末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

いちそらAdvent Calendar

もういくつ寝るとクリスマス、という時節ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか。

クリスマス!といえばアイカツ!62話「アイドルはサンタクロース!」です。そして62話とは星宮いちごと風沢そらが初めて出逢ういちそら回――ということで、いちそら:いちごとそらの関係性,にまつわるテキストをアドベントカレンダーにかこつけて、クリスマスまで毎日どんどん書いていこうという企画がいま、スタートしました!!

 

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62話より。

 

www.adventar.org

 

初日である今日は、私のいちそらについてのインプレッションを述べることによって、導入とさせていただきたいと思います。

「いちそら」というカップリングはアイカツ!にあまたあるカプの中でも極めてマイナーな部類に入るといえます。わたしがアイカツで好きなカップリングはいちそら、あかスミ、スミレ×水谷郁子なのですが、体感だとtwitterで水谷郁子の話題といちそらの話題を見かける頻度はほぼ同程度です。ひょっとしたら水谷郁子の方が多いまであるかもしれません。まあどちらにせよ、いちそらはほとんど語られることのない組み合わせなわけです。

好きなカプがマイナーであることの悲しみとして、もちろんその二次創作が少ないということもあるのですが、それにくわえて、そのカプへの解釈が更新されにくく、固定化されやすいということも挙げられます。新たな解釈が編み出されることによりそのカプの裾野が広がってゆき、魅力を再発見するチャンスが増える、というプロセスはあらまほしきものですが、マイナーだとなかなかそういったことは起こりません。

そういうわけで、このアドベントカレンダーを通じていちそらに興味を持ち、いちそらに解釈の光を当ててくださる人が増えれば、ひとりのいちそら愛好者として嬉しく思います。

 

さて、どのカップリングを推すかというのは人によってそれぞれであり、誰もみな直感に「ビビビッときた」カプを推すものですが、改めて私がいちそらのどこにビビビッときたのかについて考えてみますと、私はまず、風沢そらというキャラクターがとても好き、というところから入ったのですよね。アイカツ全178話の中で一二を争うほど61話が好きで、そらとミミの宿命的な別離の物語に心を奪われてしまっていたのです。

 

61話で描かれたのは、そらがミミみたいになろうと懸命に頑張った結果、ミミはそのそらの姿に勇気をもらって旅立ってしまい、結果としてそらは憧れの存在との別離を経験することになった――というそらの過去でした。この喪失、別離というイベントこそが風沢そらという人物の根幹であると61話には描かれているわけです。

それと呼応するように、「恋がうまくいかない」というテーゼがkira・pata・shiningの歌詞に反復しています。うまく進まない私の恋。やがて私の手を離れてゆくあなたへの思慕。「けして依存はしないで」とは、自分に言い聞かせるための呪文のように聞こえます。素足の<あなた>に美しく魅せられようとも、その先にある離別の悲しみを知ってしまっているからこそ、けしてそれに耽溺することはできない。恋することへの「恐れ」を知ってしまっているから、自分の恋に対して全力で突っ走るということができず、自分の欲望とどこか距離を置いてしまう。そういった宿命を背負った風沢そらのキャラクター性というものに、私は強く惹かれていました。

こういった解釈で風沢そらというキャラクターを捉えて、このそらの持つ性質が誰とのカップリングで活きるかについて考えてみるとき、星宮いちごとのカップリングは私にとって最良のものでした。

62話において、そらはいちごの髪をくるんと指に絡ませたあと、いちごに対して、こう語りかけます。

「初めて会った気がしない。エンジェリーシュガーを着たあなたを、ずっと可愛いなって見てたから。」

そらはいちごをずっと――おそらくはいちごがアメリカへ旅立つよりも前からずっと――見ていたのだと思われます。そらがドリームアカデミーに入学するよりも前からずっと、初めて会った気がしなくなるほどに、そらはいちごのことを見つめていたわけです。そもそもそらがこのパーティーをデザインした理由についても、そらはいちごの笑顔をうけて「そういう顔が見たかったから」と語っていることから、このクリスマスパーティーはいちごのことを深く想ってそらがデザインしたものであるといえるわけです。どうすればいちごが笑顔になるか。それについてそらは熱心に考え、パーティーをデザインしたのでした。そのためにそらが利用したのがAngely Sugar謹製のいちごちゃんケーキであったというのは非常に味わい深いものです。媚薬をじょうずにAngelySugarにくるんで、そらはパーティーをつくりあげたというわけです。(このあたりについての細かい論考は後日やります)

62話において、そらが深く愛情を傾ける相手として星宮いちごが描かれているという解釈を見出したことは、私にとって大きなブレイクスルーでした。というのも、私はそれ以前から、64話の福女レースで風沢そらが誰のためにPRドレスをデザインしていたのか?そして何故そらだけが優勝した星宮いちごに対し拍手を送らないのか?という問題について考えていたのですが、これらはそらからいちごへの強い愛情を前提にすればすぐに解ける問題であったからです。そらはいちごのためにPRドレスをデザインし、そしていちごに自分が選ばれなかったことから強いショックをうけて拍手することもできずにいたという読みが、そらからいちごへのクソでかい感情を仮定すれば非常に自然になります。つまり、64話において風沢そらは、いちごに選ばれないという失恋をしているのだといえます。残念だけど、うまく進まないもの。それが、風沢そらの恋なのです。

 

まとめますと、このいちそらという関係は物語を非常に見通しよく読みこむことを助ける読解的ソリューションでありながら、また先に述べた風沢そらの「恋がうまくいかない」というキャラクター性にもマッチする美学的強度を持つカップリングであって、私はその両面に対して強い魅力を感じている、ということです。

 

ここまでお読みいただいてありがとうございました。今日の内容はここまでとなります。

明日以降の予定について軽く説明してお別れにしたいと思います。

※予定なので内容に変更などあるかもしれません。

12/19(月)62話について、風沢そらと天羽あすかの相似点を軸に語ります。

12/20(火)67話・恵方巻き回について語ります。

12/21(水)いちそらと蘭ユリの比較からいちそらの可能性について探ります。

12/22(木)大空あかりなどの風沢そらでないキャラに風沢そら性を見出すことによっていちそらを大量生産する「実質いちそら」論法の可能性(と限界)について語ります。

12/23(金)そもそも風沢そらってなんなんだ…という根源的な問題について語ります。

12/24(土)いちそら二次創作小説を書きます。

12/25(日)予備日

よろしくお願いします。

Her Storyをプレイしたぞ

『Her Story』というゲームがすごいらしいとのおうわさはかねがね伺っていたのですが、日本語版が出たということで喜び勇んでプレイしました。とても面白かったです。これはその紹介的な記事なのですが、このゲームをプレイしてみたいと思っている人は、以下は読まずにとにかく買ってプレイしてみることを勧めます。前情報なしのほうが間違いなく面白いタイプのゲームです。

↑日本語版(PC)はここで販売中です。定価598円が11/29までセール価格299円とのこと。Paypal,BitCash,WebMoneyで決済可。

以下レビューです。一応ネタバレには配慮したつもりですが、プレイするつもりの人は読まずに今すぐコンビニにでも走って電子マネーを得て買ってしまうのがいいと思います。

 

ゲームのジャンルはアドベンチャーゲームであり、キーボードとマウスを使います。

このゲームの目的は、警察のデータベースに保存されているある女性の事情聴取映像をできるだけたくさん観て、彼女がある事件についていかに語ったかについて迫ることです。ゲーム画面にはいかにも古めかしい端末のデータベースが映し出されます。データベースがあるのなら頭から順に全部見ていけばいいのではと思いますがそうもいかず、この旧式のポンコツデータベースは動画ファイルを古い順から5つまでしか表示できません。動画ファイルは合計271個もあり、これらを見るためには検索を駆使しなくてはいけません。たとえば「殺人」とフォームに入力して検索ボタンを押せば、動画で彼女が「殺人」と発言しているものが古い順に最大5つまで表示されます。そうして新しい動画を見つけ、そこで彼女が語ったことからまた新しい検索語をひねり出し、動画を見つけて…と繰り返すことによって、動画を収集しつつ彼女の身に何が起こったのかについて推理していくのがゲームの流れです。

この検索フォームに何を入れるかを考えるのがめちゃくちゃ楽しいです。集中を凝らし動画を見つめ、過去に見た動画と結びつけて前後の文脈を想像しつつ語られるひとつひとつの言葉に耳を傾けて、彼女の息づかいや視線も合わせながら彼女の中に息づく物語を読み取っていくわけですが、その読み取りの精度、確かさが、検索のヒット数として評価されるんですよね。なぜ今こんなことを言うのだろう?と思ったワードで検索して未見の動画がヒットしたときには、俺はちゃんと彼女の物語を読めているぞ!という喜びをかみしめられます。物語を読みこむということについて報酬がちゃんと用意されていて気持ちよくなれるというのがこのゲームの素晴らしいところであり、物語読解のゲーム化というのはこういう形でできるんだなあという新鮮な驚きがありました。

そして、このゲームが「『語ること』についての物語」をなしていることも私がこのゲームを大好きな理由なんですよね。以前ライフ・オブ・パイの記事でも書きましたが、この語ることの魔力について描いたフィクションが本当に好きなんです。彼女のストーリーの果てに何が起こってしまうのか。ぜひ『Her Story』をプレイして見届けていただきたいと思うところであります。

アイカツ、100話と173話に見る『WM』+アイカツベストエピソード14本

書こうかなと思いながらも放置していた美月とみくるについての話をします。100話と173話の話です。取っ掛かりとしてまずこのツイートを検討してみましょう。

 Wは英語だとダブリューですがフランス語ではドゥブルヴェであり、ふたつのVです。ここでみくるがつくるVサインは、分割されたWの片割れであるといえます。というのも、みくるのブランドであるViVid Kissは、その大文字の配置から明らかなように、ふたつのVによってWを表しているからです。ViVidのふたつのVでW、そして美月のLOVE MOONRISEのMと合わせることによって『WM』を成すというのが、ViVid Kissに織り込まれた仕掛けだと思われます。

つまりこのみくるのVサインとはViVidのVであり、Wの片割れであるわけです。ここで言い添えておくと、二人の手を繋いだときのシルエットをMの字と捉えるというのも、CGシーンにおいて二人が手を合わせてWを、脚を重ねてMを表現していたことからいっても、けして不自然な読解ではありません。

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この読みを認めるならば、みくるがMを崩してWの片割れであるVを美月へと突き出すというのは、WMの決定的な破断をみくるがもたらしたことを意味します。

WMの解散は予定されていたことではありましたが、美月はみくるのガーデニングの大会が終わって帰ってきた時には、再び隣に立つことができると思っていたのではないでしょうか。しかし、みくるは美月とライバルとして対決したいと語ります。美月はそれにショックを受けます。アイドルとしての二人のパートナーシップは、ここで完全に断たれてしまったのでした。

 

時は流れて173話、「ダブルミラクル☆」において、WMはスターライトクイーンカップを盛り上げるため、1日限りの再結成を行います。

そのステージ前に、美月は「これがWMのラストステージね」と改めてみくるに解散を明確に告げます。しかしその後、後輩たちのために、一度限りのWMの復活したステージを全力をかけてやり切ることをみくるに求めて、美月はみくるの手を握ります。

このとき、美月がみくるの手を握ることによって、ふたたび“M”のシルエットが生成されています。そしてみくるは美月の求めに応じて、「みくると美月の二人のミラクル、見せちゃおうかな」と二つのピースサインを作ってみせます。

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この二人の行動が100話のやり取りのアレンジである、ということに異論はないでしょう(ご親切に直前にそのシーンの回想まで挟まれています)。手をつなぎMをつくり、ふたつのピースサインをつくり出してWを示してみせるWMのふたり。これは一瞬のまたたきのようなWM再結成を、二人でけんめいに愛おしむ所作にほかなりません。

 

美月がみくるにきっちり解散の意志を告げて(101話では空港へ見送りに行けないと言いながらも流されて見送りに行った美月が!)、あの時切り離されたみくるの手を再び取れるようになったというのは、美月が大スター宮いちごまつりと大スターライト学園祭を経て、いちごやかえで、ユリカと、それに織姫学園長とも絆を結び直すことができた経験の上に立って、初めて成し得たことでした。

美月はかつてのようなこわばった笑みではなく、心からの笑みを浮かべながらみくるを送り出せるようになりました。この美月の姿を見ながら、わたしの心に浮かぶのはTake Me Higherのこの一節でした。

 

「けして完結しない 欲望の中で 生きるのを愛してる」

 

美月の駆け抜けた日々の物語に、彼女の歌ってきた歌が完璧に追いつき、重なった瞬間!これぞまさに、アイカツという物語を追い続けてよかったと思う瞬間でありました。

ああ、神崎美月!ああ、アイカツ!

 

 

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ここからは完全に別の話なのですが、アイカツ!のベストエピソードをチョイスしたけど書くタイミングがなかったやつを、ここでついでに書いておきます。

 

6話   サインに夢中!

16話  ドッキドキ!! スペシャルライブ PART1

17話  ドッキドキ!! スペシャルライブ PART2

30話  真心のコール&レスポンス

32話  いちごパニック

40話  ガール・ミーツ・ガール

61話  キラ・パタ・マジック☆

62話  アイドルはサンタクロース!

71話  キラめきはアクエリアス

89話  あこがれは永遠に

108話 想いはリンゴにこめて

113話 オシャレ☆ヴィヴィッドガール

148話 開幕、大スターライト学園祭☆

173話 ダブルミラクル☆

 

以上の全14本が私的ベストエピソードです。アイカツ!は都合14クール放送したということで、14本という数字もちょうどいいかなと思っています。もっと特定のキャラのエピソードばかり選んでしまうかなとも思ったんですが、存外バランスよく散らばりましたね。61話と108話については過去にレビューを書いているので、そちらもぜひ読んでいただければと思います。

 

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!4話と「お伽草紙」

ラブライブ!サンシャイン!!の4話、「ふたりのキモチ」のレビューです。

4話はルビィと花丸が互いに抱く思いやりにからくるすれ違いを越えて心を通わせる瞬間を描いた美しいエピソードでしたが、この話にとある実在の小説が引用されていることに、私は強い興味をおぼえました。

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その小説とは、太宰治の「お伽草紙」です。

太宰治 お伽草紙青空文庫

もともと国木田花丸は沼津ゆかりの作家である芹沢光治良を愛読しているという設定があり、彼女が日本近代文学にあかるいのは頷けるところなのですが、そこで名指しで引かれるのが太宰のお伽草紙なのはなぜなのでしょうか。

この記事ではお伽草紙という物語がこの4話と、さらにはラブライブ!サンシャイン!!という物語全体とどのような関わりを持っているのか、どう結びついているのかについて考察してみました。みました、なんて言うと亀に怒られそうですが……。

 

お伽草紙とは――「翻案」の物語

お伽草紙太宰治のキャリアでいえば中期にあたる時期に発表された作品で、浦島太郎などの古いおとぎ話に材を取り、それらをユーモアや皮肉を交えながら翻案した短編をあつめたものです。執筆時期は1945年3月から7月にかけてであり、太宰はこの物語を戦火に追われながら書きました。防空壕での親子のやり取りからなる導入部は、その時勢を思わせるものです。
この小説の主部はおとぎ話の翻案である短編小説群なのですが、それらの短編に先立つように、導入としておとぎ話の語り手(=太宰)と娘のやり取りが描かれます。ここで語り手が防空壕で娘におとぎ話の絵本を読んで聞かせているときに、同時にそのおとぎ話を基にした『別個の物語』を胸中に育ててゆくさまが描写されます。この『別個の物語』こそが後に連なるお伽草紙の短編たち、ということになっているわけですね。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間の抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醞醸せられてゐるのである。

お伽草紙 冒頭部より引用、強調は引用者による)

  このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。(...)私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

  ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

お伽草紙 瘤取りより引用、強調は引用者による)

ここで「絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す」という語り手/太宰の心的動態が繰り返し書かれていることに注目してみましょう。ある物語を読んだことによって新しい物語が生成されるというプロセスは、そのままラブライブ!サンシャイン!!という物語の成り立ちを説明しうるものであります。

サンシャインは千歌がμ'sと出会い、μ'sを追いかけることから始まった物語です。秋葉原で千歌がμ'sの物語に触れ、そこで千歌の胸中に浮かび上がってきた「全く別個の新しい物語」こそがサンシャインだといえます。

2年生3人がAqoursとなってファーストライブを開催するところなどは、そっくりそのままμ'sの歩んだ道程をなぞっているようでもありましたが、しかしAqoursのファーストライブはμ'sのそれと違い、会場を満員にする大成功をおさめました。この辺りに、サンシャインの「全く別個の新しい」物語としての歩みを読み取ることができます。

お伽草紙はおとぎ話、サンシャインはμ'sの物語(=アニメ版ラブライブ!)という、みなによく知られた物語を下敷きにしながら真新しい物語を紡いでいる、という点で、サンシャインとお伽草紙は共通の形式をもっているのであり、このサンシャインという物語が翻案によってなされることを指摘するものとして、お伽草紙が引用されているという解釈が可能なのではないでしょうか。

 

さて、このサンシャイン4話においては、雑誌の花嫁衣装を着た凛の写真という明確な形でより細かく翻案元のネタを示しています。これはラブライブ!2期5話、「新しいわたし」で星空凛が着た衣装であり、サンシャイン4話が「新しいわたし」をベースにしている翻案の物語であることを示しています。

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 サンシャイン4話にどのような翻案を見ることができるかを示すために、まず「新しいわたし」がどのような物語だったかを振り返ってみましょう。

「新しいわたし」は自分は可愛くなんかない、アイドルに向いてないと思い込む凛に対して、花陽がセンターとして着るはずだった花嫁衣装のドレスを凛に着るよう働きかけ、凛を勇気づけるエピソードでした。エピソード中にはラブライブ!1期4話「まきりんぱな」の回想が挿入され、いま花陽が凛の背中を押そうとするのは、かつて花陽がμ'sへ加入するのを諦めそうになった時に凛に背中を押されたことへと報いる行動であることが示されています。

この凛と花陽の関係性が、サンシャイン4話「ふたりのキモチ」においてはそっくりそのまま花丸とルビィの関係に置き換わっているわけです。社へつづく石段で花丸はスクールアイドルになるようルビィの背を押して、それに報いるようにルビィは図書室へと駆け込んで花丸の背を押し返します。花丸が凛の写真に感動し、ルビィが好きなμ'sメンバーとして花陽の名前を挙げているところからも、両者それぞれの対応関係を見つけることができます。

ここまで示した二つの物語の重なりによって、「ふたりのキモチ」が「新しいわたし」の翻案であることが説明できます。そしてこの翻案は確かに「新しい別個の物語」としても確かに成立しているといえるでしょう。この凛の写真の参照は、凛⇔花丸、花陽⇔ルビィという対応関係を明らかにするとともに、アイドルとしての自信がなかった凛が振り絞った勇気が、時を越えて自信のない花丸を勇気づけている、というドラマを物語るものでもあります。ただ過去の物語をなぞるだけではなく、そこに新しい別個の物語を浮かび上がらせていることこそが、サンシャインのもつ面白さのひとつなのではないでしょうか。

 

もう一つ、この翻案という形式を活かしたシーンを挙げておきます。そこでキーになっているのは「絵本」です。

お伽草紙において、既存のおとぎ話と太宰の紡ぐ新しいおとぎ話の間には絵本というものが触媒のように存在していました。太宰がおとぎ話の絵本を読むことによって胸中に新しいおとぎ話が生成される、という過程がお伽草紙では書かれていましたが、サンシャイン4話においては、その「絵本」の役割を「アイドル雑誌」が果たしているように見えるのです。

4話において、物語を推進させる「語り手」の役割は花丸であり、その花丸が回想の中学時代の図書室にて読んでいた本こそが他ならぬお伽草紙でありましたが、その時に花丸のすぐ後ろでルビィの読んでいた本とはアイドル雑誌でした。

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お伽草紙冒頭において語り手である父が娘をなだめるために読むのが絵本でありましたから、両者を対応させてみれば、花丸の居場所であった図書室が逃げ場である防空壕であり、娘をなだめる父が花丸であり、絵本になだめられる娘がアイドル雑誌を嬉々として読むルビィ、という見立てが成立することとなります。ルビィにとって図書室が防空壕であるというのは、姉である黒澤ダイヤからアイドル雑誌を「それ、見たくない」と言われたあとなのだとすれば頷ける話です。ルビィが安息してアイドル雑誌を読んでいられる場所は、家ではなく図書室だったのかもしれません。

 

そして、アイドル雑誌は沼津の本屋にて再登場します。ここで雑誌を読むとき、かつてお伽草紙を読みながら「新しい物語」を空想していたときのように、花丸がそっと目を閉じる描写が描かれています。

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「そこで読む本の中で、いつも空想をふくらませていた」

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「μ'sか。オラには無理ずら」と諦めの言葉を漏らしていた花丸が、雑誌の凛の写真を見た後には、ルビィへとスクールアイドル部への体験入部の意向を伝えることを決意したような表情を見せていました。無理ずらから体験入部までには心理的な飛躍が認められますが、この間を埋めたものとは何だったのでしょうか。

それは、アイドル雑誌の写真を見て目を閉じてから開くまでの間に、花丸がまぶたの裏に見た、胸の内に広がったひとつの空想であったのだと思われます。アイドルとしてきらきら輝く自分の姿を、花丸は花嫁姿の凛に自分を重ねる形で想像したのではないでしょうか。

だとすれば、凛の物語から生じた花丸の胸中の物語、という形で、ここでもある種の「別個の物語」の生成、ひとつの翻案がなされているといえます。絵本を読んで太宰の胸中におとぎ話が育ったように、花丸もまたアイドル雑誌を通じて、自分がアイドルになるというとても魅力的な物語を胸中に描くことができたのではないでしょうか。

 

・太宰と「沼津」

ここからは、翻案以外の要素について検討していきます。まずは「沼津」について。サンシャインの舞台である沼津ですが、お伽草紙の作中には沼津について言及している箇所があります。

「浦島さん」の冒頭で語り手は、浦島太郎の舞台である丹後の海に、浦島太郎をも載せられる、たいまいのように手に鰭を持つ大型の亀が居るだろうかと自問自答します。そこで語り手は沼津で大きな赤海亀を見たという自身の体験を引き合いに出して、それならば丹後にも居てもおかしくないはずと結論づけて、おとぎ話の亀を赤海亀と設定します。

そこで、私は考へた。たいまいの他に、掌の鰭状を為してゐる鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいふものが無かつたか。十年ほど前、(私も、としをとつたものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送つた事があつたけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがつたといつて、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、といふ名前だつたと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがつたのならば、まあ、ぐるりと日本海のはうにまはつて、丹後の浜においでになつてもらつても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだらうと思はれる。それでも潮流がどうのかうのとか言つて騒ぐのだつたら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言つて澄ます事にしよう。科学精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も仮説ぢやないか。威張つちやいけねえ。

お伽草紙・浦島さんより引用)

沼津は太宰が処女作である「思ひ出」を書き上げた土地であり、また代表作のひとつである「斜陽」のはじめ二章までを執筆した場所でもあります。とくに太宰が「斜陽」を書いたのは沼津の安田屋旅館においてであり、この安田屋旅館とは千歌の実家である「十千万旅館」のモデルです。太宰とサンシャインはその土地を介して深く結びついているといえるわけですね。

お伽草紙で書かれている「沼津の海浜の宿で一夏を送つた」とは、前述の「思ひ出」を書いた逗留のことを指すものと思われます。安田屋旅館には「思い出」という名のつけられた風呂があるそうですが、その沼津逗留にあやかったネーミングなのでしょうね。

ちなみに太宰の他の作品だと「富嶽百景」にも沼津への言及があります。こちらでは沼津から見た富士山の眺望について書かれているのですが、そういえば4話には渡辺曜が「富士山くっきり見えてる」と屋上で感嘆するシーンがありましたね。

 

・「引返す」ことは可能か?

さて続いて「浦島さん」からの話なのですが、「浦島さん」において、亀が浦島太郎に対して『引返す』という語について説教をぶつ箇所があります。

 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなつた。
「それぢやまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」

お伽草紙・浦島さんより引用、強調は原文ママ

浦島太郎の云った「腰掛けてみる」という言葉の尻をとらえて、引き返すことの不可能性を亀が厳しく説くものなのですが、これは花丸が体験入部という「~してみる」理屈をつかった上で、結局入部しようとしなかった(=引き返した)ことに結びつくものとして読めます。花丸は体験入部でアイドルになってみることを選び、そして社へと続く石段を途中で引き返します。社への石段を登り切ることは、ルビィが登り切った時のメンバーのリアクションや、元スクールアイドルと思しき果南がゆうゆうと石段を登っていることなどを加味すれば、アイドルとなることのひとつのイニシエーションであると捉えられるわけですが、花丸がそれを途中で引き返すのは、彼女がアイドルとならないことを強く印象づけます。しかし最終的に花丸はアイドルとなるわけであり、結果的に亀の「どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ」という理屈が通っているかたちになっているわけです。このお伽草紙との重なりは実に面白い調和だと思います。

さて、浦島太郎といえば竜宮城、そして乙姫ですが、Aqoursのシングル曲、「恋になりたいAQUARIUM」 は竜宮城の乙姫のイメージをジャケットや歌詞から感じます。

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「サカナたちのパーティー」は竜宮城での「タイやヒラメの舞い踊り」かという感じですが、あわあわ、と泡と恋が取りざたされる2番の歌詞は人魚姫を想起させるものでもあります。ジャケットの花丸なんかは人魚っぽいポーズを取っているようにも見えますし、陸から海へ行く浦島太郎と海から陸へ行く人魚姫の両方をモチーフにしていたりするところに何かしらの意味があるのかもしれません。

 

・「日本一」の物語

少し話が逸れましたが、今一度お伽草紙に話をもどします。次は「日本一」についてです。
ラブライブ!2期において、μ'sはラブライブ!大会で優勝し、日本一のスクールアイドルとなったわけですが、この「お伽草紙」には、太宰が日本一である「桃太郎」のような存在については書けないと語る箇所があります。

(…)しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語 一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言ふ事になると、いくらお伽噺だからと言つても、出鱈目な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言つたら、その口惜しさはどんなだらう。だから、私はここにくどいくらゐに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、 決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、さうしておれはその桃太郎を書かなかつたんだぞ、だから、この「お伽草紙」には、日本一なんか、もしお前の眼前に現はれたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかつたか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰といふ作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。

お伽草紙・舌切雀より引用、強調は引用者による)

お伽草紙に現れる人物は「極めて凡庸の人物」であり、決して日本一ではないということを太宰は荒っぽく語ってみせるのですが、それではさて、このお伽草紙を引用し、構造によっても深く重ねられたサンシャインにおいて、Aqoursラブライブ大会を優勝することができるのでしょうか?お伽草紙同様に、極めて凡庸な普通星人たちの物語こそがサンシャインであるならば、Aqoursが日本一になることはない……のかもしれません。

 

・よしまるなんだよな…
最後はただのトリビアですが、太宰治は本名を津島修治といい、善子と同じ津島姓です。つまり太宰を読む花丸というのは即ちよしまるなのですよね。よしまる、一番すきなカップリングです。

以上がお伽草紙から読むサンシャイン4話でした。ここからは4話の演出でこれは、と思った箇所などの列挙です。

  • 中学の図書室でお伽草紙を読むシーンと、沼津の本屋でアイドル雑誌を読むシーンは前述の通り、本を介した空想という点で重なりあうシーンではあるのですが、その他にも花丸が読み終えたあと、本を抱えた少女へと振り返るというところも共通しています。図書室ではアイドル雑誌を読むルビィへ、本屋では天使大辞典を抱える善子へと振り向きます。よしまるなんだよな……。
  • 千歌の「絶対悪いようにはしませんよ~」はサンシャイン1話でも使われていた言い回しですが、これはラブライブ!1期4話で穂乃果が花陽に対して使っていた誘い文句でもありました。これも凛の写真同様、1期4話→2期5話→サンシャイン4話の流れを押さえた参照なのでしょう。
  • 2期5話は最後の台詞が凛の「さあ、今日も練習、いっくにゃー!」だったのに対して、サンシャイン4話の最後の台詞は「さあ、ランニング行くずらー!」であるのも対比が効いたにくい演出です。

サンシャイン、キャラの可愛さと繊細な演出と過去への参照が醸し出す奥行きの深さが合わさり最高ですが、この4話はとくにその表現において傑出しているエピソードだと思います。これからもっと凄いエピソードが来ることに期待しています。

劇場版アイカツスターズ!を観た

「劇場版アイカツスターズ!」&「アイカツ!ねらわれた魔法のアイカツ!カード」の二本立て上映を観てきました。

以下映画の内容にふれるネタバレがあります。また、映画への否定的な記述が含まれています。そういったものを読みたくない人は読まないことを推奨します。

 

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アイカツ!53話のいちごの火の輪くぐりのニュース(英字)

アイカツ53話、「ラララ☆★ライバル」に出てくる英語の記事3つのうち、サーカスでの火の輪くぐりのものについてテキストに書き起こしてみました。

f:id:yoshidastone:20160427002945j:plain
正確さは保証できません。あくまで参考程度にしてください。
一箇所潰れて読み取れなかった部分を*とおいています。

最後の一行は下が見切れているせいで語も不正確な可能性が高い上にピリオドも適当につけてるのでとくにご注意ください。

-

Ichigo passes
through the ring of
the fire of circus!!

The new "star" of
expectation to "the greatest show
in the ground" appeared.

A November certain day..
The Richmond public performance of ring ring Brothers and Barnum
and Bailey circus [following ring ring circus] opened the curtain bril-
-liantly. About 15,000 spectators thronged the RED public performa-
-nce performed in the Richmond Colosseum on that day. Various sho-
-w unfolded by the specialty of the ring ring circus which is proud of
100 years of history, and animals.
The smoke covered the stage top suddenly just before jumping thro-
-ugh flaming hoop by the climax and a big cat.
The spectators who lighting also falls and begin to be noisy. Then, the
announcement of babble resounded through in the hall suddenly.
「Ladies and gentlemen. It's a Amazing "AIKATSU" show!」 a tiger
with cute the smoke having disappeared and having been compared
with the spotlight on the stage -- she was the cute Japanese girl who
were not __ but the stuffed-animal suit of the tiger.
「Ichigo __ !?」 One of spectators shouted.
She is the finalist of an idol excavation program to whom she was
performed in Octorber, this year, Ichigo Hoshimiya. She who stared
Hart, the judge, by the sensational appearance by the parachute
jump from a Cessna plane by the initial screeming of audition beca-
-me a celebrity of the living room instantly. (Incidentally the parac-
-hute at this time is inherited from the super idol of our country un-
-der activity, and maple in Japan now.)
Since then, her who attracted attention of the world with the eye cu-
-tlet which goes the stunt top of anticipation. It is the appearance of
when [which regar               ded as -- what kind of performance you
would next show ]. The ring of the fire for big cats in the point which
Ichigo who flew and was waving the hand to the spectator with the
smiling face of * in the "Noriben call" not coating showed." -- future
-- today's special event and me -- it is jumping through flaming hoop
by Ichigo Hosyimiya -- the rise of the flow lit by." assistant in the

-

要点

  • 11月某日、「ring ring Brothers and Barnum and Bailey circus」というサーカス団がリッチモンド・コロシアムにて公演(Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circusのもじり)。ここでいちごは虎の着ぐるみを着て火の輪くぐりをした。
  • いちごは10月に行われたアイドル発掘番組のファイナリストになっている。その番組への登場がセスナ機からパラシュートでの降下であったこともあり、瞬く間にお茶の間の人気者になった。また、そのパラシュートはmaple(=かえで)から継承されたものでもある。

50話でかえでに託されたパラシュートはちゃんと活かされたらしい。それでかえではやっぱり向こうでも人気があるのだなあ…(the super idol of our countryとは)

ここさけを観た

アニメ映画、『心が叫びたがってるんだ。』を観た。

めちゃくちゃ良かったが、どう良かったとはなかなか言い表しづらいタイプの作品だった。でもとりあえず何かは言っておきたいということで、作品の全体から、序盤中盤終盤からシーンを一つずつ選んであれこれ言っておくことによって、うさを多少晴らしておこうと思う。後で観返す時用のメモといってもいい。当然ネタバレがある。

 

序盤

冒頭の、順が母に玉子焼きを口に押し込められながらおしゃべりな子であることを咎められるシーン。

ここで順には「口にすること」に対する呪いがかかり、喋ることが禁止され、玉子の空想に囚われるようになった。順の物語においておしゃべりを封印するのが玉子であるのは、この体験が鍵になっている。

 

中盤

順がクラスで披露した即興の歌。今まで話すことのなかった順が口を開く瞬間が、また二人の諍いを歌で止めようとする展開が非常に劇的・ドラマチックであり、そこに歌が合わさることにより、あのタイミングにおいてはドラマと歌の合体、つまり『ミュージカル』が成立していた。だから奇跡も起こる(喧嘩も止まるしミュージカル企画も成立する)。

また、このときの順の歌を、後にDTM研究会のひとりがボーカロイドに歌わせるシーンについて。

これは、アナログに「口で」歌うことと、デジタルに「打ち込む」ことによって歌わせることの対比を描いているのであって、当然これは口で話すことと、メールを打ち込んで読ませることとの対比と重なるものである。順の携帯がガラケーであることも、順のメールが「打ち込まれる」ものであることを強調する。

 

終盤

廃墟となったラブホテルの一室。順はステンドグラスが照らすベッドを背にして床に座っている。

作中、光と影の対比は繰り返し繰り返し、ちょっとしつこいほどに描かれる。光を浴びる人は自分の想いを率直に口にできる。影にいる人はそれができず、言いたいことを胸の内に押しとどめる。

それを踏まえた上でステンドグラスを解釈すると、これはまず電気の通っていない廃ホテルの内部を照らす光源であることに間違いはない。しかしステンドグラスというものは、太陽の白色光を色づいたガラスによってかげらせるものとしても捉えられる。

光でありながら同時に影でもある――ステンドグラスとは、光と影との両方のイメージを併せ持ったものではないだろうか。ステンドグラスに描かれた図像は「太陽」と「月」であった。それぞれが陽と陰の象徴であることは言うまでもない。

ここでの順と坂上とのやりとりは一度では追いきれなかったところがあるので、そう遠くない内にもう一度は観たい。

 

全体を通してみれば、事実を脚色して作った物語を母に語ることによって母を傷つけてしまった順が、再び事実を脚色して作った物語をミュージカルという形で語り直すことによって母との絆を再生させる、という母子のストーリーの部分に強い魅力を感じている。この軸でここさけが好きな人は多分、プリズムショーが原因で傷ついた家族がプリズムショーで再生していく物語であるところのプリティーリズム・オーロラドリームも多分好きだと思うので、プリティーリズムを観てください。