末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

いちそら学序論Ⅱ アイカツ!67話 蘭とそらの迷いとコンパス

このテキストは以前にアップした「いちそら学序論Ⅰ」の続きです。

前回同様、アイカツのエピソードをいちごとそらの関係性を中心に読みこんでいくものです。

前回取り上げた62話、クリスマス回は明確にそらといちごを中心とした物語でありましたが、今回取り上げる67話「フォーチュンコンパス☆」は、迷える蘭がエピソードの中心人物です。この蘭の迷いに対して、そらといちごはそれぞれどのように関与したのか、というのがこの論の論点のひとつです。

そしてこの論のもうひとつの論点は、蘭が迷子になった山中において、そらもまた迷子であった、というところにあります。蘭の迷子は、恵方巻きの具をどうするべきかについての迷いと一体のものでした。であるならば、そらの迷子もまた単純な迷子ではなく、何かしらの迷いや葛藤の現れだと解釈することが出来ます。であれば、この時のそらの迷いとは、いったい何に対しての、どのような迷いなのでしょうか?

 

まず一つめの論点について論じるために、62話における蘭のストーリーを追っていきましょう。

 

■あらすじ-蘭を中心とした

蘭は「料理の材料は必ず体にいいものを」という祖母の心得を守りながら料理を作っており、『Yeah!Hoo!!巻き』のオーディションへ向けての特訓でも、体によい具ばかりを用いた恵方巻きを作っていました。

しかし、『スイーツアイドル大集合!』という手作りお菓子を振る舞うイベントにおいて、自身の作った体によい具を用いたクッキーが客を満足させられていないことを認識し、再び恵方巻きの特訓に挑みます。そこでは彩りを重視した普通の具の恵方巻きを作った蘭でしたが、蘭の中の迷いは消えず、テレビ番組のロケでいちごとあおいとともに訪ねた山の中で、蘭は迷子になってしまいます。そこで、蘭は同様に迷子となったそらと出会います。

お腹を空かせた蘭に、そらは山の幸のみを具とする恵方巻きを作り食べさせようとします。蘭は斬新な具に当惑しますが、そらの言葉に説得され、その恵方巻きを口にし、おいしいと感想を語ります。そのうちに、二人は恵方の方角へと蘭を探して走ってきたいちごに見つけられます。

オーディション当日、恵方巻き作りに不安を抱く蘭に対して、いちごは「本当の蘭が一番おいしい!」と応援の言葉をかけます。蘭は祖母が「味も大事。見た目も大事。でも一番大切なのは、どんな想いを込めるか、どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」と語っていたことを思い出し、自分の祖母への想いを込め、体によい恵方巻きを作ります。結局、この恵方巻きは審査員を感動させ、蘭と、同じくオーディションに出ていたそらが合格し、ふたりは『Yeah!Hoo!!巻き』のキャンペーンガールとなりました。

 

■蘭の迷いとコンパス

67話では蘭の迷いとその解消が中心に描かれているわけですが、ここでタイトルを見てみますと、67話のタイトルは「フォーチュンコンパス☆」です。67話のテーマである『迷い』とタイトルの『コンパス』という取り合わせから見えてくるのは、迷える人がコンパスを頼りに歩むことによって迷いから脱する、というイメージです。そして67話においてその役割を果たすものとは、恵方巻きです。

コンパスとは南北を向く磁針から方角を知るものですが、コンパスの持つこの『特定の方角を向く』という性質が、恵方巻きの『恵方を向いて食べるもの』という性質と重ねられているわけです。

蘭に「自分を貫くしかない」ことを伝えたそらの恵方巻きや、恵方巻きの風習に感化されて今年の恵方へ向けて走ったいちごによって、蘭は迷いから解放されたのであり、迷いを恵方巻きというコンパスを助けに乗り越えるのが、67話における蘭の物語であるといえます。

 

 

■そらといちごの共通点

つまりこの67話においては、そらといちごが蘭を助ける人としてセットで描かれているわけなのですが、くわえて指摘しておきたいのが、そらが山中で蘭に語った「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」という台詞が、いちごが蘭の恵方巻きの特訓中に語ったことと同じ内容である点です。いちごの台詞は以下の通り。

「やり方は人それぞれで絶対なんてない。だから料理は面白いんだよ」

「ねえ!恵方巻きの中身選びって、カードをコーデするのに似てるね」

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そらといちごの間に見られる、料理をコーディネートにたとえるこのシンクロは非常に興味深いポイントです。そらはいちごのたとえ話を知る由がないわけですから、このシンクロは、いちごとそらの間に深いつながりが存在することの証左と捉えることができます。

ふたりのシンクロといえば、62話「アイドルはサンタクロース!」にも、等身大いちご人形の不足というトラブルを解決するそらのアイデアを、いちごはそのそらの言葉を聞くことなしに理解する、という表現がありました。それが可能だった理由について、前回の論では、そらがいちごのアイカツを深く理解し、またいちごもそらの深い理解を認識していたからだと論じました。

そして67話のこの『料理をコーディネートにたとえる』というシンクロは、62話の『キラメキドレスケーキ』に由縁があると考えられます。『キラメキドレスケーキ』とはケーキをドレスに見立てたものであって、そのケーキを共に作り上げたそらといちごが、恵方巻きをコーデにたとえるという発想を共有しているのは必然ともいえることなのではないでしょうか。

そらがいちごを深く理解していることから生まれたドレスケーキ、そしてそれをふたりが作り上げたことから生じた『恵方巻きの具選び=コーデ』というシンクロ。ここから、そらが蘭を前に語った言葉の内に、いちごへの想いが交じっていたのではないか、と考えられます。それがそらの『迷い』とも関連しているはずだーーということについて、後半で論じていきます。

 

■蘭の恵方巻き-具について

と、その前に、67話のキーアイテムである恵方巻きについて細かく取り上げたいと思います。まずは蘭の恵方巻きの具の変遷を見ていきましょう。

蘭が一度目の特訓の際に選んだ恵方巻きの具は、わかめ、ひじき、じゃこ、めかぶの4種でした。どれも海の幸であり、山での迷子の際にそらが蘭に食べさせた「山の幸だけで作った」恵方巻きと対をなしています。

その後蘭がYeah! Hoo!! 巻きオーディションの際に作った恵方巻きの具は、わかめ、めかぶ、ひじき、ゴマ、ごぼう、大豆と、海の幸と山の幸の混合となっていました。ここに、蘭がそらの恵方巻きから受けた影響の大きさを見て取ることができます。蘭がそらの恵方巻きを指針としている、ということを示すものともいえるでしょう。

 

■蘭の恵方巻き-食べた人の反応

次に、蘭の恵方巻きを食べた人の感想やリアクションについて見ていきます。

一度目の特訓で作った恵方巻きは、食べたらいちをがっかりさせる出来でした。

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二度目の特訓での恵方巻きは、彩りを重視した無難な具選びで、いちごにおいしいと言わせるには至りましたが、オーディション直前にいちごが「迷うことなんてないよ。本当の蘭が一番おいしい!」ということから、いちごはこの恵方巻きは「本当の蘭」ではないと感じていたことがわかります。

そして、オーディションの時の恵方巻きは、最初のらいちが食べたものと同じコンセプト、同じ系統の具選びでありながらも、審査員たちを感動させることができました。

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体によい具材というコンセプトが変わっていないにもかかわらず、食べたらいちと審査員との間には大きなリアクションの差が生まれています。この理由は、回想で蘭の祖母が語る「味も大事。見た目も大事。でも一番大切なのは、どんな想いをこめるか。どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」という台詞によって説明されています。オーディション本番で作った恵方巻きには、蘭の祖母への想いがこめられており、それが調味料となり、食べた審査員を感動させるに至ったのでしょう。

蘭の料理が、体にいいものでつくるという祖母の心得をうわべだけなぞったものから、真に想いがこめられたものになったこと。この変化が、蘭の作った3本の恵方巻きへのリアクションの変化によって表現されているわけです。

 

■もう一人の迷子、そらの迷い

さて、ここからはそらの『迷い』について考えていきます。前述のとおり、蘭の迷子が心の迷いとリンクしていたのと同様に、山で迷子となるそらにも、何かしらの心の迷いがあったものと推測されますが、このそらの迷いとはどのようなものだったのでしょうか。

そらは山へ行くより前に、ドリームアカデミーにて恵方巻きを作っています。

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この恵方巻きに対し、セイラは「あたし、こんな恵方巻き見たことない」と言いますが、この恵方巻きを食べたきいには「おお~!おいしい!これならオーディション、オケオケオッケーかも」と大好評でした。

しかしそらは、きいに太鼓判を押されるほどの恵方巻きをすでに作り上げているにもかかわらず、恵方巻きのひらめきを求めて山へと向かい、そこで迷子となります。なぜ、そらはこのフルーツの恵方巻きがあるにもかかわらず、山へと向かったのでしょうか?その動機こそが、そらの『迷い』にほかならないと考えられます。

 

■そらの恵方巻き・蘭のクッキー・いちごとスイーツ

このフルーツの恵方巻きに注視してみましょう。恵方巻きにミスマッチな苺などの果物やクリームといったスイーツの具材が用いられているのが特徴的ですが、この特徴は、蘭が『スイーツアイドル大集合!』のイベントに向けて作ったクッキーと好対照をなしています。

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甘いはずのクッキーにスイーツらしからぬ具材(わかめ、ひじき、じゃこ)を入れた蘭のクッキーと、甘くないはずの恵方巻きにスイーツのような具材を入れたそらの恵方巻き。これらはどちらも料理のカテゴリと具材がミスマッチである、という点が共通しているのですが、それを食べた人のリアクションもまた対照的です。

恵方巻きを食べたきいは満足げなのに対し、クッキーを食べたいちごは不満足そうな顔を見せます。

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具材とカテゴリがミスマッチなふたつの料理に生じた反応の違いは、一体何を示しているのでしょうか?

まず一つは、『想い』の差が考えられます。一番の調味料である、「どんな想いをこめるか、どんな気持ちで作るか」というところで、そらと蘭とで差がついているということです。そらの恵方巻きにはしっかりと想いがこめられていたために、きいを軽く感動させることができたのに対し、蘭のクッキーには想いがこめられていなかった、という差が浮き彫りになっていると考えられます。

そしてもう一つは、蘭のクッキーが甘くなかったことに対する示唆です。そもそもいちごは甘いお菓子が好物であり、蘭もそれをよく知っているはずでした。たとえば50話で、あおいが注文したお祝いパフェを自分が食べる前にあおいと蘭に食べさせたときに、あおいも蘭も、このパフェの甘さがいちご好みであると語っています。

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そしてこの67話では、蘭は「たとえば今日のいちごは、昨日お腹いっぱいになるまで食べたパフェでできてるんだぞ」と語り、いちごの好物が甘いスイーツであることを改めて示しています。

いちごが蘭のクッキーを食べて疑問を抱くような表情を見せるのは、このクッキーがいちごの期待から外れた、甘くないお菓子であったことを示すものと思われます。

 

さて、いちごを満足させられなかった蘭のクッキーと対になっている風沢そらの恵方巻きは、クリームとフルーツの具材から察するに、おそらくは甘いものであると思われます。そして、食べたきいを感動させていたことから、蘭のクッキーとは違い、この恵方巻きにはきちんと「想い」がこめられていたと考えられます。

想いをこめ、甘く作られた恵方巻き。そしてその中央に位置する具材が『苺』であること。これらのことから類推するに、そらのこの恵方巻きにこめられた想いとは、いちごへの想いであったのではないでしょうか。

前回の記事で62話の合同クリスマスパーティー・巨大クリスマスケーキの企画は、そらからいちごへの強い想いから始まったものであることを指摘しました。この恵方巻きもまたいちごへの想いがこめられたものであるならば、フルーツの恵方巻きをうち捨てて山へ向かうというそらの『迷い』は、いちごへの想いを持ち続けることに対する迷いを意味するでしょう。

 

■そらの迷いの出発点、福女レース

いちごへの想いについての迷い。この迷いがそらに生じた理由とは何でしょうか?

これについては、64話「ラッキーアイドル☆」のこのシーンに尽きると思います。

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「新春 福女ラッキーアイドルレース」で優勝し、星座プレミアムドレスお仕立て券を受け取るいちごにへとスターライト、ドリアカ各校の生徒が拍手を送るなか、そらだけが後ろ手に立ちすくんでいます。レースでいちごに負けたアイドルたちさえもいちごを讃える拍手を送っているのに、レースに参加すらしていないそらが拍手を送っていないのはどこか奇妙です。ここから、このときのそらの心理状態が非常に穏やかでない、複雑な状態であったことが伺えます。

64話においてそらは、アイドルとしてではなく、デザイナーとして福女レースに関わることを選びました。

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そらは「これでも私なりのアイカツに燃えてるの」と語り、きいやセイラが走りこみの特訓を行うそばで、新作の星座プレミアムドレスのデザインを熱心に描いていました。そらはレースに優勝したアイドルにデザイナーとして選ばれることを熱望し、走る代わりにデザインで福女レースと真剣に向き合っていたわけです。

そこから考えれば、いちごが星座プレミアムドレスお仕立て券を受け取った時の、そらの拍手をしないという反応からは、自身がデザイナーとして選ばれなかったことへの強い落胆を読みだすことができます。

62話「アイドルはサンタクロース!」において、そらはいちごへの強い想いから、天羽あすかにあすかがデザインしたキラメキドレスケーキを自身の手で大きくデザインし直す許可をもらい、デザイナーとしていちごにドレスのようなケーキを着せる、という体験をしていました。そらはこの成功の体験から、いちごにデザイナーとして選ばれることへの期待をふくらませていたと考えられます。

しかしその期待は、お仕立て券を使うデザイナーとして、いちごが天羽あすかを選んだことによって破られます。いちごに選ばれなかったというショックから、そらはいちごに拍手することもできず、ただ立ち尽くすことしかできなかったのではないでしょうか。

 

■そらを導くフォーチュンコンパス

つまり、そらはいちごへの想いから苺を含むフルーツの恵方巻きを作るが、いちごから選ばれなかったことから、その想いを持ち続けるべきかを迷うーーというのが、そらの『迷い』であったということです。そしてそらは、新たなる恵方巻きのひらめきを求めて向かった山で迷いながら、同じく道に迷える蘭と出会います。

蘭の迷いとは、祖母への想いを捨てるべきかについての迷いであったわけですが、これはそらの迷いと重なるものでもあったわけです。

 

そらはお腹を鳴らす蘭に、山の幸だけで作った恵方巻きを渡します。この恵方巻きについて、蘭はそらに「ええっ、これオーディションに出そうと思ってる恵方巻き?」と尋ねますが、ここでそらは肯定も否定もせず、ただ「召し上がれ」と恵方巻きを蘭に差し出します。

この恵方巻きを受け取った蘭は、「こんなの今まで見たこと……」と戸惑いますが、その蘭の言葉を遮ってそらは「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」と語ります。

 

自分が信じるコーデを貫くしかない。これは蘭のみが迷っているのでならば、そらが蘭を諭す台詞として解釈されますが、ここではそらもまた迷える存在であることから、この台詞は自分自身に対しても言い聞かせるような台詞であるものと解釈できます。そもそも蘭がどのような迷いを抱いているのか、そらには知る由もないわけですから、蘭に対して諭すような話をし始めるというのは不自然です。

であればこの台詞は、迷えるそらが同じように迷える蘭と出会い、その蘭のために恵方巻きを作ることを通して、「自分が信じるコーデを貫く」ということについて改めて考え始めていることを示すものと考えられます。

そらの恵方巻きを一口食べた蘭は、「おいしい!」と感嘆の声をあげます。これは単に味がよいということではなく、この恵方巻きにもまたそらの『想い』がこめられている、ということを意味します。このそらの『想い』とは、いちごと同じ、「困っている人を放っておけない」という想いであったと考えられます。それは、山で空腹な人に食べ物を渡して助けるというそらのこの行動が、71話「キラめきはアクエリアス」でいちごが山中で困り果てるあおいにおにぎりを食べさせること重なることからもいえます。

62話で、ブランド立ち上げる動機についてそらは次のように語りました。

「自分が作った服で、誰かを元気に、ハッピーにできたらいいと思って、私のブランド、ボヘミアンスカイを作った」

前回の記事において、62話の時点では、この「誰か」が一見広い人を指しているようでいて、その実いちごやミミといったごく限られた人物のみを指すものであったことを指摘しました。そこから67話に至るまで、そらはそのデザインの力を、自身を除けば、クリスマスパーティ、福女レースと、いちごのためだけに用いてきました。しかし、山中で空腹の蘭に会うに至って初めて、そらは自身のデザイン(=コーデ)の力をいちご以外の人のために用いました。目の前で困っている人をハッピーにする、という、いちごと同じやりかた。それこそが、そらにとって貫くべき「自分が信じるコーデ」であったということなのでしょう。

そらは迷いの果てに、いちごのためのアイカツから離れ、しかしいちごと同じ思いを抱きながら、より広い「誰か」のためにアイカツしていく道を見つけました。

蘭は、恵方巻きの見た目にこだわるあまりに祖母への想いを捨てそうになっていましたが、見た目にこだわらないそらの恵方巻きによって、自分の迷いを断ち切るきっかけを得ました。

二人は恵方巻きによってそれぞれの道をみつけ、そして、恵方へと向けて走るいちごによって見つけられます。

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いちごと出会ったときのそらのこの笑顔を、ドリアカにて恵方巻きをきいが食べたときのそらの笑顔と比較してみましょう。

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感情が「おもてに出ない」タイプであるはずのそらが、ドリアカでは頬を染めています。これはこの時のそらにはいちごを想う大きな心のうねりがあり、一方、山でいちごと出会ったときには、もはやそらには頬を染めさせるだけの心の動きはなかったということが読み取れます。ここから、そらの傷心が癒えつつあること、いちごから静かに心が離れていくさまをみることができるでしょう。

 

■終わりに

そらがいちごへの想いを巨大ケーキとツリーという形に成就させた62話。

そらがいちごへと抱く想いが裏切られてしまう64話。

そらが抱いていたいちごへの想いを、異なる方向へと向け始めた67話。

62話から67話までのそらの物語が、そらからいちごへの想いを中心に読み解くことができる、ということをここまでのテキストで示してきました。ここまで示してきたそらの一連の心の動きを、私は「失恋」と呼びたいと思います。他にも様々な解釈はあり得るかとは思いますが、やはりそらのいちごへの想いは、「恋みたいな気持ち」だったのではないかなと私は考えています。

風沢そらにまつわるテキストとして、既に85話へのレビューを上げていましたが、今回67話を観返してみて、85話を67話と対応させながら読む必要性を感じてきたので、そう遠くないうちに85話レビューの改訂を行いたいと思います。

85話と67話の共通項として、蘭が一度は自分を否定しながら最後には取り戻すというプロットや、キーワードとして「心得」と「特訓」が出てくることが挙げられます。当然蘭とそらにまつわるストーリーであるのも共通項のひとつでしょう。

こういった対称が織り込まれていることに気づいて改めて、アイカツという物語の周到さ、深さに感じ入るところであります。

たとえ3月末でアイカツという物語にひとつのピリオドが打たれようとも、それはけして全ての終わりなどではなく、まだまだアイカツを深く読み込んでいくという楽しみは残されているわけでありまして、むしろ物語が完結することによって初めて、物語を詳細に読みこむという営みは本格的にスタートするのだと思います。アイカツの放送が終わっても、むしろここがスタートラインという思いで、アイカツという物語と向き合って行きたいと思っています。

このいちそら学序論が、皆様における、アイカツを読むという営みの一助になりましたら幸いです。