末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

アイカツ!123話「春のブーケ」にみるアーサー王物語の影、と風沢そら

いちそらアドベントカレンダー3日目の記事です。

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本日、フォトカツの次のイベントである「開幕!フォトカツ紅白」の詳細がお披露目になりましたね。

 以前よりPR大空あかりがメドレーイベントの報酬となることが明かされており、もし上位報酬だったら地獄だぞ…と思われていたフォトカツ紅白でしたが、PRあかりは上位報酬だけではなく完走報酬としても配布されることが判明し、ほっと胸をなでおろした方も多いのではないでしょうか。

このフォトカツ紅白というのは63話「紅白アイカツ合戦!」を踏まえたものでしょうし、紅白アイカツ合戦といえばドリアカ勢が大活躍するエピソードなので、風沢そらの活躍なるか、期待したいところですね。

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と、ここまで書いたところで信じがたい訃報がTLに流れてきました。井内秀治さんが亡くなられたとのことです。

井内さんはキャリアも長く、携わった作品も数多いですが、私にとってはプリティーリズムシリーズの印象がとても強いです。レインボーライブのシリーズ構成はじめ、オーロラドリーム、ディアマイフューチャーの絵コンテ・脚本を担当されていて、シリーズの中核を担う存在でした。井内さんの力が注ぎこまれたプリティーリズムが本当に大好きで、私にとってとても大切な作品です。心からお悔やみ申し上げます。

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今日の記事は予定を変更して、123話「春のブーケ」について語りたいと思います。

アイカツ井内秀治さんが絵コンテを担当している回はふたつあって、ひとつは137話「ワクワク☆ユニットカップ」、そしてもうひとつがこの123話です。

 

123話で私が着目したのは、瀬名がロマンスストーリーのドレスを作る上で、どの物語をテーマにするかを選ぶ際に、瀬名がアーサー王物語の本を読んでいる点です。

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後のカットには、瀬名の机の上に散乱する絵本たちが描かれますが、それらと比べてややアーサー王物語が特権的に描かれているように思われます。

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なぜこのエピソードにおいて、他の絵本よりも一等大きくアーサー王物語が取り上げられているのでしょうか?私はそれは、123話が「不義の恋」の物語であるからだと考えています。

 

アーサー王物語において重要な役割を果たすキャラクターのひとりとして、ランスロットという騎士がいます。ランスロット湖の騎士と呼ばれる、アーサー王に忠誠を誓う騎士であり、円卓の騎士のなかでも特に武勇を誇る人物でした。しかし、アーサー王の妻であるグィネヴィア妃と道ならぬ恋に落ちたことにより、円卓の騎士を二分する大きな争いを引き起こしてしまいます。この戦いの結果、かつての主君であったアーサー王は死に、愛するグィネヴィアは出家します。ランスロットもまた出家して、二人は離れ離れに暮らす……というのがランスロットの物語の末路です。

また、アーサー王の円卓の騎士にはランスロットと並び立つ高名な騎士としてトリスタン(トリストラム)という騎士がいますが、この騎士の物語として「トリスタンとイゾルデ(イズー)」という物語がよく知られています。トリスタンは叔父であるコーンウォール王・マルケに仕えていましたが、マルケの結婚相手として金髪の乙女であるアイルランドの王女・イゾルデを連れてくるよう命を受けてアイルランドへ向かいます。王女を得るために竜を退治したトリスタンはイゾルデを連れて船でコーンウォールへと向かいますが、そこで二人は媚薬を飲んでしまい、愛で結ばれてしまいます。マルケ王とイゾルデが結婚したあとも二人は密通を重ねますが、その道ならぬ恋は王に露見してしまいます。イゾルデから身を引いて旅立ったトリスタンは、ブルターニュでもう一人のイゾルデ<白い手のイゾルデ>と出会って結婚しますが、トリスタンの心は金髪のイゾルデに惹かれたままです。ある戦いで傷ついたトリスタンは、金髪のイゾルデに会いたいとコーンウォールへと連絡します。金髪のイゾルデはトリスタンの元へと向かいますが、嫉妬にかられた白い手のイゾルデは、トリスタンに対して金髪のイゾルデは来なかったと嘘を吐きます。絶望したトリスタンは絶命し、それを知った金髪のイゾルデも後を追って死ぬ――というのが、「トリスタンとイゾルデ」のあらすじです。

 

アーサー王物語にみられる、主君の妻と不義の恋に落ちて悲しい結末を迎えるこれらの物語たちのイメージこそが、123話のあり得たかもしれないストーリーを暗示するものなのではないでしょうか。つまり、瀬名翼が湖の騎士となり、あるいは星宮いちご金髪のイゾルとなり得た可能性というものを、瀬名の読むアーサー王物語の本は語っている、ということです。瀬名は恩師・天羽あすかのミューズである星宮いちごのためにプレミアムレアのドレスをデザインしようとします。一人のアイドルと、二人のデザイナー。星宮いちごと、天羽あすかと、そして――。

そのように123話を捉えてみたとき、そこに見出される三人の関係性とは、じつは64話の三人の関係性と近しいものといえます。64話でそらは熱心にプレミアムドレスをデザインしますが、しかしいちごはそらのドレスを選ばず、あすかのドレスを選びました。

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64話。福女レースで優勝しお仕立券を得たいちごにみな拍手するなか、そらひとりだけ拍手しないで立っている。

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139話、「ジョニーと花嫁」で挿入される天羽あすかに教えをこう風沢そらの回想。

瀬名もそらも天羽あすかの教えを受け、またどちらもいちごを求めたことのあるデザイナーであるという共通項があります。さらに加えるなら、二人にはどちらも茂みから飛び出してくる、という共通項もありますね。瀬名は春のブーケ・123話の3話後の126話に、そらはフォーチュンコンパス☆・64話の3話後の67話に、それぞれ茂みから飛び出してきます。その時瀬名は迷っていませんが、そらは迷っています。そのそらの「迷い」については以前書きましたので、合わせて読んでいただければと思います。

瀬名とあかりの関係はいちそらの失敗(そらの失恋)の上にはじめて成立するポストいちそら的関係となっている、と結論づけたところで今日はおしまいにします。お読みいただきありがとうございました。グンナイ……

 

参考にしました:

ランスロット - Wikipedia

トリスタン物語の成立と発展/あらすじ: トリスタン研究ノート

トリスタン - Wikipedia

アイカツ!62話 いちごのデザイナーとしての風沢そらと天羽あすか

いちそらアドベントカレンダー2日目の記事です。

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今日はアイカツ!62話「アイドルはサンタクロース!」の話をしようと思うんですけど、私は以前にも62話について記事をひとつ書いています。

 

suekichi.hatenablog.jp

今日のはこれとはちょっと違う角度から62話を捉えたものです。

 

今回重視するのは、タイトルにもなっていますが、風沢そらと天羽あすかを対比する視点です。

62話で描かれるデザイナーとしての風沢そらとアイドル・星宮いちごの関係は、32話「いちごパニック」における天羽あすかと星宮いちごの関係を踏襲するものとなっています。詳しくみていきましょう。

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62話で、巨大ケーキの概要を知って夢がかなったと喜ぶいちごと、それを喜ぶそらのやりとりは次のようなものでした。

「よかった」

「え?」

「私がケーキを大きくしようと思ったのは、ううん、クリスマスパーティーをデザインしようと思ったのは、そういう顔が見たかったから。自分が作った服で、誰かを元気に、ハッピーにできたらいいと思って、私のブランド、ボヘミアンスカイを作った。この世界を楽しく、幸せにするためのものなら、どんなものでもデザインしたい。ドレスもケーキも、パーティも。デザインに境界線、ボーダーなんてない」

 

次に32話の、あすかのエンジェリーベアのプレゼントに対して笑顔でお礼を言ういちごとあすかのやりとりは次のようなものでした。

「良かった。そのお顔が見たかったわ」

「顔?」

「エンジェリーベアはね。最初は自分の子供たちのために作ったの。それが評判になって、親戚、友人、そしてエンジェリーシュガーを愛するみんなのもとへ届けることになった」

「とっても大事なものだって聞きました」

「ええ。数が増えてもそれは変わらない。願いをこめて、ひと針ひと針丁寧に作ってるわ」

「願い?」

「笑顔になってほしいって」

「笑顔」

「あなたを選んだのはね。その願いをきっと間違いなく届けてくれるって思ったから」

 「そういう顔が見たかったから」と「そのお顔が見たかったから」と似通った発言をしていることや、そらの語る「デザインに境界線、ボーダーなんてない」という言葉があすかがテレビで語っていたフレーズであったことを考慮に入れれば、ここでのそらは天羽あすかと深く重ねられているといえます。

32話においてあすかの言う「あなたを選んだ」とは、あすかがいちごをエンジェリーベアのCMに抜擢したことを指しています。いちごの持つみんなに笑顔を届ける力をあすかは信じ、あすかはいちごを選んだのでした。

そんなあすかと62話のそらが重ね合わせられていることを鑑みれば、62話のそらもまたデザイナーとして星宮いちごというアイドルを信念を持って選んでいるということになります。そのそらの意志は、そらがスターライトを巻き込んだ合同パーティーをデザインした理由をいちごの「そういう顔」=笑顔によって説明していることによっても説明し得るものです。そらは自分のデザインといちごのアイドルの力を組み合わせることによって「世界を楽しく、幸せに」することができると信じ、いちごをアイドルとして選び、パーティーを開催したのです。もともとドリアカのみでやるはずだったパーティーを、学校の垣根を越えたものへとデザインしていったそらの思いは、まずいちごへの強い思い入れからスタートしたものだといえるでしょう。

 

また、この32話のあすかの発言には、星宮いちごアイカツに通底するひとつのテーゼが織り込まれています。それは、「誰か一人のために頑張ることが、大勢を喜ばせることに繋がる」ということです。あすかは初め自分の子供のためにエンジェリーベアを作っていたのが、テレビCMを打つまでに拡大し、今やあすかはエンジェリーベアを通じて多くの人々に笑顔を届けています。これこそ前述の一人のためがみんなのためになるというエピソードの類型といえます。

このテーゼを最もあらわに提示してみせたのが22話「アイドルオーラとカレンダーガール」の「マイクのひとつの穴」のメタファーでしょう。この回でいちごは、らいちという個人の悩みに対して真剣に回答することを通じて多くの人を元気づけました。この「一人のため=みんなのため」の定式は、12話のクリスマス回で中山ユナのためにツリーを切ることが大空あかりをはじめ多くの人を元気づけたエピソードや、大スター宮いちごまつりで芸能界を去り行く神崎美月へと歌う『輝きのエチュード』が「みんなが素敵な明日を迎えられるような」ライブの成功を決定づけたりしたことなどにも見られる構造です。

62話のそらのデザインも、このセオリーにそぐうものとなっています。そらはいちごの笑顔のためにパーティーをデザインし、結果としてスターライト・ドリアカ・招待客・テレビの視聴者みんなを喜ばせるパーティーとなったわけですから。あすかのエンジェリーベアとそらのクリスマスパーティーは、こういった面においてもパラレルに描かれていると考えられます。

そらとあすかはどちらも、アイドルのいちごを強く求めているデザイナーである、ということについて、今日はお話させていただきました。今日はここまでです。

いちそらAdvent Calendar

もういくつ寝るとクリスマス、という時節ですがみなさまいかがお過ごしでしょうか。

クリスマス!といえばアイカツ!62話「アイドルはサンタクロース!」です。そして62話とは星宮いちごと風沢そらが初めて出逢ういちそら回――ということで、いちそら:いちごとそらの関係性,にまつわるテキストをアドベントカレンダーにかこつけて、クリスマスまで毎日どんどん書いていこうという企画がいま、スタートしました!!

 

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62話より。

 

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初日である今日は、私のいちそらについてのインプレッションを述べることによって、導入とさせていただきたいと思います。

「いちそら」というカップリングはアイカツ!にあまたあるカプの中でも極めてマイナーな部類に入るといえます。わたしがアイカツで好きなカップリングはいちそら、あかスミ、スミレ×水谷郁子なのですが、体感だとtwitterで水谷郁子の話題といちそらの話題を見かける頻度はほぼ同程度です。ひょっとしたら水谷郁子の方が多いまであるかもしれません。まあどちらにせよ、いちそらはほとんど語られることのない組み合わせなわけです。

好きなカプがマイナーであることの悲しみとして、もちろんその二次創作が少ないということもあるのですが、それにくわえて、そのカプへの解釈が更新されにくく、固定化されやすいということも挙げられます。新たな解釈が編み出されることによりそのカプの裾野が広がってゆき、魅力を再発見するチャンスが増える、というプロセスはあらまほしきものですが、マイナーだとなかなかそういったことは起こりません。

そういうわけで、このアドベントカレンダーを通じていちそらに興味を持ち、いちそらに解釈の光を当ててくださる人が増えれば、ひとりのいちそら愛好者として嬉しく思います。

 

さて、どのカップリングを推すかというのは人によってそれぞれであり、誰もみな直感に「ビビビッときた」カプを推すものですが、改めて私がいちそらのどこにビビビッときたのかについて考えてみますと、私はまず、風沢そらというキャラクターがとても好き、というところから入ったのですよね。アイカツ全178話の中で一二を争うほど61話が好きで、そらとミミの宿命的な別離の物語に心を奪われてしまっていたのです。

 

61話で描かれたのは、そらがミミみたいになろうと懸命に頑張った結果、ミミはそのそらの姿に勇気をもらって旅立ってしまい、結果としてそらは憧れの存在との別離を経験することになった――というそらの過去でした。この喪失、別離というイベントこそが風沢そらという人物の根幹であると61話には描かれているわけです。

それと呼応するように、「恋がうまくいかない」というテーゼがkira・pata・shiningの歌詞に反復しています。うまく進まない私の恋。やがて私の手を離れてゆくあなたへの思慕。「けして依存はしないで」とは、自分に言い聞かせるための呪文のように聞こえます。素足の<あなた>に美しく魅せられようとも、その先にある離別の悲しみを知ってしまっているからこそ、けしてそれに耽溺することはできない。恋することへの「恐れ」を知ってしまっているから、自分の恋に対して全力で突っ走るということができず、自分の欲望とどこか距離を置いてしまう。そういった宿命を背負った風沢そらのキャラクター性というものに、私は強く惹かれていました。

こういった解釈で風沢そらというキャラクターを捉えて、このそらの持つ性質が誰とのカップリングで活きるかについて考えてみるとき、星宮いちごとのカップリングは私にとって最良のものでした。

62話において、そらはいちごの髪をくるんと指に絡ませたあと、いちごに対して、こう語りかけます。

「初めて会った気がしない。エンジェリーシュガーを着たあなたを、ずっと可愛いなって見てたから。」

そらはいちごをずっと――おそらくはいちごがアメリカへ旅立つよりも前からずっと――見ていたのだと思われます。そらがドリームアカデミーに入学するよりも前からずっと、初めて会った気がしなくなるほどに、そらはいちごのことを見つめていたわけです。そもそもそらがこのパーティーをデザインした理由についても、そらはいちごの笑顔をうけて「そういう顔が見たかったから」と語っていることから、このクリスマスパーティーはいちごのことを深く想ってそらがデザインしたものであるといえるわけです。どうすればいちごが笑顔になるか。それについてそらは熱心に考え、パーティーをデザインしたのでした。そのためにそらが利用したのがAngely Sugar謹製のいちごちゃんケーキであったというのは非常に味わい深いものです。媚薬をじょうずにAngelySugarにくるんで、そらはパーティーをつくりあげたというわけです。(このあたりについての細かい論考は後日やります)

62話において、そらが深く愛情を傾ける相手として星宮いちごが描かれているという解釈を見出したことは、私にとって大きなブレイクスルーでした。というのも、私はそれ以前から、64話の福女レースで風沢そらが誰のためにPRドレスをデザインしていたのか?そして何故そらだけが優勝した星宮いちごに対し拍手を送らないのか?という問題について考えていたのですが、これらはそらからいちごへの強い愛情を前提にすればすぐに解ける問題であったからです。そらはいちごのためにPRドレスをデザインし、そしていちごに自分が選ばれなかったことから強いショックをうけて拍手することもできずにいたという読みが、そらからいちごへのクソでかい感情を仮定すれば非常に自然になります。つまり、64話において風沢そらは、いちごに選ばれないという失恋をしているのだといえます。残念だけど、うまく進まないもの。それが、風沢そらの恋なのです。

 

まとめますと、このいちそらという関係は物語を非常に見通しよく読みこむことを助ける読解的ソリューションでありながら、また先に述べた風沢そらの「恋がうまくいかない」というキャラクター性にもマッチする美学的強度を持つカップリングであって、私はその両面に対して強い魅力を感じている、ということです。

 

ここまでお読みいただいてありがとうございました。今日の内容はここまでとなります。

明日以降の予定について軽く説明してお別れにしたいと思います。

※予定なので内容に変更などあるかもしれません。

12/19(月)62話について、風沢そらと天羽あすかの相似点を軸に語ります。

12/20(火)67話・恵方巻き回について語ります。

12/21(水)いちそらと蘭ユリの比較からいちそらの可能性について探ります。

12/22(木)大空あかりなどの風沢そらでないキャラに風沢そら性を見出すことによっていちそらを大量生産する「実質いちそら」論法の可能性(と限界)について語ります。

12/23(金)そもそも風沢そらってなんなんだ…という根源的な問題について語ります。

12/24(土)いちそら二次創作小説を書きます。

12/25(日)予備日

よろしくお願いします。

Her Storyをプレイしたぞ

『Her Story』というゲームがすごいらしいとのおうわさはかねがね伺っていたのですが、日本語版が出たということで喜び勇んでプレイしました。とても面白かったです。これはその紹介的な記事なのですが、このゲームをプレイしてみたいと思っている人は、以下は読まずにとにかく買ってプレイしてみることを勧めます。前情報なしのほうが間違いなく面白いタイプのゲームです。

↑日本語版(PC)はここで販売中です。定価598円が11/29までセール価格299円とのこと。Paypal,BitCash,WebMoneyで決済可。

以下レビューです。一応ネタバレには配慮したつもりですが、プレイするつもりの人は読まずに今すぐコンビニにでも走って電子マネーを得て買ってしまうのがいいと思います。

 

ゲームのジャンルはアドベンチャーゲームであり、キーボードとマウスを使います。

このゲームの目的は、警察のデータベースに保存されているある女性の事情聴取映像をできるだけたくさん観て、彼女がある事件についていかに語ったかについて迫ることです。ゲーム画面にはいかにも古めかしい端末のデータベースが映し出されます。データベースがあるのなら頭から順に全部見ていけばいいのではと思いますがそうもいかず、この旧式のポンコツデータベースは動画ファイルを古い順から5つまでしか表示できません。動画ファイルは合計271個もあり、これらを見るためには検索を駆使しなくてはいけません。たとえば「殺人」とフォームに入力して検索ボタンを押せば、動画で彼女が「殺人」と発言しているものが古い順に最大5つまで表示されます。そうして新しい動画を見つけ、そこで彼女が語ったことからまた新しい検索語をひねり出し、動画を見つけて…と繰り返すことによって、動画を収集しつつ彼女の身に何が起こったのかについて推理していくのがゲームの流れです。

この検索フォームに何を入れるかを考えるのがめちゃくちゃ楽しいです。集中を凝らし動画を見つめ、過去に見た動画と結びつけて前後の文脈を想像しつつ語られるひとつひとつの言葉に耳を傾けて、彼女の息づかいや視線も合わせながら彼女の中に息づく物語を読み取っていくわけですが、その読み取りの精度、確かさが、検索のヒット数として評価されるんですよね。なぜ今こんなことを言うのだろう?と思ったワードで検索して未見の動画がヒットしたときには、俺はちゃんと彼女の物語を読めているぞ!という喜びをかみしめられます。物語を読みこむということについて報酬がちゃんと用意されていて気持ちよくなれるというのがこのゲームの素晴らしいところであり、物語読解のゲーム化というのはこういう形でできるんだなあという新鮮な驚きがありました。

そして、このゲームが「『語ること』についての物語」をなしていることも私がこのゲームを大好きな理由なんですよね。以前ライフ・オブ・パイの記事でも書きましたが、この語ることの魔力について描いたフィクションが本当に好きなんです。彼女のストーリーの果てに何が起こってしまうのか。ぜひ『Her Story』をプレイして見届けていただきたいと思うところであります。

アイカツ、100話と173話に見る『WM』+アイカツベストエピソード14本

書こうかなと思いながらも放置していた美月とみくるについての話をします。100話と173話の話です。取っ掛かりとしてまずこのツイートを検討してみましょう。

 Wは英語だとダブリューですがフランス語ではドゥブルヴェであり、ふたつのVです。ここでみくるがつくるVサインは、分割されたWの片割れであるといえます。というのも、みくるのブランドであるViVid Kissは、その大文字の配置から明らかなように、ふたつのVによってWを表しているからです。ViVidのふたつのVでW、そして美月のLOVE MOONRISEのMと合わせることによって『WM』を成すというのが、ViVid Kissに織り込まれた仕掛けだと思われます。

つまりこのみくるのVサインとはViVidのVであり、Wの片割れであるわけです。ここで言い添えておくと、二人の手を繋いだときのシルエットをMの字と捉えるというのも、CGシーンにおいて二人が手を合わせてWを、脚を重ねてMを表現していたことからいっても、けして不自然な読解ではありません。

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この読みを認めるならば、みくるがMを崩してWの片割れであるVを美月へと突き出すというのは、WMの決定的な破断をみくるがもたらしたことを意味します。

WMの解散は予定されていたことではありましたが、美月はみくるのガーデニングの大会が終わって帰ってきた時には、再び隣に立つことができると思っていたのではないでしょうか。しかし、みくるは美月とライバルとして対決したいと語ります。美月はそれにショックを受けます。アイドルとしての二人のパートナーシップは、ここで完全に断たれてしまったのでした。

 

時は流れて173話、「ダブルミラクル☆」において、WMはスターライトクイーンカップを盛り上げるため、1日限りの再結成を行います。

そのステージ前に、美月は「これがWMのラストステージね」と改めてみくるに解散を明確に告げます。しかしその後、後輩たちのために、一度限りのWMの復活したステージを全力をかけてやり切ることをみくるに求めて、美月はみくるの手を握ります。

このとき、美月がみくるの手を握ることによって、ふたたび“M”のシルエットが生成されています。そしてみくるは美月の求めに応じて、「みくると美月の二人のミラクル、見せちゃおうかな」と二つのピースサインを作ってみせます。

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この二人の行動が100話のやり取りのアレンジである、ということに異論はないでしょう(ご親切に直前にそのシーンの回想まで挟まれています)。手をつなぎMをつくり、ふたつのピースサインをつくり出してWを示してみせるWMのふたり。これは一瞬のまたたきのようなWM再結成を、二人でけんめいに愛おしむ所作にほかなりません。

 

美月がみくるにきっちり解散の意志を告げて(101話では空港へ見送りに行けないと言いながらも流されて見送りに行った美月が!)、あの時切り離されたみくるの手を再び取れるようになったというのは、美月が大スター宮いちごまつりと大スターライト学園祭を経て、いちごやかえで、ユリカと、それに織姫学園長とも絆を結び直すことができた経験の上に立って、初めて成し得たことでした。

美月はかつてのようなこわばった笑みではなく、心からの笑みを浮かべながらみくるを送り出せるようになりました。この美月の姿を見ながら、わたしの心に浮かぶのはTake Me Higherのこの一節でした。

 

「けして完結しない 欲望の中で 生きるのを愛してる」

 

美月の駆け抜けた日々の物語に、彼女の歌ってきた歌が完璧に追いつき、重なった瞬間!これぞまさに、アイカツという物語を追い続けてよかったと思う瞬間でありました。

ああ、神崎美月!ああ、アイカツ!

 

 

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ここからは完全に別の話なのですが、アイカツ!のベストエピソードをチョイスしたけど書くタイミングがなかったやつを、ここでついでに書いておきます。

 

6話   サインに夢中!

16話  ドッキドキ!! スペシャルライブ PART1

17話  ドッキドキ!! スペシャルライブ PART2

30話  真心のコール&レスポンス

32話  いちごパニック

40話  ガール・ミーツ・ガール

61話  キラ・パタ・マジック☆

62話  アイドルはサンタクロース!

71話  キラめきはアクエリアス

89話  あこがれは永遠に

108話 想いはリンゴにこめて

113話 オシャレ☆ヴィヴィッドガール

148話 開幕、大スターライト学園祭☆

173話 ダブルミラクル☆

 

以上の全14本が私的ベストエピソードです。アイカツ!は都合14クール放送したということで、14本という数字もちょうどいいかなと思っています。もっと特定のキャラのエピソードばかり選んでしまうかなとも思ったんですが、存外バランスよく散らばりましたね。61話と108話については過去にレビューを書いているので、そちらもぜひ読んでいただければと思います。

 

 

 

ラブライブ!サンシャイン!!4話と「お伽草紙」

ラブライブ!サンシャイン!!の4話、「ふたりのキモチ」のレビューです。

4話はルビィと花丸が互いに思いあうゆえのすれ違いを越えて心を通わせる瞬間を描いた美しいエピソードでした。そのなかで、とある実在の小説が引用されていることに、私は強い興味をおぼえました。

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その小説とは、太宰治の「お伽草紙」です。

太宰治 お伽草紙青空文庫

もともと国木田花丸は沼津ゆかりの作家である芹沢光治良を愛読しているという設定があり、彼女が日本近代文学にあかるいのは広く知られるところなのですが、ここで名指しで引かれるのが太宰のお伽草紙なのは、なぜなのでしょうか。

この記事では、お伽草紙という物語がこの4話単体のエピソードと、さらにはラブライブ!サンシャイン!!全体とどのような関わりを持っているのか、どう結びついているのかについて考察してみました。

 

お伽草紙とは――「翻案」の物語

お伽草紙太宰治のキャリアでいえば中期にあたる時期に発表された作品です。浦島太郎などの古いおとぎ話に材を取り、ユーモアや皮肉を交えながら翻案した短編をあつめたものです。執筆時期は1945年3月から7月にかけてで、太宰は戦火に追われながらこの物語を書きました。防空壕での親子のやり取りからなる導入部は時勢を反映するものでしょう。
この小説の主となる部分はおとぎ話の翻案である短編群なのですが、私が注目したいのは、それらの短編に先立つように、導入としておとぎ話の語り手(=太宰)と娘のやり取りが描かれているところです。

ここでは語り手が防空壕で娘におとぎ話の絵本を読んで聞かせているときに、同時にそのおとぎ話を基にした「別個の物語」を胸中に育ててゆくさまが描写されます。この「別個の物語」こそが後に連なる短編たち、ということになっているわけですね。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間の抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醞醸せられてゐるのである。

お伽草紙 冒頭部より引用、強調は引用者による)

  このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。(...)私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

  ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

お伽草紙 瘤取りより引用、強調は引用者による)

ここで「絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す」という語り手/太宰の心理が繰り返し書かれていることは注目に値します。なぜなら、「ある物語を読んだことによって新しい物語が生成される」というプロセスは、そのままラブライブ!サンシャイン!!という物語の成り立ちでもあるためです。

ラブライブ!サンシャイン!!は、秋葉原で千歌がμ'sと出会い、μ'sを追いかけることから始まりました。μ'sの物語に触れた千歌の胸中に浮かび上がってきた「全く別個の新しい物語」こそが、ラブライブ!サンシャイン!!だといえます。

2年生3人がファーストライブを開催するところなどは、μ'sの歩んだ道程をそっくりそのままなぞっているようでもありましたが、しかしAqoursのファーストライブはμ'sと違い、会場を満員にする大成功をおさめました。この違いから、サンシャインの「全く別個の新しい」物語としての歩みを読み取ることができます。

μ'sの物語(=アニメ版ラブライブ!)という、みなによく知られた物語を下敷きにしながら真新しい物語を紡いでいる、という点で、サンシャインとお伽草紙は共通の形式をもっているわけです。つまり、ここでお伽草子が引用されている意図としては、サンシャインという物語が翻案によって成り立つことを指摘するもの、という側面があるのではないでしょうか。

 

さて、このサンシャイン4話においては、雑誌に載っている花嫁衣装を着た凛の写真で、より細かく翻案の元ネタを示しています。これは、ラブライブ!2期5話、「新しいわたし」で星空凛が着た衣装であり、サンシャイン4話が「新しいわたし」をベースにしている翻案の物語であることがうかがえます。

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どのような翻案がなされているかを探るために、まず「新しいわたし」がどのような物語だったかを振り返ってみましょう。

「新しいわたし」は、自分は可愛くなんかない、アイドルに向いてないと思い込む凛に対して、花陽がセンターとして着るはずだった花嫁衣装のドレスを凛に着るよう働きかけ、凛を勇気づけるエピソードでした。お話のなかではラブライブ!1期4話「まきりんぱな」の回想が挿入されており、いま花陽が凛の背中を押そうとしているのは、かつて花陽がμ'sへの加入を諦めそうになったとき、凛が背中を押してくれたことに対して報いる行動であることが示されています。

この凛と花陽の関係性が、サンシャイン4話「ふたりのキモチ」においては、花丸とルビィの関係に置き換わっているわけです。社へつづく石段で花丸はルビィがスクールアイドルになるようルビィの背を押して、それに報いるようにルビィは図書室へと駆け込んで、花丸の背を押し返します。花丸が凛の写真に感動し、ルビィが好きなμ'sメンバーとして花陽の名前を挙げているところからも、両者の対応関係を見出すことができますね。

ここまで示した重なりによって、「ふたりのキモチ」が「新しいわたし」の翻案であることが説明できました。

 

ここで、この翻案という形式を活かしたシーンを挙げておきます。そこでキーになっているのは「絵本」です。

お伽草紙において、既存のおとぎ話と太宰の紡ぐ新しいおとぎ話の間には絵本というものが触媒のように存在していました。太宰がおとぎ話の絵本を読むことによって胸中に新しいおとぎ話が生成される、という過程がお伽草紙では書かれていましたが、サンシャイン4話においては、その「絵本」の役割を「アイドル雑誌」が果たしているように見えるのです。

4話において、物語を推進させる「語り手」の役割は花丸であり、その花丸が回想の中学時代の図書室にて読んでいた本こそが他ならぬお伽草紙でありましたが、その時に花丸のすぐ後ろでルビィの読んでいた本とはアイドル雑誌でした。

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お伽草紙冒頭において語り手である父が娘をなだめるために読むのが絵本でありましたから、両者を対応させてみれば、花丸の居場所であった図書室が逃げ場である防空壕であり、娘をなだめる父が花丸であり、絵本になだめられる娘がアイドル雑誌を嬉々として読むルビィ、という見立てが成立します。ルビィにとって図書室が防空壕であるというのは、姉である黒澤ダイヤからアイドル雑誌を「それ、見たくない」と言われたあとなのだとすれば頷ける話です。ルビィが安心してアイドル雑誌を読んでいられる場所は、家ではなく図書室だったのかもしれません。

 

そして、アイドル雑誌は沼津の本屋にて再登場します。ここで雑誌を読むとき、かつてお伽草紙を読みながら「新しい物語」を空想していたときのように、花丸がそっと目を閉じる描写が描かれています。

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「そこで読む本の中で、いつも空想をふくらませていた」

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「μ'sか。オラには無理ずら」と諦めの言葉を漏らしていた花丸が、雑誌の凛の写真を見た後には、ルビィへとスクールアイドル部への体験入部の意向を伝えることを決意したような表情を見せていました。無理ずらから体験入部までには心理的な飛躍が認められますが、この間を埋めたものとは何だったのでしょうか。

それは、アイドル雑誌の写真を見て目を閉じてから開くまでの間に、花丸がまぶたの裏に見た、胸の内に広がったひとつの空想であったのだと思われます。アイドルとしてきらきら輝く自分の姿を、花丸は花嫁姿の凛に自分を重ねる形で想像したのではないでしょうか。

だとすれば、凛の物語から生じた花丸の胸中の物語、という形で、ここでもある種の「別個の物語」の生成、ひとつの翻案がなされているといえます。絵本を読んで太宰の胸中におとぎ話が育ったように、花丸もまたアイドル雑誌を通じて、自分がアイドルになるという魅力的な物語を、胸中に描くことができたのではないでしょうか。

 

・太宰と「沼津」

ここからは、翻案以外の要素について検討していきます。まずは「沼津」について。サンシャインの舞台である沼津ですが、お伽草紙の作中には沼津について言及している箇所があります。

「浦島さん」の冒頭で語り手は、浦島太郎の舞台である丹後の海に、浦島太郎をも載せられる、たいまいのように手に鰭を持つ大型の亀が居るだろうかと自問自答します。そこで語り手は沼津で大きな赤海亀を見たという自身の体験を引き合いに出して、それならば丹後にも居てもおかしくないはずと結論づけて、おとぎ話の亀を赤海亀と設定します。

そこで、私は考へた。たいまいの他に、掌の鰭状を為してゐる鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいふものが無かつたか。十年ほど前、(私も、としをとつたものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送つた事があつたけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがつたといつて、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、といふ名前だつたと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがつたのならば、まあ、ぐるりと日本海のはうにまはつて、丹後の浜においでになつてもらつても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだらうと思はれる。それでも潮流がどうのかうのとか言つて騒ぐのだつたら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言つて澄ます事にしよう。科学精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も仮説ぢやないか。威張つちやいけねえ。

お伽草紙・浦島さんより引用)

沼津は太宰が処女作である「思ひ出」を書き上げた土地であり、また代表作のひとつである「斜陽」のはじめ二章までを執筆した場所でもあります。とくに太宰が「斜陽」を書いたのは沼津の安田屋旅館においてであり、この安田屋旅館とは千歌の実家である「十千万旅館」のモデルです。太宰とサンシャインはその土地を介して深く結びついているといえるわけですね。

お伽草紙で書かれている「沼津の海浜の宿で一夏を送つた」とは、前述の「思ひ出」を書いた逗留のことを指すものと思われます。安田屋旅館には「思い出」という名のつけられた風呂があるそうですが、その沼津逗留にあやかったネーミングなのでしょうね。

ちなみに太宰の他の作品だと「富嶽百景」にも沼津への言及があります。こちらでは沼津から見た富士山の眺望について書かれているのですが、そういえば4話には渡辺曜が「富士山くっきり見えてる」と屋上で感嘆するシーンがありましたね。

 

・「引返す」ことは可能か?

さて続いて「浦島さん」からの話なのですが、「浦島さん」において、亀が浦島太郎に対して『引返す』という語について説教をぶつ箇所があります。

 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなつた。
「それぢやまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」

お伽草紙・浦島さんより引用、強調は原文ママ

浦島太郎の云った「腰掛けてみる」という言葉の尻をとらえて、引き返すことの不可能性を亀が厳しく説くものなのですが、これは花丸が体験入部という「~してみる」理屈をつかった上で、結局入部しようとしなかった(=引き返した)ことに結びつくものとして読めます。花丸は体験入部でアイドルになってみることを選び、そして社へと続く石段を途中で引き返します。社への石段を登り切ることは、ルビィが登り切った時のメンバーのリアクションや、元スクールアイドルと思しき果南がゆうゆうと石段を登っていることなどを加味すれば、アイドルとなることのひとつのイニシエーションであると捉えられるわけですが、花丸がそれを途中で引き返すのは、彼女がアイドルとならないことを強く印象づけます。しかし最終的に花丸はアイドルとなるわけであり、結果的に亀の「どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ」という理屈が通っているかたちになっているわけです。このお伽草紙との重なりは実に面白い調和だと思います。

さて、浦島太郎といえば竜宮城、そして乙姫ですが、Aqoursのシングル曲、「恋になりたいAQUARIUM」 は竜宮城の乙姫のイメージをジャケットや歌詞から感じます。

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「サカナたちのパーティー」は竜宮城での「タイやヒラメの舞い踊り」かという感じですが、あわあわ、と泡と恋が取りざたされる2番の歌詞は人魚姫を想起させるものでもあります。ジャケットの花丸なんかは人魚っぽいポーズを取っているようにも見えますし、陸から海へ行く浦島太郎と海から陸へ行く人魚姫の両方をモチーフにしていたりするところに何かしらの意味があるのかもしれません。

 

・「日本一」の物語

少し話が逸れましたが、今一度お伽草紙に話をもどします。次は「日本一」についてです。
ラブライブ!2期において、μ'sはラブライブ!大会で優勝し、日本一のスクールアイドルとなったわけですが、この「お伽草紙」には、太宰が日本一である「桃太郎」のような存在については書けないと語る箇所があります。

(…)しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語 一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言ふ事になると、いくらお伽噺だからと言つても、出鱈目な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言つたら、その口惜しさはどんなだらう。だから、私はここにくどいくらゐに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、 決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、さうしておれはその桃太郎を書かなかつたんだぞ、だから、この「お伽草紙」には、日本一なんか、もしお前の眼前に現はれたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかつたか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰といふ作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。

お伽草紙・舌切雀より引用、強調は引用者による)

お伽草紙に現れる人物は「極めて凡庸の人物」であり、決して日本一ではないということを太宰は荒っぽく語ってみせるのですが、それではさて、このお伽草紙を引用し、構造によっても深く重ねられたサンシャインにおいて、Aqoursラブライブ大会を優勝することができるのでしょうか?お伽草紙同様に、極めて凡庸な普通星人たちの物語こそがサンシャインであるならば、Aqoursが日本一になることはない……のかもしれません。

 

・よしまるなんだよな…
最後はただのトリビアですが、太宰治は本名を津島修治といい、善子と同じ津島姓です。つまり太宰を読む花丸というのは即ちよしまるなのですよね。よしまる、一番すきなカップリングです。

以上がお伽草紙から読むサンシャイン4話でした。ここからは4話の演出でこれは、と思った箇所などの列挙です。

  • 中学の図書室でお伽草紙を読むシーンと、沼津の本屋でアイドル雑誌を読むシーンは前述の通り、本を介した空想という点で重なりあうシーンではあるのですが、その他にも花丸が読み終えたあと、本を抱えた少女へと振り返るというところも共通しています。図書室ではアイドル雑誌を読むルビィへ、本屋では天使大辞典を抱える善子へと振り向きます。よしまるなんだよな……。
  • 千歌の「絶対悪いようにはしませんよ~」はサンシャイン1話でも使われていた言い回しですが、これはラブライブ!1期4話で穂乃果が花陽に対して使っていた誘い文句でもありました。これも凛の写真同様、1期4話→2期5話→サンシャイン4話の流れを押さえた参照なのでしょう。
  • 2期5話は最後の台詞が凛の「さあ、今日も練習、いっくにゃー!」だったのに対して、サンシャイン4話の最後の台詞は「さあ、ランニング行くずらー!」であるのも対比が効いたにくい演出です。

サンシャイン、キャラの可愛さと繊細な演出と過去への参照が醸し出す奥行きの深さが合わさり最高ですが、この4話はとくにその表現において傑出しているエピソードだと思います。これからもっと凄いエピソードが来ることに期待しています。

劇場版アイカツスターズ!を観た

「劇場版アイカツスターズ!」&「アイカツ!ねらわれた魔法のアイカツ!カード」の二本立て上映を観てきました。

以下映画の内容にふれるネタバレがあります。また、映画への否定的な記述が含まれています。そういったものを読みたくない人は読まないことを推奨します。

 

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