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末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

アイカツ!85話「月の砂漠の幻想曲」 そらの理念、蘭の実践

アニメ アイカツ! 風沢そら

 アイカツ!85話「月の砂漠の幻想曲」は私の大好きな風沢そらが出ずっぱりの回なのだが、初見時にはきわめて奇妙な回に感じられた。私の85話ファーストインプレッションはこんな感じだった。

 

 

  私のアイカツ!85話への第一印象は「不安」、であった。61話において自由と孤独が根源的に一体であることが深みをもって描かれていたことを踏まえると、そらに内在するその命題が「いつまでも二人は幸せに暮らしました~Fin~」とかんたんに解決に至ってしまうような描写には違和感を抱かざるを得なかった。

 あれから幾度か観返し、自分なりにこのエピソードを分析してみた結果、この物語を読み解く鍵をひとつ見つけることができた。その鍵を軸に観るとラストシーンが腑に落ちるものとして読めると感じられたので、その鍵についてと、そこから広がる読解の可能性についてブログの記事としてまとめてみることとした。twitterの方でだらだらとつぶやいたことの重複も多いけれども、趣旨変更やそれに対する補足も色々と書いているので、そちらを読まれた方もぜひ今一度お付き合い願いたい。

 

 

15/07/05 全体的に内容を修正・改訂し追記しました。

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アイカツ!85話 「月の砂漠の幻想曲(ラプソディー)」

脚本:大知慶一郎 絵コンテ:近藤信宏 演出:福岡大生 作画監督:柳瀬譲二、高乗陽子、南東寿幸、羽野広範、吉田肇、都竹隆治

挿入歌「アラビアンロマンス」作詞:こだまさおり 作編曲:永谷喬夫 歌:えり・わか from STAR☆ANIS

 

あらすじ

 「アラジンと魔法のランプ」をベースに新たにシナリオが書き下ろされたドラマ・「月の砂漠の狂想曲(ラプソディー)」のオーディションのオファーを受ける紫吹蘭と風沢そら。蘭は女剣士役、そらは姫役と衣装のデザインを担当。

 剣士役の役作りのために、殺陣を学ぶ蘭。心得一~四。足さばきがダンスのステップになっているという師範の指摘。それは修正するものの、斬られ役の掛け声に驚いてしまうという課題が残る。それを克服するために、隙を突いて自分に斬りかかる修行を、スターライト学園の仲間に頼む。

 そらは姫のドレスの仮デザインを、一般的な姫のイメージに合わせてデザインするが、自分のなりたい姫のイメージとのずれを感じて悩む。姫のドレスに先行して完成した蘭の女剣士のドレスを渡すためにスターライト学園の蘭のもとを訪れたそらは、そこで一生懸命修行を頑張る蘭の姿を見て、姫について新しいイメージを得る。

 オーディション当日、そらが着るドレスは「りりしい女剣士に憧れるお姫様のイメージ」。「憧れの存在には少しでも近づきたくなる」とそらは言う。

 オーディションが始まり、蘭は見事に斬られ役・魔神ジョニーの声に動じず、課題をクリアしていることを見せる。しかし、想定外の強い光を浴びて、大きな隙を作ってしまい、剣を弾き飛ばされてしまう。そらはアドリブで、その剣をとって戦うことを選ぶ。「守られるだけじゃない、一緒に戦う姫」こそが、そらのなりたい姫のイメージであると言って、剣を持って魔神ジョニーへ斬りかかるが、弾き返されてしまう。それを受け止めて、弱気になるそらを「互いを信じあう二人が手と手を合わせて戦う。いいんじゃないか、すごく」と励ます蘭。二人で重ねた手で剣を振ってジョニーを崩し、最後は蘭が「魅惑の刃・幻想剣」と必殺技を繰り出し魔神を倒す。

 二人はオーディションに合格。二人、空飛ぶ絨毯に乗って「どこまでも行けるわ」と語り合うドラマのラストシーンが流れる。fin.

 

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ストーリー考察

 私が見つけた、この物語を読み解く「鍵」とは、風沢そらによる服のデザインの変化に、イスラム圏女性の服装(特にヒジャブ:『覆うもの』の意で、スカーフ状のものにかぎらず、様々な形状のものの総称)についてのコード、という複雑な問題が絡んでいる点である。この読解を通して、その問題がこのエピソードにどのようにして現れ、そしてどのように主題と関係しているのかを検証する。

 さて、まずこの物語の主題について述べる。このエピソードの主題は二つ。ひとつは蘭とそら、それぞれの成長である。蘭は修行に励むことにより弱点を克服し、ながらく課題であったドラマのオーディションを勝ち抜く。そらは悩んだ結果、自分自身が本当になりたい姫のイメージを衣装のデザインとして完成させ、演技においてもそれを表現する。そしてもうひとつの主題は、それぞれの課題を解決した二人が手を結ぶことの意義深さについてである。

 次に、イスラム圏の女性の衣装に対してだが、作中で最も明確に言及しているのはこのカットだ。

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 「イスラム圏の女性は、頭を含めた体全体を隠す服装をすることが多い。」とあるこのカットがその問題との関係を端的に示すカットであるが、このカットがどのような文脈で物語に現れたかを見てみよう。

 Bパート・アイキャッチ直後、ドリームアカデミーのそらの部屋で、そら、きい、セイラがそらのドレスのデザインについて話しているところでこのカットは映し出される。以下がそのシークエンスの詳細である。

 そらが女剣士と姫の衣装デザイン案をセイラときいに見せる。

→きい「姫のドレスはひらひら一杯で可愛い」セイラ「そらがこれを着たら本物のお姫様みたいに見えるんだろうな」

→そら、曇った表情で机の前まで歩きながら「お姫様か…」机の前で立ち止まり、首だけ振り返る

→そら「二人の中のお姫様ってどういうイメージ?」

→セイラ「それは…美しくて清楚で可憐で」きい「守ってあげたいってイメージ」

→そら「そっか…」落胆気味の表情で机に向き直る。

→そら「色々調べてイメージ通りのドレスが出来たはずなのに」資料が並ぶそらの机の上が映される。イスラム圏の男性の服装、女性の服装についての本がそれぞれ映される。(ここで前掲のカットが映される)

→そら「私のなりたいお姫様って…」そらの悩み顔がアップになる。

→場面転換、スターライト学園俯瞰

 このシーンのつなぎ方と台詞のやりとりから、そらの言う「イメージ通りのドレス」というものが、セイラやきいが思うような「被庇護者である姫のイメージ」にそぐうものであり、かつそれが、そらのもつ「イスラム圏の女性のイメージ」と重なりあうものであることが示されているとわかる。そして、そらはそのことに納得していない表情を見せ続ける。

 次に、企画書に載っていたイメージ画像のドレスと、そらが最初にデザインしたドレス、最終的にそらがオーディションで着たドレスの3つを比較することによって、そらがデザインの過程でイスラム圏のドレスコードについてどういう思考を行ったのかを探ってゆく。

・企画書のイメージ画像

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・そらデザイン案

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・オーディション時

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 まず企画書→デザイン案間の違いについてだが、ノースリーブ・へそ出しと企画書段階の姫のドレスは露出が強めであるが、そらの描いたデザインはそうではない。そらは「色々調べ」た結果得た「イスラム圏の女性は頭を含めた体全体を隠す服装をすることが多い。」という本の情報を参考にしてこの露出の少ないデザインを固めていったものと思われる。そらのデザインのドレスは袖も裾の丈も長く、企画書では頭に被っていた半透明なヴェールも、不透明なスカーフ(ヒジャブ)へと変えられている。

 そしてデザイン案→オーディション時の間では、ドレスの袖と裾が短くなり、ヒジャブも取り去られているという変化がある。これはそらが「守られる姫」というイメージからの脱却を意図して変更したものである。デザイン案で髪や体を隠すデザインを意識していたとすれば、女性は体と髪を隠すものというイスラム圏の規範から「敢えて」外したデザインにしたといえる。

 ここまでのまとめ。そらは、イスラム圏での女性のドレスコードを一度は意識したが、後に意図的に破ったドレスをデザインした。そしてそれは、「女剣士に憧れ、近づこうとする姫」像の表現というそらについての主題とパラレルな関係がある。そらは「世間の姫のイメージ」と「イスラム圏の女性」との間に「守られる」存在という共通項を見いだしており、ステレオタイプな姫のイメージからの解放を、ドレスのデザインからヒジャブを外すことによって表現した。

 

 このそらのデザインをフェミニズム的理念の表現とみることが可能だろう。イスラム教徒の女性のヒジャブは女性を守るために必要である、という考えはイスラム社会においては一般的なものだ*1。それを西洋的なリベラル・フェミニズムの視点から解釈した結果、ヒジャブはイスラム社会による女性への抑圧のシンボルとして取り扱われることとなった。フランスにおけるブルカ(ヒジャブの一種、目さえも覆い隠すもの)禁止法が2010年に制定されたのは記憶に新しいが、この法制定の根拠はライシテ(フランスにおける世俗主義、公共空間における非宗教性の追求)の概念と、女性解放の文脈の二本柱であったようだ*2。しかしこのブルカというシンボルだけを槍玉に挙げるやり方は疑問視もされている。女性のブルカを禁止しても、それの着用を促す側の思考体系が変わらない限りは、かえって女性が家を出る契機を奪うことになる、という批判もある*3

 この話がアイカツ85話にどう関わっているのか。風沢そらによるドレスのデザインには女性に課せられた固定観念からの解放という意図があったことは前述した通りであるが、それをより表現するために、そらは剣を持って戦うお芝居をする。このお芝居に対して、ジョニーは「そんなへっぴり腰じゃ野菜も切れナッシングだぜ」と揶揄するし、殺陣の師範は「しっかりアクションを仕込む時間は用意してくださいよ」と皮肉めいて言う。そらの理念はドラマにおけるアクション本位の価値観においては評価されないものであるのだ。ここに、ヒジャブを含むドレスというシンボルのみを取り扱ってきたそらの弱さがあり、またそれこそが、シンボル批判では男性本位のイスラム社会構造に対するクリティカルな批判とならないという先に挙げたフランスの事例と重なるものである。そらはその理念を世間に問うことはできたが、それをドラマという自身のメインではないフィールドで実践する力は持っていなかった。

 そのそらを助けるのが紫吹蘭である。蘭はアクション本位のドラマ価値観の中でオーディションを勝ち抜くために修行を行った。重要なのは、その修行の過程でこれまでの蘭の表現の根幹である「ウォーキングの立ち姿」と「ダンスで鍛えたステップ」が師範によって厳しく否定されている点だ。蘭はこれまでモデルとしての長いキャリアの中で女性的美しさの表現に磨きをかけてきたが、その女性的魅力の発露はドラマの殺陣においては抑圧されるべきものである、ということが師範によって示される。殺陣という女性抑圧的論理を内面化していく過程は、アラジンを元にしたキャラクターを演じる蘭、という物語の筋とも重なるものである。更に、女性的魅力の発露の抑圧はヒジャブを着るべきという規範と重なるものであるということも指摘しておきたい。女性性の抑圧に対して、そらはヒジャブを廃するというアプローチを取り抵抗し、蘭はその論理を受け入れながら殺陣の精進に努める。この二人の対比が85話にはひそやかに描かれているのである。そして、オーディション最後に見せた「魅惑の刃・幻想剣」において、ずっと押し殺していた蘭の魅力が爆発する。この幻想剣がどのような技であるのかについては、以下の通りだ。

 剣をS字を描くように振りながら「魅惑の刃!」

→発光する剣を大上段に構えながら「幻想剣!」ポーズを決めながら静止

→(ジョニー驚いて目を見開く)

→跳躍する

→ひねり回転を一回転しながらジョニーへ近づく

→(ジョニー見とれながら「ビューリホー」)

→両手で剣を握る

→(ジョニー両手を広げて「ワンダホー」)

→剣を振り下ろしながら「これで、終わりだ!」

→(ジョニー大の字になって「アンビリーバボー」と叫び光の粒となって消失」

 ポーズを決めながらの静止からはモデルで鍛えた立ち姿が、跳躍して回転する動きからはダンスで鍛えた身体表現が示されているといえるだろう。DCD版のムービーでは剣をS字に動かし技名を叫ぶ→暗転に剣戟のエフェクト→チームアピールチャンス→ジョニー倒れる というシークエンスになっている。このことからも、幻想剣は殺陣とアピールの複合によって繰り出される技であり、ダンスやステージと共通の要素が盛り込まれた技であることを確かめることができる。

  蘭の女性性の魅力がそれを抑圧してきた論理である殺陣と結びついて花開き、その論理を押し付けてきた存在であったジョニーを、師範を圧倒するという展開。この蘭の行動を、社会を支配している規範の内側から女性を解放していく実践的な女性解放のプロセスとして読むことができるだろう。

 そらの理念的-デザインと蘭の実践的-殺陣とダンスの融合、という対比、そしてその両者が手を取り合ってゆくことによって、その課題は解決される――これが85話の第二の主題だ。そして、その主題の解決についてはオーディションの後どうなったかの描写によって示される。まず描かれるのはこのドラマのポスターだ。

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 姫が女剣士に守られる構図である。

 結局、そらの「守られる姫」像からの脱却という理念は、監督に「面白い」とは言わしめたが、プロモーションを含むドラマの全体的な方向性までは変えることはできなかったということだ。現実は一朝一夕には変わらないという重い結果である。それと対称的に、続いて流れるドラマのラストシーンと思しきカットは希望に満ちたものである。

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手を取り合って、幸せそうにどこまでも飛んで行く二人。しかし、そらと蘭の声にはスピーカーから流れるものであるように聞こえるような音響エフェクトがかけられていて、これは劇中劇性、虚構性を演出するものといえるだろう。変わらない重い現実と美しい虚構の対比。しかしその虚構は虚構であるがゆえに、純粋な祈りとして受け止めることができる。理念と実践を宿した二人の女性が手を携えて三日月と星空の夜をどこまでもゆく。自由に解放されて幸福な女性たちの未来を、アイカツ85話という物語は深く願っているように思えてならない。

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その他もろもろ

スターライト学園で蘭が特訓する際、かえでが斬りかかって来た時だけ、蘭は笑みを浮かべる。

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 なぜ蘭はかえでに対してのみ笑みを浮かべたのか?これを読み解く鍵はJAKにて師範にダンスのステップを批判される際のシークエンスにある。

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いちご「かっこいい!なんだかダンス踊ってるみたいね」あおい「うん!」

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あおい「ウォーキングで鍛えた立ち姿もキマってる」

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師範「ストーップ!」

 ここでは画面が揺らされ、師範の批判が非常に強いものであることが演出されている。

 この批判の後、蘭がすり足で移動するように矯正されているカットが入る。跳躍→すり足という対照。

 蘭にとっての「跳躍」はダンスと結びついた行動であることがここからわかる。つまり、かえでが斬りかかってきたときに笑みを浮かべたのは、かえでの斬撃に対して「跳躍」して避けた、禁止されたはずのその跳躍の楽しさから、つい笑みを浮かべてしまった、というのが理由ではないだろうか。そしてそれは、蘭が幻想剣を、高々とした跳躍で舞い上がりながら笑顔で放つことへの伏線でもあるだろう。

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幻想剣!

 

 オーディション直前、師範に対する二人のお辞儀の角度の違い。

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 そらは軽く目礼、蘭は最敬礼している。師範というドラマ的(=女性抑圧的)価値基準に対する二人の意識の対比として見ることができる。蘭はその価値基準を深く内面化しているのに対し、そらは比較的軽視している。そらは師範が何を言っているかよりも、それに対して蘭がどう応えたについて注目している。

 師範がオーディションについて説明した後、師範の「しっかり見せてもらうぞ」の台詞に対して、蘭は「はい!」と応える。するとそらは蘭の方を向き笑顔を見せる。

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 そらが、蘭が殺陣という自分のメインフィールドではない新しい場所で輝こうと頑張っていることについて、好ましく思っていることがわかる描写だ。

 そらが蘭に向ける好意は、そらが蘭の殺陣の特訓を見ているときに生まれたものである。この好意がどのようなものかについては解釈の幅があるが、剣士という本来男性的である役割を蘭が努力によってつかもうとしていることに対する好意として捉えられると私は考えている。ジェンダーの壁を越えることに対して、そらは非常に好意的である、ということだ。そして蘭に感化されて、そらもまたジェンダーの壁をドレスのデザインによって越えようとするのだ。

 

 61話においては空が重要なモチーフとして描かれた(61話の記事を参照)が、85話においてもそらが魔人ジョニーの封じ込められた瓶を開けた後の空がそらの髪色と重なる「ボヘミアンスカイ」色であるなど、共通のモチーフを用いていることがわかる。61話も85話も近藤信宏による絵コンテである。

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風沢そらといえばモロッコであるが、モロッコの姫にLalla Aicha(1930-2011)という人物がいる。スルタン・ムハンマド5世の娘であり、国王ハサン2世の姉であるこの人物は、イギリス、ギリシャ、イタリアのモロッコ大使を歴任した人物であり、特にイギリスではアラブ出身の女性としては初めての大使だったそうで、TIME誌の表紙を飾るほど話題となったようだ。

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Nov11,1957,Vol.LXX,No.20のTIME誌表紙。ムスリム女性の解放という題がつけられており、手前の洋装を着て髪を露わにするプリンセス・アーイシャと、奥の全身を布で覆ったムスリム女性の対比が描かれている。彼女はモロッコの近代化のために女性の教育の必要性、婚姻関係における法的地位の改善を説き、女性解放に努めた。風沢そらの「姫」のイメージにも、ひょっとしたら影響を与えているかもしれない。

 

 そらと蘭をリベラルなフェミニストと実践的なフェミニストと読み替える読解を今回行ったけれども、実際のイスラム社会でもその両者の連携によるフェミニズム運動が盛んになってきているようだ。実践的というのはイスラム主義を前提にして、クルアーンコーラン)やイスラムの古典的テクストを男女同権的に読解するという動きのことである。イスラム教徒によるイスラム教徒のためのフェミニズムともいえるだろうか。エジプトのマラーク・ヒフニ・ナシーフ(1886-1918)に端を発し、現在も活動中である著名人としてはモロッコのナーディア・ヤースーン、アメリカ出身のアミナ・ワドゥードなどがこの活動を行っている。

 リベラルなフェミニズムイスラム主義の連携について触れられている記事を2本紹介する。随分と遠くまで来てしまった感があるが、私はここに、アイカツ85話のテーマと共通する問題意識を感じている。

女性の価値が”男性の半分”しかない国 現地の女性活動家が語る、パキスタンのリアル|ウートピ

Fatima Sadiqi on モロッコの、ベールを被ったフェミニスト達 - Project Syndicate

 現実社会との対応といえば、インドネシアでの放送がどのようなものになるかについても今後注目したいところだ。そのまま放送されるのだろうか?

 

 当初この回サブタイトルを「月の砂漠の狂想曲(ラプソディー)」と書いていたが、正しくは「月の砂漠の幻想曲(ラプソディー)」であった。(指摘していただいた生姜維新さんには多謝申し上げます。)ドラマのタイトルは狂想曲であったので、てっきりサブタイトルも同じかと思ってしまっていたのだった。訂正ついでにラプソディー(rhapsody)について調べてみると、音楽ジャンルとしてのラプソディーに対応する語は「狂詩曲」である。一応ラプソディーを「狂想曲」と訳す例もあるようだが、狂想曲と対応する語はカプリッチオ(capriccio:伊)のほうが一般的のようだ。幻想曲はファンタジア(fantasia:伊)であり、アニメサブタイトル、ドラマのタイトル、どちらとも違和感のある形になっている。狂想曲にラプソディーという語を当てるのはそういう訳例もあるので理解できるが、幻想曲にラプソディーは、何らかの意図がなければまずやらないルビの振り方ではないだろうか。その意図とは何だろうか?

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 仮説をひとつ挙げておく。rhapsodyという語には、(…についての)高揚した感情の表現,熱狂的発言,情熱的な文章 という意味もある*4。85話に描かれる「高揚した感情の表現」といえば他ならぬ幻想剣のことであるだろうし、それゆえに「幻想」曲にラプソディーというルビが振られたのではないだろうか。

 

 

参考文献・URL

イスラームのフェミニズム│mukofungoj ĉiuloke

モロッコを知るための65章 私市正年、佐藤健太郎(編著)第57章「フェミニズム運動」 明石書店 2007年

*1:http://www.aa.tufs.ac.jp/~masato/harem.htm 飯塚正人 ハーレムの外へ ―北アフリカにおける女性の社会進出とイスラーム― より引用:「ムスリムは男女が同じ空間を共有することに異常なまでに敏感であるが、それはなぜか。ムスリム男性が公けに問われた場合、答えは決まっている。すなわち、イスラームは女性の体を傷つきやすいものと考え、これを男性から守るために隔離を実践してきたというのである。」

*2:ブルカをめぐる熱い論争(2): Mozuの囀「ゲラン議員のブログにあった決議提案文の中のモチーフを説明している箇所の訳」より引用:「イスラムのスカーフは宗教への帰属の明白な徴をなしていましたが、ここで我々はこうした実践の極端な段階を前にしているのです。これは誇示的な宗教的表明のみならず女性の尊厳、女性性の表明に対する攻撃であります。ブルカないしニカブを纏うことで女性は閉鎖、排除、屈辱の状態に置かれます。その存在すら否定されるのです。」

*3:ムスリマ(イスラム教徒女性)の衣装を法律で規制するべきか--イアン・ブルマ 米バード大学教授/ジャーナリスト | トレンド | 東洋経済オンライン | より引用:「なぜブルカを禁止するのが好ましくないか、もう一つ現実的な理由がある。真剣に移民の受け入れを考えているのなら、移民ができるだけ自由に公的な場所に出掛けることを奨励すべきだからだ。ブルカを禁止することは、女性を家庭に強制的に閉じ込めることになり、外部の社会との交渉を今以上に男性に依存させることになる。」

*4:rhapsodyの意味 - 英和辞書 - 英語辞書 - goo辞書