル大集合!』という手作りお菓子を振る舞うイベントにおいて、自身の作った体によい具を用いたクッキーが客を満足させられていないことを認識し、再び恵方巻きの特訓に挑みます。そこでは彩りを重視した普通の具の恵方巻きを作った蘭でしたが、蘭の中の迷いは消えず、テレビ番組のロケでいちごとあおいとともに訪ねた山の中で、蘭は迷子になってしまいます。そこで、蘭は同様に迷子となったそらと出会います。

お腹を空かせた蘭に、そらは山の幸のみを具とする恵方巻きを作り食べさせようとします。蘭は斬新な具に当惑しますが、そらの言葉に説得され、その恵方巻きを口にし、おいしいと感想を語ります。そのうちに、二人は恵方の方角へと蘭を探して走ってきたいちごに見つけられます。

オーディション当日、恵方巻き作りに不安を抱く蘭に対して、いちごは「本当の蘭が一番おいしい!」と応援の言葉をかけます。蘭は祖母が「味も大事。見た目も大事。でも一番大切なのは、どんな想いを込めるか、どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」と語っていたことを思い出し、自分の祖母への想いを込め、体によい恵方巻きを作ります。結局、この恵方巻きは審査員を感動させ、蘭と、同じくオーディションに出ていたそらが合格し、ふたりは『Yeah!Hoo!!巻き』のキャンペーンガールとなりました。

 

■蘭の迷いとコンパス

67話では蘭の迷いとその解消が中心に描かれているわけですが、ここでタイトルを見てみますと、67話のタイトルは「フォーチュンコンパス☆」です。67話のテーマである『迷い』とタイトルの『コンパス』という取り合わせから見えてくるのは、迷える人がコンパスを頼りに歩むことによって迷いから脱する、というイメージです。そして67話においてその役割を果たすものとは、恵方巻きです。

コンパスとは南北を向く磁針から方角を知るものですが、コンパスの持つこの『特定の方角を向く』という性質が、恵方巻きの『恵方を向いて食べるもの』という性質と重ねられているわけです。

蘭に「自分を貫くしかない」ことを伝えたそらの恵方巻きや、恵方巻きの風習に感化されて今年の恵方へ向けて走ったいちごによって、蘭は迷いから解放されたのであり、迷いを恵方巻きというコンパスを助けに乗り越えるのが、67話における蘭の物語であるといえます。

 

 

■そらといちごの共通点

つまりこの67話においては、そらといちごが蘭を助ける人としてセットで描かれているわけなのですが、くわえて指摘しておきたいのが、そらが山中で蘭に語った「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」という台詞が、いちごが蘭の恵方巻きの特訓中に語ったことと同じ内容である点です。いちごの台詞は以下の通り。

「やり方は人それぞれで絶対なんてない。だから料理は面白いんだよ」

「ねえ!恵方巻きの中身選びって、カードをコーデするのに似てるね」

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そらといちごの間に見られる、料理をコーディネートにたとえるこのシンクロは非常に興味深いポイントです。そらはいちごのたとえ話を知る由がないわけですから、このシンクロは、いちごとそらの間に深いつながりが存在することの証左と捉えることができます。

ふたりのシンクロといえば、62話「アイドルはサンタクロース!」にも、等身大いちご人形の不足というトラブルを解決するそらのアイデアを、いちごはそのそらの言葉を聞くことなしに理解する、という表現がありました。それが可能だった理由について、前回の論では、そらがいちごのアイカツを深く理解し、またいちごもそらの深い理解を認識していたからだと論じました。

そして67話のこの『料理をコーディネートにたとえる』というシンクロは、62話の『キラメキドレスケーキ』に由縁があると考えられます。『キラメキドレスケーキ』とはケーキをドレスに見立てたものであって、そのケーキを共に作り上げたそらといちごが、恵方巻きをコーデにたとえるという発想を共有しているのは必然ともいえることなのではないでしょうか。

そらがいちごを深く理解していることから生まれたドレスケーキ、そしてそれをふたりが作り上げたことから生じた『恵方巻きの具選び=コーデ』というシンクロ。ここから、そらが蘭を前に語った言葉の内に、いちごへの想いが交じっていたのではないか、と考えられます。それがそらの『迷い』とも関連しているはずだーーということについて、後半で論じていきます。

 

■蘭の恵方巻き-具について

と、その前に、67話のキーアイテムである恵方巻きについて細かく取り上げたいと思います。まずは蘭の恵方巻きの具の変遷を見ていきましょう。

蘭が一度目の特訓の際に選んだ恵方巻きの具は、わかめ、ひじき、じゃこ、めかぶの4種でした。どれも海の幸であり、山での迷子の際にそらが蘭に食べさせた「山の幸だけで作った」恵方巻きと対をなしています。

その後蘭がYeah! Hoo!! 巻きオーディションの際に作った恵方巻きの具は、わかめ、めかぶ、ひじき、ゴマ、ごぼう、大豆と、海の幸と山の幸の混合となっていました。ここに、蘭がそらの恵方巻きから受けた影響の大きさを見て取ることができます。蘭がそらの恵方巻きを指針としている、ということを示すものともいえるでしょう。

 

■蘭の恵方巻き-食べた人の反応

次に、蘭の恵方巻きを食べた人の感想やリアクションについて見ていきます。

一度目の特訓で作った恵方巻きは、食べたらいちをがっかりさせる出来でした。

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二度目の特訓での恵方巻きは、彩りを重視した無難な具選びで、いちごにおいしいと言わせるには至りましたが、オーディション直前にいちごが「迷うことなんてないよ。本当の蘭が一番おいしい!」ということから、いちごはこの恵方巻きは「本当の蘭」ではないと感じていたことがわかります。

そして、オーディションの時の恵方巻きは、最初のらいちが食べたものと同じコンセプト、同じ系統の具選びでありながらも、審査員たちを感動させることができました。

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体によい具材というコンセプトが変わっていないにもかかわらず、食べたらいちと審査員との間には大きなリアクションの差が生まれています。この理由は、回想で蘭の祖母が語る「味も大事。見た目も大事。でも一番大切なのは、どんな想いをこめるか。どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」という台詞によって説明されています。オーディション本番で作った恵方巻きには、蘭の祖母への想いがこめられており、それが調味料となり、食べた審査員を感動させるに至ったのでしょう。

蘭の料理が、体にいいものでつくるという祖母の心得をうわべだけなぞったものから、真に想いがこめられたものになったこと。この変化が、蘭の作った3本の恵方巻きへのリアクションの変化によって表現されているわけです。

 

■もう一人の迷子、そらの迷い

さて、ここからはそらの『迷い』について考えていきます。前述のとおり、蘭の迷子が心の迷いとリンクしていたのと同様に、山で迷子となるそらにも、何かしらの心の迷いがあったものと推測されますが、このそらの迷いとはどのようなものだったのでしょうか。

そらは山へ行くより前に、ドリームアカデミーにて恵方巻きを作っています。

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この恵方巻きに対し、セイラは「あたし、こんな恵方巻き見たことない」と言いますが、この恵方巻きを食べたきいには「おお~!おいしい!これならオーディション、オケオケオッケーかも」と大好評でした。

しかしそらは、きいに太鼓判を押されるほどの恵方巻きをすでに作り上げているにもかかわらず、恵方巻きのひらめきを求めて山へと向かい、そこで迷子となります。なぜ、そらはこのフルーツの恵方巻きがあるにもかかわらず、山へと向かったのでしょうか?その動機こそが、そらの『迷い』にほかならないと考えられます。

 

■そらの恵方巻き・蘭のクッキー・いちごとスイーツ

このフルーツの恵方巻きに注視してみましょう。恵方巻きにミスマッチな苺などの果物やクリームといったスイーツの具材が用いられているのが特徴的ですが、この特徴は、蘭が『スイーツアイドル大集合!』のイベントに向けて作ったクッキーと好対照をなしています。

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甘いはずのクッキーにスイーツらしからぬ具材(わかめ、ひじき、じゃこ)を入れた蘭のクッキーと、甘くないはずの恵方巻きにスイーツのような具材を入れたそらの恵方巻き。これらはどちらも料理のカテゴリと具材がミスマッチである、という点が共通しているのですが、それを食べた人のリアクションもまた対照的です。

恵方巻きを食べたきいは満足げなのに対し、クッキーを食べたいちごは不満足そうな顔を見せます。

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具材とカテゴリがミスマッチなふたつの料理に生じた反応の違いは、一体何を示しているのでしょうか?

まず一つは、『想い』の差が考えられます。一番の調味料である、「どんな想いをこめるか、どんな気持ちで作るか」というところで、そらと蘭とで差がついているということです。そらの恵方巻きにはしっかりと想いがこめられていたために、きいを軽く感動させることができたのに対し、蘭のクッキーには想いがこめられていなかった、という差が浮き彫りになっていると考えられます。

そしてもう一つは、蘭のクッキーが甘くなかったことに対する示唆です。そもそもいちごは甘いお菓子が好物であり、蘭もそれをよく知っているはずでした。たとえば50話で、あおいが注文したお祝いパフェを自分が食べる前にあおいと蘭に食べさせたときに、あおいも蘭も、このパフェの甘さがいちご好みであると語っています。

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そしてこの67話では、蘭は「たとえば今日のいちごは、昨日お腹いっぱいになるまで食べたパフェでできてるんだぞ」と語り、いちごの好物が甘いスイーツであることを改めて示しています。

いちごが蘭のクッキーを食べて疑問を抱くような表情を見せるのは、このクッキーがいちごの期待から外れた、甘くないお菓子であったことを示すものと思われます。

 

さて、いちごを満足させられなかった蘭のクッキーと対になっている風沢そらの恵方巻きは、クリームとフルーツの具材から察するに、おそらくは甘いものであると思われます。そして、食べたきいを感動させていたことから、蘭のクッキーとは違い、この恵方巻きにはきちんと「想い」がこめられていたと考えられます。

想いをこめ、甘く作られた恵方巻き。そしてその中央に位置する具材が『苺』であること。これらのことから類推するに、そらのこの恵方巻きにこめられた想いとは、いちごへの想いであったのではないでしょうか。

前回の記事で62話の合同クリスマスパーティー・巨大クリスマスケーキの企画は、そらからいちごへの強い想いから始まったものであることを指摘しました。この恵方巻きもまたいちごへの想いがこめられたものであるならば、フルーツの恵方巻きをうち捨てて山へ向かうというそらの『迷い』は、いちごへの想いを持ち続けることに対する迷いを意味するでしょう。

 

■そらの迷いの出発点、福女レース

いちごへの想いについての迷い。この迷いがそらに生じた理由とは何でしょうか?

これについては、64話「ラッキーアイドル☆」のこのシーンに尽きると思います。

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「新春 福女ラッキーアイドルレース」で優勝し、星座プレミアムドレスお仕立て券を受け取るいちごにへとスターライト、ドリアカ各校の生徒が拍手を送るなか、そらだけが後ろ手に立ちすくんでいます。レースでいちごに負けたアイドルたちさえもいちごを讃える拍手を送っているのに、レースに参加すらしていないそらが拍手を送っていないのはどこか奇妙です。ここから、このときのそらの心理状態が非常に穏やかでない、複雑な状態であったことが伺えます。

64話においてそらは、アイドルとしてではなく、デザイナーとして福女レースに関わることを選びました。

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そらは「これでも私なりのアイカツに燃えてるの」と語り、きいやセイラが走りこみの特訓を行うそばで、新作の星座プレミアムドレスのデザインを熱心に描いていました。そらはレースに優勝したアイドルにデザイナーとして選ばれることを熱望し、走る代わりにデザインで福女レースと真剣に向き合っていたわけです。

そこから考えれば、いちごが星座プレミアムドレスお仕立て券を受け取った時の、そらの拍手をしないという反応からは、自身がデザイナーとして選ばれなかったことへの強い落胆を読みだすことができます。

62話「アイドルはサンタクロース!」において、そらはいちごへの強い想いから、天羽あすかにあすかがデザインしたキラメキドレスケーキを自身の手で大きくデザインし直す許可をもらい、デザイナーとしていちごにドレスのようなケーキを着せる、という体験をしていました。そらはこの成功の体験から、いちごにデザイナーとして選ばれることへの期待をふくらませていたと考えられます。

しかしその期待は、お仕立て券を使うデザイナーとして、いちごが天羽あすかを選んだことによって破られます。いちごに選ばれなかったというショックから、そらはいちごに拍手することもできず、ただ立ち尽くすことしかできなかったのではないでしょうか。

 

■そらを導くフォーチュンコンパス

つまり、そらはいちごへの想いから苺を含むフルーツの恵方巻きを作るが、いちごから選ばれなかったことから、その想いを持ち続けるべきかを迷うーーというのが、そらの『迷い』であったということです。そしてそらは、新たなる恵方巻きのひらめきを求めて向かった山で迷いながら、同じく道に迷える蘭と出会います。

蘭の迷いとは、祖母への想いを捨てるべきかについての迷いであったわけですが、これはそらの迷いと重なるものでもあったわけです。

 

そらはお腹を鳴らす蘭に、山の幸だけで作った恵方巻きを渡します。この恵方巻きについて、蘭はそらに「ええっ、これオーディションに出そうと思ってる恵方巻き?」と尋ねますが、ここでそらは肯定も否定もせず、ただ「召し上がれ」と恵方巻きを蘭に差し出します。

この恵方巻きを受け取った蘭は、「こんなの今まで見たこと……」と戸惑いますが、その蘭の言葉を遮ってそらは「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」と語ります。

 

自分が信じるコーデを貫くしかない。これは蘭のみが迷っているのでならば、そらが蘭を諭す台詞として解釈されますが、ここではそらもまた迷える存在であることから、この台詞は自分自身に対しても言い聞かせるような台詞であるものと解釈できます。そもそも蘭がどのような迷いを抱いているのか、そらには知る由もないわけですから、蘭に対して諭すような話をし始めるというのは不自然です。

であればこの台詞は、迷えるそらが同じように迷える蘭と出会い、その蘭のために恵方巻きを作ることを通して、「自分が信じるコーデを貫く」ということについて改めて考え始めていることを示すものと考えられます。

そらの恵方巻きを一口食べた蘭は、「おいしい!」と感嘆の声をあげます。これは単に味がよいということではなく、この恵方巻きにもまたそらの『想い』がこめられている、ということを意味します。このそらの『想い』とは、いちごと同じ、「困っている人を放っておけない」という想いであったと考えられます。それは、山で空腹な人に食べ物を渡して助けるというそらのこの行動が、71話「キラめきはアクエリアス」でいちごが山中で困り果てるあおいにおにぎりを食べさせること重なることからもいえます。

62話で、ブランド立ち上げる動機についてそらは次のように語りました。

「自分が作った服で、誰かを元気に、ハッピーにできたらいいと思って、私のブランド、ボヘミアンスカイを作った」

前回の記事において、62話の時点では、この「誰か」が一見広い人を指しているようでいて、その実いちごやミミといったごく限られた人物のみを指すものであったことを指摘しました。そこから67話に至るまで、そらはそのデザインの力を、自身を除けば、クリスマスパーティ、福女レースと、いちごのためだけに用いてきました。しかし、山中で空腹の蘭に会うに至って初めて、そらは自身のデザイン(=コーデ)の力をいちご以外の人のために用いました。目の前で困っている人をハッピーにする、という、いちごと同じやりかた。それこそが、そらにとって貫くべき「自分が信じるコーデ」であったということなのでしょう。

そらは迷いの果てに、いちごのためのアイカツから離れ、しかしいちごと同じ思いを抱きながら、より広い「誰か」のためにアイカツしていく道を見つけました。

蘭は、恵方巻きの見た目にこだわるあまりに祖母への想いを捨てそうになっていましたが、見た目にこだわらないそらの恵方巻きによって、自分の迷いを断ち切るきっかけを得ました。

二人は恵方巻きによってそれぞれの道をみつけ、そして、恵方へと向けて走るいちごによって見つけられます。

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いちごと出会ったときのそらのこの笑顔を、ドリアカにて恵方巻きをきいが食べたときのそらの笑顔と比較してみましょう。

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感情が「おもてに出ない」タイプであるはずのそらが、ドリアカでは頬を染めています。これはこの時のそらにはいちごを想う大きな心のうねりがあり、一方、山でいちごと出会ったときには、もはやそらには頬を染めさせるだけの心の動きはなかったということが読み取れます。ここから、そらの傷心が癒えつつあること、いちごから静かに心が離れていくさまをみることができるでしょう。

 

■終わりに

そらがいちごへの想いを巨大ケーキとツリーという形に成就させた62話。

そらがいちごへと抱く想いが裏切られてしまう64話。

そらが抱いていたいちごへの想いを、異なる方向へと向け始めた67話。

62話から67話までのそらの物語が、そらからいちごへの想いを中心に読み解くことができる、ということをここまでのテキストで示してきました。ここまで示してきたそらの一連の心の動きを、私は「失恋」と呼びたいと思います。他にも様々な解釈はあり得るかとは思いますが、やはりそらのいちごへの想いは、「恋みたいな気持ち」だったのではないかなと私は考えています。

風沢そらにまつわるテキストとして、既に85話へのレビューを上げていましたが、今回67話を観返してみて、85話を67話と対応させながら読む必要性を感じてきたので、そう遠くないうちに85話レビューの改訂を行いたいと思います。

85話と67話の共通項として、蘭が一度は自分を否定しながら最後には取り戻すというプロットや、キーワードとして「心得」と「特訓」が出てくることが挙げられます。当然蘭とそらにまつわるストーリーであるのも共通項のひとつでしょう。

こういった対称が織り込まれていることに気づいて改めて、アイカツという物語の周到さ、深さに感じ入るところであります。

たとえ3月末でアイカツという物語にひとつのピリオドが打たれようとも、それはけして全ての終わりなどではなく、まだまだアイカツを深く読み込んでいくという楽しみは残されているわけでありまして、むしろ物語が完結することによって初めて、物語を詳細に読みこむという営みは本格的にスタートするのだと思います。アイカツの放送が終わっても、むしろここがスタートラインという思いで、アイカツという物語と向き合って行きたいと思っています。

このいちそら学序論が、皆様における、アイカツを読むという営みの一助になりましたら幸いです。

KING OF PRISMの輝き

劇場版アニメーション、「KING OF PRISM by pretty rhythm」(以下キンプリ)を公開初日に観てきました。

もの凄く良かったです。

その良さを書き留めるべくレビューを試みたのですが、お読みになる前に一点ご注意いただきことがあります。

私はプリティーリズムシリーズが好きで好きで、そのプリリズを継承したプリパラや、プリパラの劇場版作品も楽しんで観てきました。このレビューには、キンプリについてはもちろん、以上に挙げましたプリリズ、プリパラシリーズへの言及が多く含まれます。ですので、今回キンプリを観て初めてプリティーリズムに触れた!という方にはピンと来ないものになっている可能性が高いです。そのような方は、レビューを読まれるよりも先に、兎にも角にもまずプリティーリズムを観てください。キンプリから入った方はプリティーリズム・レインボーライブ→劇場版プリパラ み~んなあつまれプリズム☆ツアーズと観るのがお薦めですよ。

なんらかの動画配信サービスで観られると思いますので、キンプリに惹かれた方ならぜひぜひ観てください。

 

それではキンプリをレビューしていきます。以下ネタバレを含みます。

17/6/7編集。

19/5/6編集。(すでに配信終了した動画配信サービスを勧めていた点など修正)

 

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元旦にライフ・オブ・パイを観た

2016年の抱負は「たくさん文章を書く」に決めたのでたくさん文章を書いていくぞ!というわけで、このブログもたくさん更新していけたらいいなと思います。

そういうわけで、本年の書き初めとして、今回は元旦にテレビでやってる映画を観たぞ、観たんだぞ~~という話をざっくりと書いていきたいと思います。

観たのは「ライフ・オブ・パイ」です。

私はこれタイトルとなにやら虎が出てくるらしいってこととポスターが「百剣-HYAKKEN-」のビジュアルとそっくりであることくらいしか知らなかったのですが。

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観てみるとこれ、「『語ること』についての物語」で、私の好きなタイプのやつでした。

あらすじはwikipediaとかを参照してもらって…なんかwikipediaのあらすじ、くせのある文章ですね…。あらすじというよりは重要なファクトの列挙という感じ。私もあらすじを書こうとしてよくこういう文章を書いてしまうので親近感がわきます。筋をまとめる際に、作中の表現をとりこぼさないように、可能な限り要約せずにまとめるとこうなりますよね。ほんとは読み易くするためにもうちょっと要約した方がいいのでしょうが、そうすることによって削り取られてしまう情報量に後ろ髪を引かれて、こういう「AがBと言った。」みたいな記述の羅列になってしまうこと、あるなあ~。

話がそれましたが、まず私が印象深く感じたのは、この物語が小説家のヤン・マーテル(原作小説の作者)がパイという男性の語りを聞くという形式になっているところです。ドン・キホーテから脈々と連なるメタフィクションアーキタイプですね。好きです。

物語の最後、パイは、トラとの漂流記と、人間との漂流記とのどちらがpreferかとヤンに問いかけます。これはかなり面白いところで、どちらが真実と思うか、ではなく、どちらが好ましいかをパイは尋ねます。この問いかけはずるいというか、そりゃ散々CGをふんだんに使った壮大な映像で長い時間かけてじっくり描写されたパイと動物との神話的物語の方が、暗い病室でごく短い時間で淡々と語られたコックや母との地味かつ陰惨な物語より好ましいと思いますよね。ヤンもトラが出てくるほうがよいと答えます。

冷静に考えると虎とシマウマとハイエナとオランウータンと漂流してきました~なんて話より人と乗っていて色々事件が起こって自分だけ助かりましたって話のほうが信頼に足るもっともらしい話ではあるのですが、"よりよい"のはやはり良く語られた面白い物語であって、これは、少年時代のパイがヒンドゥーの祭りの流し灯籠や荒唐無稽な神話や、田舎のキリスト教会の荘厳な雰囲気や、あるいはモスクから聞こえる言葉の美しさに、つよく心打たれて信仰心を得た体験とかさなるものなのではないかなーと私は受け取りました。

ヤンはこのふたつの物語のどちらを好むかについて「神の話でもある」と言いました。パイにとっての神は、ヒンドゥーの踊りや、キリスト教の建築や、イスラムの祈りの言葉の中にこそ存在し、それは「物語」にも当然ながら宿るということなのだと思います。

ヤンは虎との物語を選び、そしてこの物語はヤンのものとなり、ヤンはこの小説を世に著します。ふたたび物語を紡ぎはじめた彼に訪れたのは「ハッピーエンド」であったに違いないでしょう。

いきいきと魅力たっぷりと語ることによって荒唐無稽な筋書きのお話に命がふきこまれ脈打ち出し、美しく輝く――という、物語ることの魔力を壮大なCGによる映像美とメタフィクション構造で語りきった面白い作品でありました。映画館で3Dでみたらより強い魔法にかかったろうと思います。

 

原作についてもwikipediaでざっと読んでみたところ、虎とボートで漂流するというプロットと「命の輝き」についてはMoacyr Scliar“Max and the Cats”を基にしているそうです。Moacyr Scliarはブラジルのマジック・リアリズムの作家で、Max and the Catsは1981年発表の小説。邦訳はなさそうなのがかなしいところですね。

あと、虎の名前のリチャード・パーカーはこれが元ネタですね。

http://enigma-calender.blogspot.jp/2015/07/Mignonette.html

ポオの小説の登場人物であり、実在の事件の被害者のひとりであり、そしてどちらでも海難事故で人に食べられてしまったという数奇な運命の人物。虎が現実なのか、それとも虚構なのかを問うお話にひっかけるフックとして最高に決まっててめちゃアガりますねこれ。最高。

 

なんかまとまりない感じですがライフ・オブ・パイ、面白かったぞという話でした。これくらい雑な感じで今年はたくさん日記更新していけたらと思います。

アイカツ!コミカライズのぷっちぐみベストシリーズが"凄い"

 

アイカツ!のぷっちぐみベスト!シリーズのコミカライズを読みました。

アイカツ!まんが&まんが家カツドウ! (ぷっちぐみベスト!!)

アイカツ!まんが&まんが家カツドウ! (ぷっちぐみベスト!!)

 
アイカツ!まんが&12星座うらない (ぷっちぐみベスト!!)

アイカツ!まんが&12星座うらない (ぷっちぐみベスト!!)

 

 読む前はふーん?ぷっちぐみ?幼年誌だしな~~という感じで正直ナメてたんですけど、読んだら圧倒的な出来にブチのめされました。

凄い、凄いですこのコミカライズ。

アイカツ!のぷっちぐみベスト!!シリーズは2冊出てまして、「まんが&12星座うらない」にはぷっちぐみ2013年11月号から2014年10月号までの連載が、「まんが&まんが家カツドウ!」にはぷっちぐみの2014年3月号付録の別冊小冊子のために描き下ろされた連作短編が収録されています。

どちらの本のどのエピソードもアイカツ!らしくよく練られていて素晴らしいのですが、そのなかでも特に感動したのが「まんが&まんが家カツドウ!」収録の「キラ☆パタ☆キャワワ♪」というお話でした。わずか8ページの短編なのですが、これがほんとに研ぎ澄まされた凄みを感じる作品だったので、この記事ではこの短編について詳細に語っていきたいと思います。

 

■シリーズ「アイドル7人物語」とは

まず「まんが&まんが家カツドウ!」について説明していきます。この「まんが&まんが家カツドウ!」に収められているのは「アイドル7人物語」というタイトルのもとに描かれた連作短編で、ソレイユの3人とドリアカの4人、合わせて7人のアイドルたちが、デザイナーズアクセサリーコレクション(DCD2014年第3弾キャンペーンレアのシリーズ)のアクセサリーを得る過程をそれぞれ描いたものです。

今回取り上げる第5話の「キラ☆パタ☆キャワワ♪」はタイトルからわかる通り風沢そらが主役の回で、そらがいかにして自らのブランド、ボヘミアンスカイのデザイナーとして「ボヘミアンサークレット」を作り上げたかが主題になっています。

作品のあらすじを紹介しましょう。


■あらすじ

いちごとそらはショーの仕事のために動物園を訪れていました。ふたりがショーまでの空き時間に園内を散策していると、飛んできた一羽の鳥にいちごのカチューシャが掠め取られてしまいます。その鳥を追いかけるいちごは、道中で仲良くなった大きな鳥の助けを借りてカチューシャを取り戻しますが、取り戻したカチューシャは壊れてしまっていました。すると、そらは壊れたカチューシャを即興でアレンジしてアクセサリーを作り、いちごへ渡します。大いに喜ぶいちごでしたが、そうこうしているうちにショーの時間が迫ってきていました。ふたりは大きな鳥に教わった会場への近道を急ぎますが、会場すぐ手前の切り立った急な坂に足止めされてしまいます。途方にくれるそらでしたが、いちごはためらいなくその坂を飛び降りてゆきます。それにつられるように、そらも坂を飛び降り、無事間に合ったふたりは見事にショーを成功させます。後日、この日のいちごの自由な姿に着想を得て、そらはボヘミアンサークレットを完成させたのでした。

 

■作品の美点:華麗な対比
この作品の演出上の要点は、そらのデザインした二つのアクセサリーをめぐる対比にあります。すなわち、壊れたカチューシャを鳥の羽根でアレンジしたアクセサリーと、そらが最後に作り上げたボヘミアンサークレットをめぐって、相似を演出する描写がなされています。詳しく見ていきましょう。

それぞれのアクセサリーについて、「どうやってデザインの着想を得たのか」という質問がそらに投げかけられます。そらの返答は、カチューシャについては「今日は鳥からイメージをもらったの。鳥はきれいで自由で…大すきよ。」、サークレットについては「今回のイメージは…、さい高に自由でキャワワな女の子から!」と答えます。

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カチューシャのアレンジについて(まんが&まんが家カツドウ!P49)

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サークレットのデザインについて(まんが&まんが家カツドウ!P52)

この二つのアクセサリーをめぐる問いかけと返答が対をなしていることは明らかでしょう。「どうやって考えるの?/どうやって思いつくの?」という問いと、「イメージ」をもたらした存在が「きれい/キャワワ」で「自由/さい高に自由」である「鳥/女の子」だというそらの返答。

「鳥/女の子」の対は、ストーリーの中で、いちごに鳥としてのイメージが繰り返し付与されていることによって暗示されています。

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柵をとび越えて鳥のすみかへと入り込むいちご(まんが&まんが家カツドウ!P47)

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「鳥だったらとべる」坂をとび下りるいちご(まんが&まんが家カツドウ!P50)

 

 

 ■作品の美点-対比の乱れ-

さて、先ほど、アクセサリーをめぐる二つのやり取りは綺麗に対をなしていると語りましたが、ひとつだけ対称から外れた要素があります。それは鳥に対してだけ語った「大好き」という言葉です。

ここまで語ったとおり、この短編全体を通して周到にいちごと鳥の対比は用意され、力強く演出されているわけです。そして、そらは鳥が大好きであるわけですから、その鳥と相重なるイメージを持ついちごに対して「大好き」と思っていなかったとは思えません。

むしろ、「大好き」をあくまで対称による暗示に留めることによって、かえってそらの抱く思いのひそやかさと真摯さが感じられるようになっているのではないか?と思います。

わずか8ページながら、織り込まれた美しいパターンとそこから浮き上がるそらの愛情の紋様に魅了されずにはいられない、珠玉の短編。まさかぷっちぐみでこんな比喩を巧みに使った技巧的な物語が語られていたとは…!

 

■驚くべきさらなる仕掛け
これだけでももう十分な傑作といえるこの「キラ☆パタ☆キャワワ♪」ですが、コミックス「まんが&12星座うらない」とあわせて読むと、この「キラ☆パタ☆キャワワ♪」に織り込まれていたさらなる仕掛けに気づくことができます。

「キラ☆パタ☆キャワワ♪」でいちごがつけていたカチューシャは、ぷっちぐみ2014年2月号付録である「ジュエリーハートカチューシャ」(おもちゃ・アイカツカードともに付録)なのですが、「まんが&12星座うらない」収録の第5話ではなんと、「ジュエリーハートカチューシャ」のカードをいちごとあおいが交換しているところが描かれているのです。

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(まんが&12星座うらないP24)

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(まんが&12星座うらないP25)

ということは、そらがアレンジする壊れたカチューシャは、いちごがあおいと交換した、元はあおいのものだったカチューシャということになります。

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(まんが&まんが家カツドウ!P48)

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(まんが&まんが家カツドウ!P49)

つまり、あおいがいちごに渡した親友としての象徴たるカチューシャを、そらは愛情をこめてリメイクしていたわけで、いちごをめぐる3人の関係がカチューシャを介して密やかに描かれていた、ということになります……。いや、本当に凄い、凄い以外の言葉を失います……。こんな心に鋭利に突き刺さるやり口が…幼年誌で行われていいのか…?

 

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(まんが&まんが家カツドウ!P64)

いちごをイメージしてそらがデザインしたボヘミアンサークレットをあおいがすてきと褒めるシーンなどもエピローグ的に描かれており、この物語がいかに周到に描かれているかについては皆さんにも十分ご理解いただけたことと思います。

このかなき詩織先生&小鷹ナヲ先生のタッグが描くぷっちぐみベスト!シリーズ新刊、「まんが&クイズ」は12/2に発売!あかりジェネレーションの面々がどのように描かれているのか。めちゃくちゃ楽しみです。

アイカツ!まんが&クイズ (ぷっちぐみベスト!!)

アイカツ!まんが&クイズ (ぷっちぐみベスト!!)

 

いちそら学序論 I アイカツ!62話における風沢そらの心理

2015/11/16

大幅に改稿しました。

2016/3/14

序論Ⅱの投稿に合わせて、

  • タイトルを変更
  • いちそらと関わりない部分について大幅に改稿
  • その他細々と改稿

いちそらとは星宮いちごと風沢そらのカップリングを指す語です。いちご絡みのカップリングはいち○○となるのがデファクトスタンダードらしいことに最近気づいたので、私は今までそらいちと呼んでたのですが、これからはいちそらと呼ぶことに決めました。そらいちだと"らいち"が混ざってしまうのも懸念ではありましたし。

このレビューは星宮いちごと風沢そらの関係性とはどのようなものかという問いを中核に62話のクリスマス回を読み解いていくものです。とくに風沢そらが星宮いちごのことをどう思っているのかについて深く考察しました。タイトルに序論Ⅰとつけているのはこの62話と64話の福女レース回(序論Ⅱ)と67話の恵方巻き回(序論Ⅲ)との全3回に分けて書くという構想があるためです。でした。が、結局64話と67話をまとめて序論Ⅱとして書きました。

詳しくは各話の項で語りますが、62話から67話にかけてのいちごとそらの関係、とくにそらからいちごへの視線は非常に意味深に描かれているものとして読み取ることが出来ます。"いちそら"というカップリングを本編から読み出すのがこの論の主要な目的ですが、各話についての詳細な読解も平行して試みていくので、カップリングとか興味ないという方にも楽しめる内容になっている、と思います、なってるといいですね……。

 

まずは62話「アイドルはサンタクロース!」について語っていきます。ユーミンですかね。

といってもこの回は12話「WE WISH YOU A MERRY CHRISTMAS」を強く参照するエピソードであり、いくつかの点でこのふたつのクリスマス・エピソードは重ねられています。ここについて深く言及していくため、まず12話についてまとめておきたいと思います。

 

■12話概略

12話のクリスマスツリーにまつわるエピソードは、ストーリーが進むごとにたびたび振り返られる重大なイベントです。とくに大空あかりがアイドルを志したきっかけとして参照されるものであり、アイカツ!のストーリーの中核となっている重要なエピソードといえます。

また、このエピソードが重要であるもうひとつの理由として、このエピソードが、星宮いちごのパーソナリティーと、彼女のアイカツについて、それぞれどのような特徴があるかをとても明快に説明していることを挙げられます。

それでは、この12話から、星宮いちごとはどのようなアイドルなのか、また彼女のアイカツとはどのようなものなのかについて、読み解いてみましょう。

まずは、星宮いちごとはどのようなアイドルなのかについてですが、いちごはこの1年目のクリスマスの時、スターライト学園のみんなが笑顔でクリスマスを楽しめるように、みんなのクリスマスパーティーへの願望、たとえば大きいスピーカーがほしいとか、七面鳥を食べたいとかいう願いを、ひとつづつ叶えてゆきました。また、家族と会えずに寂しがる同級生・ユナを慰めるために巨大なクリスマスツリーを用意しました。あおいはいちごを評して、「あとは、困ってる人をほっとけないんだよね」と語ります。12話の最後、みんながパーティーを楽しむなか、いちごがサンタクロースの扮装で登場したことに象徴されるように、それぞれが求めているものを与えたり、困っている人を助けたりして、みんなを笑顔にして回りたいという思いが星宮いちごのキャラクターの中核にあることが示されています。

次に、彼女のアイカツとはどのようなものなのかについて読み解いていきます。

12話の冒頭、OP直前に、ひとりでは動かせないほど重たいクリスマスツリーをひとりで運ぼうとするいちごをあおい、蘭、おとめが手伝うシーンが描かれます。これは後の巨大クリスマスツリーをエンジェリーマウンテンに伐りに行く展開を先取りする描写であることは明らかですが、ここで重要なのは、いちごが先んじて始めた行動を周りのみんながサポートしはじめる、という風に描写されているところです。いちごがひとりで運んだり、みんなが同時にとりかかるのではなく、あくまでいちごが始めたことをみんなが手伝うという形になっています。それは、いちごはひとりではできないようなことに挑み、その過程で周りの人から助けが受けられることにより、ついには達成してしまう、そういったアイドルであることの表現であるからです。ツリーに関しても、いちごたちがスターライト学園を出発して木を伐りに行って帰って飾り付けを終えるまでの全ての過程で、いちごの力だけではどうにもならない状況を周囲の人たちのサポートによって切り抜けていく様子が描写されてゆきます。ひとつひとつ見ていきましょう。

巨大ツリーを用意することを請け負ったいちごたちはまず、木を伐採するための斧を涼川から受け取ります。行く当てもなくうろついていると、TVディレクターの井津藻見輝が車を出してくれます。行き先をエンジェリーマウンテンと決めたら、天羽あすかに電話をかけて許可をとりつけます(明示されてはいませんが、おそらくはあすかに許可をとったものと思われます)。木を伐り始めたときは傍から撮っていただけの井津藻でしたが、伐り倒した木を運ぶ際には彼も手伝います。斜面を滑り降り、山のふもとで学園までどう運ぶか悩んでいると、植木屋が現れ、車に積んで学園まで運んでくれます。ステージの時間に追われて飾り付ける時間がなくなってしまいますが、飾り付けは学園の他のアイドルたちと涼川とジョニーがやってくれます。

いちごの「巨大ツリーを学園に立てる」というアイカツは、周囲の大人たちのサポートによって初めて成立したものであることがわかります。特に、ツリーのあるエンジェリーマウンテンへといちごたちを連れて行った井津藻ディレクターと、ツリーを運んだ植木屋の助けは不可欠なものでした。この二人については、井津藻ディレクターが切り倒した木を運ぶ際には一緒にアイ、カツ!と声を出しながら木を引っ張る、あるいは植木屋がいちごたちの斧が鳴らす音に反応して気にかける、などの描写があり、これはいちごの頑張りを見ていると大人も協力したくなる、という大人側の心理を顕著に表すものです。

「普段のアイカツにも、デザイナーさんとか、ヘアメイクさんとか、カメラマンさんとか、ステージの準備をしてくれるスタッフさん、プロデューサーさんやディレクターさん、他にも大勢のスタッフがいて、みんなで一緒にアイカツしてるんだよ」

とは、80話・ブートキャンプ回でいちごがあかりに対して語ったことですが、ここで語られている、周りの人との協働関係も含めたアイカツこそがいちごのアイカツであるということが、まず12話において強固に、またツリーという明確なシンボルを擁するかたちで示されているのです。

12話にはもうひとつ、いちごのアイカツについての象徴的表現ととれるところがあります。それは、いちごが調理して皿に盛ったチキンライスをおとめがつまみ食いしはじめ、それにつられるようにしていちごもぱくぱくとつまみ食いしているところを蘭に見つかって「作ってんのか?食べてんのか?」とたしなめられたふたりが、満面の笑顔で「両方!」と返すところです。これはいちごたちが作りながら同時に食べてもいる、つまりセルフプロデュースを行いながら、同時にそれを楽しむようなアイカツをしていることを示しているのです。

12話においては、みんなを笑顔にしたい、困っている人をほっておけないといういちごのキャラクター性をサンタに擬えつつ表現している点、また、みんなを笑顔にするための頑張りを周囲の人たちのサポートの上で行う、協働するアイカツこそがいちごらしいアイカツであり、それによってツリーを立てることができた点、そして、いちごのアイカツとはいちご自身をも楽しませるセルフプロデュースであることを示している点の3点が、重要な要素として描かれました。それぞれがサンタ、ツリー、調理/食事という象徴を伴って描かれたことも重要です。

 

■62話の論の進め方

話を62話に移します。この論では、62話におけるそらのクリスマスパーティーに対するデザイン手法について、また、動機について考察を加えることにより、そらのデザインからいちごに対する深い知識や強い興味を読み取ることができることを示します。

 

■そらのひらめき

まずはそらのパーティーのデザインについてみてみましょう。そらのデザインがどのような経緯で成立したのかについて、そらが自分の部屋で天羽あすかと星宮いちごが出演するテレビ番組を観ているシーンから読み取れます。詳しくみていきましょう。

あすか「私は、この世界を楽しく、幸せにするためのものなら、どんなものでもデザインしたいと思っています。ドレスにケーキ。」

(そら、「あっ」とかすかな声を出しながら画面へと振り向く。荷物を運ぶ作業を止め、画面に見入りはじめる)

あすか「そのほかにもいろいろやりたいわ。デザインに境界線、つまり、ボーダーはないんです」

そら「デザインにボーダーはない」

(アナウンサーの誘いによって、ジングルベルのラブリーサンタスカートを着たいちごがキラメキドレスケーキを台に載せ運びこむ。ひとしきりいちご人形を載せたケーキの紹介をする)

あすか「とってもおいしいケーキなのよ。ぜひみなさんに召し上がっていただきたいわ」

(とあすかが語るところから視点がスタジオからそらの部屋へと移り、あすかはテレビに映されたかたちで描かれる。そらとセイラは真剣にテレビを見る。笑顔のいちごが映る)

いちご「はい。今年のクリスマスパーティーは、みんなでこのケーキを食べます」

(そら、映るケーキを見ながら、)

そら「あのケーキ、いい。ん……でも。クルクルキャワワ。んー……」

(しばし熟考するそら)

そら「うん」

セイラ「何かひらめいた?」

そら「うん」

そらがパーティーとケーキのデザインについて、このテレビ番組からひらめきを得たように描かれていますが、このそらのひらめきとはいったいどのようなものであったのでしょうか。ドリアカ・クリスマスパーティーのデザインをする、というところからスタートして、スターライト学園とドリームアカデミーとの合同パーティーを開催しながらそこで超特大いちごちゃんケーキを製作する、というゴールへと至るまでには、いくつかの思考の飛躍があるように思われます。

この飛躍を埋める取っ掛かりとして、そらがケーキに「でも」と不満を感じているような素振りをみせていることについて考えることが有効だと考えられます。そらはあすかのキラメキドレスケーキを基本的には「いい」と肯定しながらも、どこかに否定的な要素を見出し「でも」の述べています。そのそらが否定する要素とはなにでしょうか。

それを推理するため、あすかのケーキと、それを基にそらがデザインし直した巨大ケーキのスケッチとを比較してみましょう。そらのスケッチでは、あすかのケーキに感じた不満点が解消されているはずですので、これらの比較は有効であると考えられます。

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二つのケーキの違いをみてみましょう。ひとつは大きさです。もうひとつはケーキの柄で、もうひとつはいちご人形の姿、特に腕の位置です。あすかのケーキでは胸の前で腕をクロスする姿ですが、そらのスケッチでは腕をおろして腰のあたりで開く姿で描かれています。更にもうひとつの違いが、背景の星を冠したツリーと中空に浮かぶ星の存在です。そらは元のケーキにはなかった「星」というモチーフを、新たに導入しています。

この四つの違いがあすかとそらのデザインの違いなのですが、ここで、ケーキの頂点に収まるのが「星」を名にもつ「星宮いちご」の人形である――ということを踏まえてこのスケッチを見てみますと、「星」宮いちごを頂点に置く巨大ケーキと、「星」の飾りを頂点に置く背景のツリーとが並置されていることがわかります。そこから考えると、いちご人形のなだらかに下ろした腕とケーキがつくるシルエットと、背景のツリーのシルエットとが相似形を作っているようでもあります。

星宮いちごという星を頂点におくケーキと、星を頂点に飾ったツリーとの相似をつくり、それらを並べること。これこそが、このスケッチに表されたそらのデザインの意図であると考えることができます。

そして、ツリーの頂点の星とケーキの頂上の星宮いちごの相似からは、以前のエピソードで語られたあるイメージが強く想起されます。それは53話できいが調べた、いちごがアメリカにいた時の活動のひとつである、クリスマスに巨大ツリーの頂上で光る星の着ぐるみを着たいちごのパフォーマンスのイメージです。

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ツリーの頂点で「星」として輝く、というこのパフォーマンスは、ツリーの頂上の星と「星」宮いちごを重ねあわせるものであり、これはそらのケーキのデザインのアイデアに非常に近いものです。

ここから、そらがいちごの「星になる」パフォーマンスを知っていて、それをデザインに織り込んでいる可能性を読み取ることができます。そらはパーティー会場で初めていちごと対面したときに、「初めて会った気がしない。エンジェリーシュガーを着たあなたをずっと可愛いなって見てたから」と語っており、以前からずっといちごの活動を追っていたと示されています。ですから、そらがいちごのアメリカでのパフォーマンスを知っていてもおかしくはありません。

また、そらのケーキのデザインに過去の自身のパフォーマンスが参照されていることをいちごが理解していることを示すシーンがあります。それは、巨大ケーキを完成させるための等身大いちご人形がないとそらたちが気付いたあと、そらが「いちごちゃん、あの」と語りかけただけなのに、いちごが「そうだよね!私もそう思った」と、そらのアイデアがどんなものかを断定している反応を見せているところです。

ここでいちごはそらのお願いが、「星宮いちご自身がケーキの頂点に立つ」ことであると確信しているわけですが、なぜいちごはこれを確信できていたのでしょうか?

それは、いちごがそらのスケッチブックを見た際に、そのデザインがアメリカでの「星になる」パフォーマンスを参照していることに気づいたからにほかなりません。それゆえにいちごは、そらのお願いが、自分がケーキの頂上で「星になる」ことであると確信できたのでしょう。

そらがいちごのこのパフォーマンスを知っていたのならば、あすかのケーキを見た時に「でも」とこぼすのも理解できます。クリスマスケーキというクリスマスアイテムの頂点に星宮いちごという「星」を配置しておきながら、頂点に星を頂くクリスマスツリーといういちごらしさあふれるモチーフと重ねあわせないデザインに、いちごの熱心なファンであるそらは不満をもったのでしょう。もっといちごにふさわしい表現の仕方があるはず、という思いが、このスケッチへと結実したのだと考えられます。

そらはあすかのケーキに対して不満をいだき、パーティーにおいてケーキとツリーを並べるデザインによってそれを解消しました。パーティー会場のすぐ傍には巨大なツリーがあり、そのツリーの頂点にも星が輝いています。この62話のラストシーンがケーキの上からメリークリスマスと叫ぶいちご→外観のツリーというカットの繋ぎになっていることから、ここにケーキとツリーの並置を読み取ることができます。

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また、そらがツリーの飾り付けと料理の盛りつけとの両方にアースカラーを意識するように指示していたことからも、そらがツリーと、ケーキを食べる食卓とを結びつけようとするデザインを行っていたことが伺えます。

星を冠するツリーと星宮いちごを冠する巨大ケーキの並置。これこそがそらのデザインの「ひらめき」であり、そしてそのデザインの根幹には、星宮いちごのこれまでの活動に対する深い理解があった、ということです。

 

 

そらのデザインのひらめきがどのようなものかについては示せましたが、ここからはその動機、つまり、なぜそらは合同パーティーを行ったのか、そしてなぜケーキを大きくしたのかについて、そらの台詞から考察していきます。

ひとつめの台詞は、ケーキを大きくしたいと天羽あすかにお願いに行ったとき、あすかからなぜケーキを大きくしたいのかを問われたときのそらの返答です。

「クリスマスパーティーは、一年に一度しかありません。だから、パーティーに参加するみんなにも、テレビで観てくれてる人たちにも、最高に大きなハッピーを届けたいんです」

みんなに大きなハッピーを届けたいから大きくしたい、というのが大意ですが、ここには一年に一度しかないクリスマスなのだから、という論理が用いられています。この一年に一度というフレーズは、12話でも近いものが用いられています。それは、いちごがパーティーの実行委員へ立候補したことに否定的な蘭へ、いちごが畳み掛けるように語って説き伏せるシーンです。

いちご「どうしてもやりたかったんだ!楽しいクリスマスにしたいから」

おとめ「はい!」

蘭「だからってさ……」

いちご「蘭はクリスマス嫌い?」

蘭「え?」

いちご「こんがり焼いたチキン!ふわふわのクリームの載ったケーキ!」

蘭「ち、近いから!つか、食べ物のことしか言ってないぞ」

いちご「一年に一回しかないんだよ?私たちだけで夜遅くまでパーティーだよ?すっごい楽しいよ?」

蘭「ま、まあ……嫌いじゃないけど」

一年に一回しかないという殺し文句で相手を納得させる、という点で、62話のそらが天羽あすかに許可を貰いに行くシーンと12話のいちごが蘭を説得するシーンは重なっています。つまり、このそらの台詞は、そらがクリスマスに対していちごと同じように強い想いを抱いていることを示すものといえます。

ケーキについてのもうひとつの台詞は、巨大ケーキの発表をカメラの前で済ませたあと、笑顔のいちごから巨大ケーキという幼い頃からの夢がかなったと感謝のことばをかけられたあとのそらの台詞なのですが、その前の流れも重要なので、ちょっと前のシーンから書き起こしていきます。

(そらときいがテレビカメラへ向けた巨大ケーキの発表を済ませたあと、あおいはケーキを楽しみにするキラキラッターのファンの書き込みをそらときいに見せる。きいはケーキを作る段取りについて、パティシエが来てくれることになっているとそらと話す。そこにいちごが語りかける)

いちご「そらちゃん、ありがとう」

そら「えっ?」

(そら、驚いた顔を見せる)

いちご「小さいときね、クリスマスケーキがすっごくおいしくて、食べるたびに小さくなるケーキが寂しくて、食べきれないくらい大きかったらいいのになって思ってたんだ。超巨大ケーキ!夢がかなっちゃった」

(笑顔で語るいちご。そらも笑顔で応える)

そら「よかった」

いちご「えっ?」

そら「私がケーキを大きくしようと思ったのは、ううん、クリスマスパーティーをデザインしようと思ったのは、そういう顔が見たかったから。自分が作った服で、誰かを元気に、ハッピーにできたらいいと思って、私のブランド、ボヘミアンスカイを作った。この世界を楽しく、幸せにするためのものなら、どんなものでもデザインしたい。ドレスもケーキも、パーティも。デザインに境界線、ボーダーなんてない。」

まず指摘しておきたいのは、いちごの「ありがとう」 に対するそらの「えっ?」と、そらの「よかった」に対するいちごの「えっ?」が対をなしていることです。これはこれはつまり、いちごがそらのケーキによって夢がかなえられたように、そらはいちごを喜ばせたことによって夢がかなえられた、という対称関係を暗示しているものと考えられます。

そして、このそらが語っている内容が、天羽あすかに対して語った内容と基本的には一致しているようでありながらも、天羽あすかに語ったときには「パーティーに参加するみんな」や「テレビで観てくれてる人たち」など、ハッピーを届けたい相手が「みんな」であるように明確に示していたのに対し、こちらの独白では、「そういう顔」や、「誰か」という、指す範囲があいまいな語を用いているという違いがあります。

「誰か」について。これは「自分が作った服で、誰かを元気に、ハッピーにできたらいいと思って、私のブランド、ボヘミアンスカイを作った」というところに現れる語なのですが、これは61話最後の「誰かを元気にできたかな。私のボヘミアンスカイ」というそらのモノローグを踏まえたものであることは明らかです。61話のこの台詞は、そらがボヘミアンスカイお披露目ステージのあと、会場を抜け出してひとり海辺でたたずみミミを想いながら流れたモノローグでした。このとき会場の控室へ向かっていたティアラ学園長はそらのステージによって元気になってはいましたが、そらとの接触は回避されていました。このことから、ここでそらの思う「誰か」に、ティアラは含まれていないものと考えられます。61話でそらが元気にしたかった「誰か」とは、遠く離れてしまって二度と会えないしもはや何も伝えられないはずのミミ、自由を恐れながらも果敢に一歩を踏み出したミミを代表とする人々のことなのです。たとえそらのステージを観て元気になったティアラとそらが会っていたとしても、それはそらに大きな感慨をもたらすものではなかったでしょう。

61話でそらが用いた「誰か」は、「みんな」を意味しない、限定されたごく一部の人々を指す語でした。

だとすれば、「私がケーキを大きくしようと思ったのは、ううん、クリスマスパーティーをデザインしようと思ったのは、そういう顔が見たかったから。」の「そういう顔」もまた、「いちごの笑顔に代表される、みんなの喜ぶ顔」ではなく、「星宮いちごの喜ぶ顔」という、狭く限定された意味として解釈する必要があるといえるでしょう。

そらが「いちごの喜ぶ顔」に特に強い興味を示しているとわかる描写が、あおいにキラキラッターに書き込まれた、ファンのケーキを楽しみにするメッセージを見せられたときのそらの反応と、いちごに夢がかなっちゃったと言われた時のそらの反応の違いです。まず、ファンのメッセージを見たそらのリアクションがこれです。

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次に、いちごに夢がかなっちゃったと言われたときのそらのリアクションがこれです。

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ファンの喜びや期待の声に対してはほとんどリアクションを取らなかったそらが、いちごに夢がかなったと笑顔を向けられたときにはとびきりの笑顔でそれに応えている、という対照がここに描かれています。61話であまり感情が「おもてに出ない」タイプであると描写されているそらが大きく表情を変えて頬を染めているというのも特筆すべきことでしょう。さらに言えば、このシークエンスで描かれるそらの笑顔と驚いた顔は、ノエルがいちごと会って話しているときに見せる表情と似通っていることも指摘できます。

お誕生日おめでとうと言われたノエルの表情。

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ノエルっていうのは…といちごに言われたときのノエルの表情

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いちごに「そらちゃん、ありがとう」と言われたときのそらの顔

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ノエルはいちごの大ファンであり、その彼女と似通った表情の変化をすることから、そらもまたいちごの大ファンであることが暗示されているといえるでしょう。

以上より、「星宮いちごの喜ぶ顔」こそが、そらの見たかった「そういう顔」であり、すなわちそらがケーキを大きくしようと思った理由であり、合同パーティーをデザインしようと思った理由でもある、と考えられます。

そらは、みんなを楽しませたいといういちごと共通のメンタリティも持ちつつ、しかしパーティーとケーキのデザインの根源にはいちごの喜ぶ顔が見たいという動機もあったということになります。これで、パーティーを合同パーティーにした理由について明らかになりました。合同パーティーを開催しないことには、パーティーでいちごを喜ばせることはできません。

いちごの喜ぶ顔が見たい。いちごのアイカツをデザイナーとしてサポートして喜ばせたい。あすかのケーキの、いちご人形を載せるアイデアはいいがこれでは十分にいちごらしさが表現されてはいない。アメリカでの活動を踏まえてケーキをツリーと重ねればいちごのアイカツをより深く表現できるはず。ケーキをツリーのように大きいサイズで作ればツリーと重ねて見てもらえる。巨大なケーキをパーティーで作ろう。合同パーティーをしよう。合同パーティーで巨大ケーキを作ろう。

このような思考の展開こそがそらの「ひらめき」の内実であったと考えられます。

 

いちごを喜ばせたい、いちごを輝かせたいという動機からスタートして、結果としてみんなの手で巨大ケーキを作り上げたというのが62話のそらのアイカツでした。これが12話と比して特徴的なのは、巨大ケーキの製作に大人の手を借りていないという点です。12話ではツリーを運ぶプロフェッショナルとして植木屋が登場していちごたちを助けましたが、62話ではケーキ作りのプロフェッショナルとしてパティシエが登場しながらもそらたちは彼らの助けを得られません。この危機をそらは「みんなで作る」という方針を打ち出して打開していきます。ここに、12話と対比して、自分たちの手で作り出すというセルフプロデュース性がより強く描かれていると見ることができます。

プロデュースという面において、プロデューサーのきいの助けも描かれています。

きいのプロデューサーとしての力が如実に表されているのが、きいが「アイカツクリスマスパーティー」と称して両校合同のパーティーの企画をメールで一斉送信した場面です。メールを受け取ったあおいと蘭は困惑の表情を浮かべますが、パーティーの詳細を知ったいちごは「楽しそう!」と笑顔を浮かべます。ここにもそらといちごのメンタリティの相似が表現されているわけですが、この蘭・あおいといちごのリアクションの対比は続くジョニーと織姫学園長のリアクションの違いでより強調されます。ジョニーのオーバーなリアクションによって、この提案がいかに非常識、言い換えるならば「いかにボーダーを越えているか」が浮き彫りになりますが、織姫学園長は両校合同で行うパーティーが生み出す話題性とそれによってスターライト学園も得をすると評価し、このパーティーを受け入れます。

ここで気にかかるのは、そらが合同パーティーを開催しようとする理由と、織姫学園長が合同パーティーを受け入れる理由が全く異なっているところです。そらは学校の垣根を越えたより素敵なパーティーに魅力を感じているのに対し、織姫学園長はパーティーを受け入れることによってスターライト学園の浴する利益に魅力を感じています。関係者の認識にこのようなズレがありながらパーティーを開催できたのは、ひとえに冴草きいというプロデューサーの手腕のおかげだったと考えられます。「招待されたファンの方々と、テレビを入れての両校合同パーティー」という織姫学園長の台詞から、デザイナーのそらの要求をただ伝えたのではなく、交渉相手である織姫学園長を説得できるだけの要件となるまで練りあげてから提案するプロデューサーとしての仕事を、きいがきっちりこなしていたことが伺えます。

そらのデザインをきいがプロデューサーとして形にするというのが62話で描かれた二人の関係であり、この補いあう関係はパーティーに最初に積極的に関わろうとプロデューサーに立候補したのがきいで(これは12話で実行委員に立候補したいちごと重なる描写)、そらはあくまで任命されて受動的に関わったというところからも見て取れます。きいは、綿密な計画、適切な根回しによって、そらのデザインを現実化するための事前の準備に勤しみますが、現場で起こったトラブルに対してパニックになってしまいます。それを解決するのはそらであったことも、二人の補いあう関係を示しています。

このデザイナーとプロデューサー二人が補いあい作り上げたケーキという土台の上に、アイドルの星宮いちごを載せることによってパーティーが成功する。これが62話で描かれたことであって、つまり、ケーキを作ることとは、アイドル自身のプロデュースによって、アイドルを載せる舞台をつくることの象徴であるということになります。

12話で示唆された料理=セルフプロデュースによるアイカツ、という図式が62話では、ケーキを作る=自らのプロデュースによってアイドルの立つ舞台を作り上げるアイカツ、というものに深められたかたちで描かれました。

62話で描かれた風沢そらのアイカツとは、星宮いちごを載せるためのケーキを作り、そしてそれとツリーを並べていちごを星として輝かせることであり、デザイナーとして人を、特に星宮いちごを輝かせることであったといえます。それは自身がアイドルであることよりも優先される、というのは64話の福女レース回で示されることでもあります。

 

 

 まとめ

・風沢そらはいちごのアメリカでの活動を追うほどのコアないちごファンである。

・そらのパーティーとケーキのデザインには、いちごをより輝かせ笑顔にしたいという動機があった。

・いちごとそらのメンタリティはクリスマスへの思いやみんなを楽しませたいといった面で重なっている。

・自分から立候補したいちごに対しそらはきいに指名される形でクリスマスパーティーに関わった。

・いちごはアイドルでありそらはデザイナーであるというそれぞれの立場が明確に示された。

 

今回、風沢そらがいかに星宮いちごに強い興味を抱いているかを今回示せたと思います。このそらの強い想いがいかにして散るか、というそらの失恋について、続きの序論Ⅱにおいて書いていきたいと思います。

続きの序論Ⅱを投稿しました。(16/3/14)

suekichi.hatenablog.jp

 

 おまけ

改稿前の記事を読んでくださった生姜維新さんから、 このような指摘を頂きました。

 恋人がサンタクロース 松任谷由実 - 歌詞タイム

恋人がサンタクロース」という詞は、「が」という助詞の特徴的な使い方によって、ずっと「ねえさん」の言うサンタは普通にサンタクロースのことだと思っていた少女が、彼女の恋人こそが彼女にとってのサンタクロースだったんだ!と気づいた瞬間の驚きを表現しています。

その後の「本当はサンタクロース」という詞は、恋人という存在が本当にサンタクロースと呼ぶにふさわしい、幸せを届けてくれるものであることを語っています。

少女は自分の身に素敵な恋が訪れることを予感して「そうよ 明日になれば/私もきっと わかるはず」と自分に言い聞かせます。わかる、とは何をわかるのかというと、サビで繰り返される2フレーズのうち後者の部分の「本当はサンタクロース」の部分であり、つまり恋人が私を幸せにしてくれることを初めて理解できるはず、ということを歌っています。少女は「ねえさん」のサンタが恋人であったことはわかっていますが、自分にとって恋人が本当にサンタクロースたりうるものなのかはまだわかっていない、というわけです。

つまり、この曲は、初めて彼氏とクリスマスを過ごそうとする少女がその前日に期待に胸をふくらませている状況を歌ったものと解釈できます。

そして、この62話「アイドルはサンタクロース!」をその詞と重ねてみますと、幼いころとなりに住んでいたおしゃれなねえさんを今も思い出すがもういない、というところが、61話のラストで風沢そらがもういないミミを想っていたところとかさなることから、歌のなかで恋人と深く結ばれる甘い予感に期待をふくらませている少女こそが風沢そらである、というふうに解釈できます。

そして、62話においてサンタのモチーフと結び付けられている人物は星宮いちごただ一人であることも指摘しておきましょう。

TVスタジオにて、天羽あすかのもとに星宮いちごがケーキを運び込むシーン。ここでいちごが着ているのは、12話の最後にあおいとおとめがパーティー会場で着ていた「ジングルベルのラブリーサンタスカート」ですが、62話には他にサンタのモチーフが描かれることはありません。

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風沢そらにとっての恋い慕う人物とは星宮いちごである、ということをこのサブタイトルとサンタのモチーフが暗示しているのではないでしょうか。

(素晴らしい視点と解釈を提供してくださった生姜維新さん、ありがとうございました)

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OP直後のスターライト学園のシーン。一昨年のクリスマスパーティー のクリスマスツリーの木が後に、箸、テーブル、かまぼこの板として転用されたとおとめは語ります。とくに、おとめは箸とかまぼこ板を手にしています。箸は食事するための道具であり、かまぼこ板はかまぼこを調理するための道具です。ツリーと調理/食事は12話で示されたとおりいちごのアイカツを象徴するものであるわけですが、ツリーが調理/食事に関するグッズへと変成させられたことにより、ツリーの示す「協働によるアイカツ」と調理/食事の示す「セルフプロデュースによる楽しいアイカツ」が同根のものであることが示されています。そしてこれは、62話において巨大ケーキという食にまつわるモチーフとツリーが並び立つことを暗示するものでもあるでしょう。

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じゃあテーブルはどうなったんだという話があるんですけど、これは80話のブートキャンプの島のテーブルに繋がってるんじゃないかという、かなり自信のない説があります。

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このテーブルが八角形なのが重要で、このあと、あかりは円形のステージを作ろうとするんですけど、完成したのは八角形のステージでした。

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アイカツの世界において円=八角形なのかもしれないですけど、ちょっと違和感のある、ひっかかるシーンではありました。しかしこのステージがテーブルと同じ八角形であることから、あかりの作るステージ=テーブル=いちごの作ったツリーという連なりがみえてきます…きます?見えてくるような、ちょっと無理があるような…そういう感じです。

ただ、アイドルが立つべきステージをみんなの力で作るという点において80話のステージ作りと62話のケーキ作りは共通のテーマを描いているんですよね。更に言えばスターライトの生徒とドリアカの生徒が共同でその制作にあたっているというのも62話と重なるところです。あかりのアイカツは実は風沢そらのそれと近いものなのではないでしょうか。

そして劇場版において、いちごからの継承のシンボルであるマイクを、あかりがいちごと掲げるのではなく、風沢そらと掲げているところにもそらとあかりのアイカツの近さをみることができる…かもしれません。

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ケーキを作るとはアイドル自身のプロデュースによって、アイドルを載せる舞台をつくることの象徴であると書きましたが、この象徴はたとえば、Lovely Party Collection(3年目後期OP)においても用いられているのではないかと思います。

このOPにはソレイユが作ったケーキの上にピンク、オレンジ、青の3本のロウソクが火を灯して立っているのですが、このピンク=キュート、オレンジ=ポップ、青=クールの3本のロウソクはルミナスを示していると考えられます。キュート、ポップ、クールの3人ユニットはルミナスかぽわプリかのどちらかなのですが、まあルミナスと考えるのが自然でしょう。

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3年目終盤で描かれたのは、ソレイユがプロデュースした大スターライト学園祭という舞台の上でルミナスが輝くことでした。ソレイユが作ったケーキの上で火を灯す3本のロウソクは、まさにそれを表していると考えられます。

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らいち=蘭=きい

ノエル=セイラ=あおい=そら

と表情を2グループにわけて配置してあるようです。(最初観た時意図がつかめなくて蘭の表情で笑ってしまった)

セイラあおいそらの3人はノエルと同様にいちごに強く惹かれているという描写なのでしょうか。

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いちごもらいちサイドに入れてもよさそうかも。

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「まぶし」と言わせるためだけに引っぱり出されるヒカリちゃん…。

ケーキの頂上に着地した星宮いちごを「星」に擬えるために光を浴びるリアクションをしてくれています。あと地下の太陽を引っ張りだすほどきいのイベントプロデュース力が高いとかそういうのもあるのかもしれません。

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いちごの背景のプレートに描かれた雪の結晶ぽいもののうち、五角形のものがいくつか(たぶん4つ)あるんですけど、雪の結晶は五角形にならないんですよね。なにか意図があるのでしょうか。やはり星なのか。

アイカツ!108話「想いはリンゴにこめて」 リンゴにこめられた3つの想い

アニメ「アイカツ!」108話「想いはリンゴにこめて」に登場するリンゴについて考えていきます。

このエピソードでは、氷上スミレがロリゴシックのプレミアムドレスを得ようと夢小路魔夜の屋敷を訪れます。エピソード中に何度か繰り返し「リンゴ」が登場しますが、このエピソードにおけるリンゴは何を意味しているのか、そしてタイトルにある「リンゴにこめられた想い」とは何かについて、この記事では考えていきたいと思います。

 

わたしがこのエピソードを繰り返し見て感じたのは、リンゴを介してスミレが伝えようとしている想いとは、ひとつの意味に還元できるような単純明快なものではなく、いくつかの想いが絡み合ったものである――ということでした。

絡まる想いをほどいていくと、スミレの作る焼きリンゴにこめられた「想い」は、以下の三つの想いへと分解できます。

1.ロリゴシックというブランドに対する理解

2.ロリゴシックと姉に対する愛の結晶

3.ユリカという「白雪姫」と対峙するための小道具

 これら三点について、それぞれ解説していきます。

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1―『理解』について。

ユリカのCM撮影現場にてスミレは、ロリゴシックのダークなイメージと白雪姫という童話の残酷さは合うはずと指摘します。その指摘に対し、ユリカは「あなた、なかなか鋭いわね」とスミレの見識を高く評価します。

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ロリゴシックの持つダークさをスミレがきちんと理解できていたからこそ、魔夜が作る白雪姫モチーフの新作ドレスには、白雪姫にとって毒であるリンゴがあえてつけられているはずと考え、焼きリンゴを差し入れとすることを決めたのでした。

そして、魔夜の部屋にて実際の新作ドレスと対面した時に、スミレは「ついてる!リンゴ!」と喜びをあらわにします。この喜びは、自分のロリゴシックに対する理解が正しいことを確かめられたことによるものでしょう。スミレは、自身のブランドへの理解の正当さを、リンゴを差し入れに選ぶことによって示したのでした。

 

2―『愛』について。

氷上スミレは、姉である氷上あずさとの結びつきが強く描かれているキャラクターです。スミレの習慣である「いいこと占い」はあずさの教えに由来するものですし、スミレにスターライト学園を紹介して受験するよう勧めたのもあずさでした。そして、スミレがロリゴシックに興味をもつようになったのも、あずさからの影響があったためでした。

魔夜の屋敷でロリゴシックに関するクイズを解く際、モデルとしてユリカが写るポスターを見ながらスミレが想い浮かべたのは、姉との思い出です。「ゴスマジックコーデ」のポスターを見て思い出すのは、それを真似て作られたドレスを着る姉の姿ですし、「ブリティッシュコーデ」のポスターを見て思い出すのは、真似て作られたドレスを着た自分に対する、姉の「すっごく可愛い」という賞賛でした。スミレのロリゴシックへの愛着は姉によってもたらされ、姉とともに育まれてきたものでした。

そして、スミレが差し入れとして持っていく「焼きリンゴ」もまた、姉によってもたらされ、スミレの中で育まれてきた料理です。

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スミレにとって、ロリゴシックへの愛と姉への愛は密接に結びついて切り離せないものであり、焼きリンゴはその双方に対する愛のしるしとして選ばれたものだと考えられます。

 

3―『小道具』について。

「スノープリンセスコーデ」は、もともとはユリカのために作られていたドレスでした。CM撮影の際、ユリカが魔夜のドレス作りの進捗を把握していることや、ユリカのもとへ届いた魔夜のメールの文面から、このドレスがユリカのために作られていることが示されています。

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「ユリカに似合いそうな 新作ドレスが出来たよ 見て欲しいんだけど忙しいかな?」

つまり、この「スノープリンセスコーデ」は、魔夜がユリカを白雪姫と見立てて作ったものということになります。

さて、ここで一つの疑問が生まれます。魔夜にとってユリカが白雪姫なのだとすれば、スミレの果たす役回りとは一体何なのでしょうか?もう一人の白雪姫?それとも……?

その答えは、ドラマの展開の流れのなかで、ごく鮮やかに提示されます。白雪姫=ユリカに対応するスミレの役どころは、鏡との問答を行うシーンにおいて、端的に示されます。

魔夜の屋敷にて、スミレが鏡から「鏡よ鏡、世界で一番ロリゴシックのドレスが好きなのはだあれ?」と問いかけられたとき、スミレは鏡の中にユリカの姿を見ます。

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これは、童話の白雪姫において、女王が「鏡よ鏡、世界で一番美しいのは誰?」と鏡に問いかけたときに、鏡が白雪姫の姿を映すくだりを踏襲するものです。つまり、スミレが鏡の中にユリカの姿を見るのは、女王が鏡の中に白雪姫を見ることと明確に対応しています。ここに、スミレ=女王、ユリカ=白雪姫という構図を読み取ることができます。

スミレは鏡の中にユリカを見て、「確かに、今は藤堂先輩には敵わないかもしれない。でも、それでも。いつかはきっと!」と答えます。この「いつかはきっと」は、挿入歌『タルト・タタン』の印象的な一節であり、また20話『ヴァンパイア・スキャンダル』でユリカが魔夜に言った「でも、きっとそうなる」を想起する言葉でもありますが、ここでは、スミレの抱いた”野心”が、童話の女王が持つそれに擬えられて発露されたものとして理解できるでしょう。

童話の女王は世界一美しい存在でありたいと強く願う人物であり、それゆえに、白雪姫を毒リンゴで殺そうとします。「いつかはきっと」世界一美しい存在になりたい――童話の女王が抱くそんな野心と、「いつかはきっと」ロリゴシックを世界一愛する存在となりたいというスミレの野心とが、この台詞で重ね合わせて表現されているわけです。

童話の女王は白雪姫を殺すことによって世界一への野心を満たそうとしますが、対するスミレはどう行動したでしょうか。つづくシーンでの、スミレ・ユリカ・魔夜三者の言動を追ってみましょう。

 

ついに魔夜と対面したスミレは、魔夜にプレミアムドレスを見せてもらい、そのドレスにリンゴがついていることをひとしきり喜びます。そんなスミレに対して魔夜は、「実はそのリンゴ、つけるかどうか最後まで迷ったんだ。だって物語の中では、白雪姫を危機に陥れる毒リンゴ」と語りますが、これを聞いたユリカは、何かに気づいたような、ハッとした表情を見せます。

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ここでユリカが気付いたこととは何でしょうか。

ユリカはロリゴシックというブランドの性質、そのダークさを深く理解しているので、魔夜が白雪姫のドレスへ毒リンゴの意匠をあしらうことに驚いたりはしません。スミレがそう考えたように、ユリカもリンゴがついているのが自然と考えていたはずです。ユリカはむしろ、自然なはずのリンゴに、魔夜が迷った素振りを見せたことにこそ違和感を覚えたはずです。ユリカは魔夜が表明したかりそめの逡巡にひそむ真意に思いを巡らせた結果、何かに思い至ったのだと考えられます。

「ユリカに似合いそうな 新作ドレスが出来たよ」という魔夜のメールと、魔夜の新作が白雪姫モチーフであるという知識から、ユリカは自分こそが魔夜の創作の世界における白雪姫であるという文脈を理解できる立場にいました。であるならば、魔夜の「実はそのリンゴ、つけるかどうか最後まで迷ったんだ。だって物語の中では、白雪姫を危機に陥れる毒リンゴ」という発言について、ユリカは魔夜の文脈に応じた読み替え――白雪姫=ユリカという変換――を行うことができます。

ユリカは、魔夜の発言を次のように解釈したのだと考えられます。

”ドレスにリンゴをつけることは、ユリカに危機をもたらしうるだろう”

スミレがリンゴを選ぶことによって、ユリカに訪れる危機。それは、新作のプレミアムドレスがユリカの手に渡らなくなることに他なりません。魔夜がスミレに問うたリンゴの是非とは、ユリカからドレスを奪うことへのスミレの覚悟をあらためて問うものであるとユリカは気付き、目を見張ったのだと考えられます。

魔夜に問われたスミレは、表情を曇らせます。これは、魔夜の問いかけの含意に気が付いたことの表れでしょう。プレミアムドレスを得るためにはドレスをユリカから奪わなくてはならない。それは、CM撮影の控室でユリカから「あなたもロリゴシックのプレミアムドレスを狙っているってわけね」と言われたときから、わかっていたはずのことでした。

その覚悟が魔夜からあらためて問われます。「白雪姫のドレスにつけるのはどうかな?って」スミレの表情は曇ったままですが、そんなスミレに、ユリカはわずかに微笑みかけながらスミレに優しく返答をうながします。「氷上はどう思う?」

そのユリカの言葉に背を押されてか、スミレは「変じゃありません!」と叫ぶように言い放ち、ドレスのリンゴを、ぎこちなくも力強く肯定します。

高みに立つユリカを超えていくためにプレミアムドレスを必要とするスミレは、ユリカという白雪姫から「世界一」を奪い取るための「毒リンゴ」つきのドレスを肯定したのでした。

そしてスミレは、言い放った勢いのままテーブルへと近づき、持参した焼きリンゴを皿に盛りつけ、ユリカたちへ差し出します。

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ユリカという白雪姫へと供されたリンゴ――。スミレは、魔夜の世界ではユリカこそが白雪姫であることを踏まえた上で、白雪姫を超えてゆこうとする女王としての自分を、毒リンゴの含みをもたせた焼きリンゴをユリカ=白雪姫へ差し出すことによって表現してみせたのでした。

ユリカはスミレが屋敷へ入る前に、ロリゴシックのプレミアムドレスを着る者の条件について、「このブランドを愛し、理解し、その世界の住人になれる者だけ」と語っています。

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スミレが焼きリンゴにこめた想いは、その条件全てに応えています。

「愛」について。スミレにとってはロリゴシックへの愛は姉への愛と深く重なるものであり、その姉から教わった焼きリンゴをつくることによってロリゴシックへの深い愛着を表現しています。

「理解」について。ロリゴシックの作風を理解していることを、白雪姫における「リンゴ」という少し残酷すぎるようなモチーフを敢えて手土産に持って行くことによって表現しています。

「世界の住人」について。ユリカこそが魔夜の世界の白雪姫であることを十分に把握し、スミレ自身が魔夜の世界における女王となろうとしていることを、ユリカという白雪姫に毒リンゴを食べさせようと振る舞うことによって表現しています。

スミレが全ての条件を満たしたことに満足したユリカは、プレミアムドレスをスミレへ渡すよう魔夜に促します。それを受けて魔夜はユリカに「ユリカはいい先輩になったね」という賞賛を送ります。

この台詞によって、いかにユリカがスミレをいかに丁寧に導いてきたかが改めて思い出されます。スミレがロリゴシックへの愛を魔夜へ伝える手段に焼きリンゴを選べたのは、魔夜は甘いモノが好きとユリカから教わったからですし、ドレスにリンゴがついてると確信できたのも、スミレのロリゴシックに対する理解をユリカが「鋭い」と認めたことが影響しているでしょう。焼きリンゴを用いたお芝居めいた表現も、当惑するスミレに対してユリカが微笑みながら「氷上はどう思う?」と促したおかげでできたことであるように思われます。

 

憶測が大いに混じりますが、ユリカは訪問前日、スミレに同伴の許可を与えた後に、魔夜に対してスミレという新しい後輩に新作プレミアムドレスを譲りたい旨とそれに対する謝罪を伝えていたものと考えられます。

「スノープリンセスコーデ」はユリカのために作られたコーデでした。それは、ユリカがドレス制作の進捗を把握していたことや、ドレスのモチーフが白雪姫であることを発表より先んじて知っていたことからも伺えます。魔夜とユリカの二人で、時間をかけて作り上げてきたドレスだったのでしょう。そして、急にそのドレスを後輩に譲ろうとすることが、魔夜に対してどれほど失礼な振る舞いであるかを理解できないユリカではありません。

ユリカは魔夜に無理を言ってスミレへのドレスの譲渡を申し出たわけですが、だからこそ、魔夜に言われた「いい先輩になったね」という言葉がユリカには深く響いたことと考えられます。これはユリカの下した選択に対する魔夜の赦しであり、祝福でもあります。この言葉を聞いた時、ただその時だけは、ユリカの表情が吸血鬼の顔でもなく、先輩の顔でもなく、ただロリゴシックと魔夜を敬愛するひとりの少女の顔になるのでした。

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 ■

スミレの強い想いがユリカの導きによって、リンゴを介して伝わる――

ユリカの先輩としての素晴らしさ、そしてスミレの想いの強さが、技巧に富んだ脚本と繊細な演出によって描き切られたこの108話は、間違いなくアイカツ!を代表する名エピソードのひとつといえるでしょう。

 

 

その他各部

このエピソードは20話「ヴァンパイア・スキャンダル」と、89話「あこがれは永遠に」を踏まえた内容になっていますので、その2話を見返してから観るとまた一段と面白く観ることができると思います。

ユリカ=白雪姫、スミレ=女王として捉えると、序盤のスミレによるにんにくラーメンの差し入れもまた、『女王が白雪姫に毒リンゴを食べさせる』ことのメタファーであると捉えることができます。吸血鬼のユリカにとってにんにくが毒であるともいえますし、20話「ヴァンパイア・スキャンダル」において、ユリカにんにくラーメンの出前を受け取っている写真がスキャンダルとして週刊誌に載ったことを踏まえれば、ユリカに対して、にんにくラーメンは強い毒として機能するものということになります。

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(20話のスキャンダル記事。この記事は89話でも言及される)

 

しかし、かつて20話でユリカを苦しめたこの「毒リンゴ」を、ユリカは髪をおろし、素のユリカへとキャラをパッと切り替えて平らげてしまいます。

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この素のキャラをためらいなく見せられるユリカからは、知り合ったばかりの少女に素の姿を見せて勇気を与えたエピソード(89話)が思い出されます。

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89話のCMの撮影で、ユリカがロリゴシックとハッピーレインボーという異なるタイプのドレスを巧みに着こなしていたことが端的に示すように、ユリカは吸血鬼と素の少女の異なるキャラクターを行き来しながら、どちらもきちんとユリカであるというように振る舞えるようになっています。

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成長したユリカのもつこの強さが、108話のユリカがスミレに新作のプレミアムドレスを譲れる余裕の下地となっていると考えられます。

20話の時はスキャンダルと立ち向かうためにどうしてもプレミアムドレスを必要とするほど弱かったユリカが、89話では自分から素の姿をさらすことができるほど強くなり、そして108話ではにんにくラーメンという自分を窮地に陥れかねない毒リンゴさえも平気に平らげることができるようになっている――という描写のうちに、もはや後輩にプレミアムドレスを譲っても大丈夫なほどにユリカは強いということが示されているのではないでしょうか。

102話の時点のスミレにとって、アイカツ!とは、他の人と衝突し、傷つけ合うものでした。そのため、スミレは他人を恐れながらアイカツをする、ひとりぼっちの少女でした。しかし、あかりとの出会いをきっかけに、スミレは誰かとアイカツをする喜びを知ります。このスミレの成長がなければ、スミレは「おかしくありません!」と叫ぶことはできなかったでしょう。毒リンゴの肯定はユリカとの衝突を意味します。他者との衝突を恐れながらも、立ち向かい乗り越える喜びをあかりと共に知ったからこそ、スミレはリンゴを力強く肯定することができたのです。

また、スミレが臆病さを克服するという構図が、144話のドッキリ回(魚を克服)でも再び示されていたことから、この「臆病の克服」を、スミレというキャラクターの成長の主軸とみることが可能でしょう。

DCDアイカツ!における白雪姫のロマンスを持つコーデは以下の5種。

ウィキッドミラーコーデ

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ガーリードワーフコーデ

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スマイルドワーフコーデ

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ポイズンアップルコーデ

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スノープリンセスコーデ

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スノープリンセスコーデ以外のものに目を向けると、コーデのモチーフは魔法の鏡、小人、小人、毒リンゴ、となっていますが、主要な登場人物であるはずの「女王」をモチーフとしたものがありません。

この役柄のチョイスは、スノープリンセスコーデが「白雪姫」と「女王」の両者が着られるドレスであることを暗に示すものと考えられます。

白雪姫のためにデザインされたドレスを女王として着る。スミレが見せたそんな新しい可能性にユリカも魔夜も心を動かされたからこそ、ユリカは「私、氷上スミレがあのドレスを着てるところが見てみたい。魔夜さんもそう思ってるんでしょ?」と魔夜に語り、魔夜も「あなたに任せる。上手に着こなして」とスミレにドレスを託したのではないでしょうか。スノープリンセスコーデを女王として着ることは、白雪姫のためのドレスというデザインからの逸脱ではありますが、その逸脱をも認めてドレスを託す魔夜の姿勢が「あなたに任せる」の一言にこめられているとも考えられます。

フォトカツの PR[恋するリンゴ]氷上スミレ はスミレがスノープリンセスコーデを着ているのですが、鏡のこちら側と向こう側で違うポーズ・違う表情となっているのが印象的です。

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無垢な笑顔を浮かべる少女と、鏡の向こうに居る妖しげに微笑みながらリンゴ片手にその少女を横目に眺めるもう一人の少女、というのは、白雪姫とそれを鏡の向こうから見つめてリンゴを食べさせようとする女王、というイメージとぴったり重なるものではないでしょうか。ここからも、スノープリンセスコーデが白雪姫と女王の両者のイメージを併せ持つドレスだと考えられます。

これめちゃくちゃ欲しいんですけど引けてないんですよね……。引きたい……。PR4%またきて……。

魔夜の館でスミレたちの前に立ちはだかる試練たちは白雪姫をモチーフにしたものが多いですが、それらの内実は20話の時にユリカの前に立ちはだかったものと似通っています。急に現れて驚かせてくるネコ、老婆を羽交い締めにする仲間、驚かせる役のアルバイトが実はアイドルファン、壁の向こうからのマイクを使った試練、という要素が共通しています。

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上から20話、89話、108話でユリカ様が見せる笑顔。かわいい。

『タルト・タタン』のステージの最後、鏡が割れる描写があります。白雪姫のヴァリエーションのひとつに、物語の最後に鏡が割れて女王が死んでしまう、というものがあります。108話のスミレが白雪姫における女王であることからすれば、これもまたロリゴシックらしい、ダークな表現というふうに見ることも可能かもしれません。が、103話のステージなどと比較するとその解釈はちょっと違うかな、という感じがします。

『タルト・タタン』は103話→108話→117話と3つのステージで用いられる曲で、その3つのステージでそれぞれ表現が異なっています。目立つ差異は「反転」です。ごちゃごちゃテキストを観てもピンと来ないかもなので、比較動画を貼っておきます。これを観ながら読んでもらえるとわかりやすいと思います。

 

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103話

初め:向かって左にリボン。

スペシャルアピール後:衣装が反転。ダンスの振り付けも反転。

鏡に触れる:衣装も振りも戻る。

最後:鏡が割れる。

 

108話

初め:向かって右側にアップルクラウン。

スペシャルアピール後:衣装が反転。ダンスは反転しない。

鏡に触れる:衣装が戻る。触れるときにウインクする。

最後:鏡が割れる。

 

117話

初め:向かって右側に帽子、衣装の右側にリボン。

今まで木の影に隠して見せなかった「読み取れない万華鏡」の振りをきっちり見せる。

スペシャルアピール後:衣装、ダンス共に変化なし。

「彼は私を」のところで、180度転回し、鏡に向かって踊り始める。

「好きになる~」のところで、カメラが鏡に映るすみれの瞳にズーム。

 →瞳がフェードしていき、反転した衣装をまとったスミレが映る。ダンスは反転せず。

鏡に触れる:衣装が戻る。これまでとは違い、鏡の中の自分を見るのではなく、鏡の横からスミレを撮っているカメラに目線をやっている。

最後:カメラが鏡の裏側に回りこみ鏡を映すと、あたかも鏡が透明な硝子になったようにスミレを映す(衣装も振りも反転せず)。

背景には合わせ鏡がスミレを挟んでいると思しき光景が映される。

 

・103話verと108話verの差

103話と108話の主な違いは、103話はスペシャルアピールの後に衣装と一緒にダンスの振付も反転してしまうが、108話は衣装だけが反転してダンスは反転しない、というものです。衣装が反転していることから、これらのスペシャルアピール後のシーンでは「鏡に映ったスミレ」を映しているのだと思われますが、その場合ダンスも反転している方が自然なはずです。つまり、103話ではスミレは普通に踊っていて、それが鏡に映ったものをカメラが写しとっているが、108話では、スミレはスペシャルアピール後、敢えて左右逆の振り付けで踊っているということになります。これは何を意味しているのでしょうか。

これは、スミレがカメラが何を写しているかを理解し、それに合わせて動きを変えられるようになった、ということを意味しているのではないでしょうか。

 

・108話verと117話verの差

117話ではほとんどのカットでカメラの位置が変更されています。最も特徴的なのは「読み取れない万華鏡」の振りが今まで見えないように物陰で隠していたのが見えるようになっていることでしょう。これは117話verの最後のカットが合わせ鏡のスミレであることと、万華鏡が複数枚の鏡を組み合わせた合わせ鏡の一種であることとの重ねあわせであるとみることができます。『鏡』というオブジェクトに対して、117話のスミレが習熟していることの表現といえるでしょう。最後のシーンの鏡だったはずのものが、あたかもマジックミラーであるかのように透過してスミレの姿を映し出すのも、『鏡』とスミレの関係の発展を示す描写と思われます。

また、103話と108話の間にあった『カメラ』についての習熟も更に進んでいます。それを示すのが、鏡に触れるところの描写の差異です。108話では鏡に写った自分に対してウインクをしていますが、117話では鏡の脇にあるカメラに目線をやっています。その他にも117話verではカメラの位置を強く意識したカメラ目線などが多く見られることから、『鏡』と同様に『カメラ』とスミレの関係もまた発展しているといえるでしょう。

 

・これらの違いは物語とどう関連しているのか?

というのを姉のあずさとスミレの関係、あるいは歌とモデルのどちらを選ぶかの問題などから考えてみたのですが、うまく説明できるような理屈が考えつきませんでした。単純にスミレがステージに習熟した、というだけにしてはかなり細やかな描写なので、何らかの意図があるとは思うのですが。ひとまずはこれからも考えていく課題として残しておきたいと思います。

 

追記:「アイカツ!ステージビジュアルブック」のインタビュー記事にて、3DCGディレクターの北田伸氏がタルト・タタンの3回目の演出について、

「1回目と2回目はデータカードダスと同じ演出にしたんですが、3回とも同じ見せ方にしてしまうと飽きられてしまうと思ったので、3回目は合わせ鏡を取り入れるなど大きく演出を変えたんです。本当にそれだけで、あまり深い意味をもたせていませんでした。」(P99)

と言及してらっしゃるので、合わせ鏡については深い意図はないということのようです。はっきりしてスッキリしたような、肩透かしを食ったような……。