末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

ラブライブ!サンシャイン!!4話と「お伽草紙」

ラブライブ!サンシャイン!!の4話、「ふたりのキモチ」のレビューです。

4話はルビィと花丸が互いに抱く思いやりにからくるすれ違いを越えて心を通わせる瞬間を描いた美しいエピソードでしたが、この話にとある実在の小説が引用されていることに、私は強い興味をおぼえました。

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その小説とは、太宰治の「お伽草紙」です。

太宰治 お伽草紙青空文庫

もともと国木田花丸は沼津ゆかりの作家である芹沢光治良を愛読しているという設定があり、彼女が日本近代文学にあかるいのは頷けるところなのですが、そこで名指しで引かれるのが太宰のお伽草紙なのはなぜなのでしょうか。

この記事ではお伽草紙という物語がこの4話と、さらにはラブライブ!サンシャイン!!という物語全体とどのような関わりを持っているのか、どう結びついているのかについて考察してみました。みました、なんて言うと亀に怒られそうですが……。

 

お伽草紙とは――「翻案」の物語

お伽草紙太宰治のキャリアでいえば中期にあたる時期に発表された作品で、浦島太郎などの古いおとぎ話に材を取り、それらをユーモアや皮肉を交えながら翻案した短編をあつめたものです。執筆時期は1945年3月から7月にかけてであり、太宰はこの物語を戦火に追われながら書きました。防空壕での親子のやり取りからなる導入部は、その時勢を思わせるものです。
この小説の主部はおとぎ話の翻案である短編小説群なのですが、それらの短編に先立つように、導入としておとぎ話の語り手(=太宰)と娘のやり取りが描かれます。ここで語り手が防空壕で娘におとぎ話の絵本を読んで聞かせているときに、同時にそのおとぎ話を基にした『別個の物語』を胸中に育ててゆくさまが描写されます。この『別個の物語』こそが後に連なるお伽草紙の短編たち、ということになっているわけですね。

 この父は服装もまづしく、容貌も愚なるに似てゐるが、しかし、元来ただものでないのである。物語を創作するといふまことに奇異なる術を体得してゐる男なのだ。

 ムカシ ムカシノオ話ヨ

 などと、間の抜けたやうな妙な声で絵本を読んでやりながらも、その胸中には、またおのづから別個の物語が醞醸せられてゐるのである。

お伽草紙 冒頭部より引用、強調は引用者による)

  このお爺さんは、四国の阿波、剣山のふもとに住んでゐたのである。(といふやうな気がするだけの事で、別に典拠があるわけではない。もともと、この瘤取りの話は、宇治拾遺物語から発してゐるものらしいが、防空壕の中で、あれこれ原典を詮議する事は不可能である。(...)私は、いま、壕の中にしやがんでゐるのである。さうして、私の膝の上には、一冊の絵本がひろげられてゐるだけなのである。私はいまは、物語の考証はあきらめて、ただ自分ひとりの空想を繰りひろげるにとどめなければならぬだらう。いや、かへつてそのはうが、活き活きして面白いお話が出来上るかも知れぬ。などと、負け惜しみに似たやうな自問自答をして、さて、その父なる奇妙の人物は、

  ムカシ ムカシノオ話ヨ

 と壕の片隅に於いて、絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す。)

お伽草紙 瘤取りより引用、強調は引用者による)

ここで「絵本を読みながら、その絵本の物語と全く別個の新しい物語を胸中に描き出す」という語り手/太宰の心的動態が繰り返し書かれていることに注目してみましょう。ある物語を読んだことによって新しい物語が生成されるというプロセスは、そのままラブライブ!サンシャイン!!という物語の成り立ちを説明しうるものであります。

サンシャインは千歌がμ'sと出会い、μ'sを追いかけることから始まった物語です。秋葉原で千歌がμ'sの物語に触れ、そこで千歌の胸中に浮かび上がってきた「全く別個の新しい物語」こそがサンシャインだといえます。

2年生3人がAqoursとなってファーストライブを開催するところなどは、そっくりそのままμ'sの歩んだ道程をなぞっているようでもありましたが、しかしAqoursのファーストライブはμ'sのそれと違い、会場を満員にする大成功をおさめました。この辺りに、サンシャインの「全く別個の新しい」物語としての歩みを読み取ることができます。

お伽草紙はおとぎ話、サンシャインはμ'sの物語(=アニメ版ラブライブ!)という、みなによく知られた物語を下敷きにしながら真新しい物語を紡いでいる、という点で、サンシャインとお伽草紙は共通の形式をもっているのであり、このサンシャインという物語が翻案によってなされることを指摘するものとして、お伽草紙が引用されているという解釈が可能なのではないでしょうか。

 

さて、このサンシャイン4話においては、雑誌の花嫁衣装を着た凛の写真という明確な形でより細かく翻案元のネタを示しています。これはラブライブ!2期5話、「新しいわたし」で星空凛が着た衣装であり、サンシャイン4話が「新しいわたし」をベースにしている翻案の物語であることを示しています。

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 サンシャイン4話にどのような翻案を見ることができるかを示すために、まず「新しいわたし」がどのような物語だったかを振り返ってみましょう。

「新しいわたし」は自分は可愛くなんかない、アイドルに向いてないと思い込む凛に対して、花陽がセンターとして着るはずだった花嫁衣装のドレスを凛に着るよう働きかけ、凛を勇気づけるエピソードでした。エピソード中にはラブライブ!1期4話「まきりんぱな」の回想が挿入され、いま花陽が凛の背中を押そうとするのは、かつて花陽がμ'sへ加入するのを諦めそうになった時に凛に背中を押されたことへと報いる行動であることが示されています。

この凛と花陽の関係性が、サンシャイン4話「ふたりのキモチ」においてはそっくりそのまま花丸とルビィの関係に置き換わっているわけです。社へつづく石段で花丸はスクールアイドルになるようルビィの背を押して、それに報いるようにルビィは図書室へと駆け込んで花丸の背を押し返します。花丸が凛の写真に感動し、ルビィが好きなμ'sメンバーとして花陽の名前を挙げているところからも、両者それぞれの対応関係を見つけることができます。

ここまで示した二つの物語の重なりによって、「ふたりのキモチ」が「新しいわたし」の翻案であることが説明できます。そしてこの翻案は確かに「新しい別個の物語」としても確かに成立しているといえるでしょう。この凛の写真の参照は、凛⇔花丸、花陽⇔ルビィという対応関係を明らかにするとともに、アイドルとしての自信がなかった凛が振り絞った勇気が、時を越えて自信のない花丸を勇気づけている、というドラマを物語るものでもあります。ただ過去の物語をなぞるだけではなく、そこに新しい別個の物語を浮かび上がらせていることこそが、サンシャインのもつ面白さのひとつなのではないでしょうか。

 

もう一つ、この翻案という形式を活かしたシーンを挙げておきます。そこでキーになっているのは「絵本」です。

お伽草紙において、既存のおとぎ話と太宰の紡ぐ新しいおとぎ話の間には絵本というものが触媒のように存在していました。太宰がおとぎ話の絵本を読むことによって胸中に新しいおとぎ話が生成される、という過程がお伽草紙では書かれていましたが、サンシャイン4話においては、その「絵本」の役割を「アイドル雑誌」が果たしているように見えるのです。

4話において、物語を推進させる「語り手」の役割は花丸であり、その花丸が回想の中学時代の図書室にて読んでいた本こそが他ならぬお伽草紙でありましたが、その時に花丸のすぐ後ろでルビィの読んでいた本とはアイドル雑誌でした。

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お伽草紙冒頭において語り手である父が娘をなだめるために読むのが絵本でありましたから、両者を対応させてみれば、花丸の居場所であった図書室が逃げ場である防空壕であり、娘をなだめる父が花丸であり、絵本になだめられる娘がアイドル雑誌を嬉々として読むルビィ、という見立てが成立することとなります。ルビィにとって図書室が防空壕であるというのは、姉である黒澤ダイヤからアイドル雑誌を「それ、見たくない」と言われたあとなのだとすれば頷ける話です。ルビィが安息してアイドル雑誌を読んでいられる場所は、家ではなく図書室だったのかもしれません。

 

そして、アイドル雑誌は沼津の本屋にて再登場します。ここで雑誌を読むとき、かつてお伽草紙を読みながら「新しい物語」を空想していたときのように、花丸がそっと目を閉じる描写が描かれています。

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「そこで読む本の中で、いつも空想をふくらませていた」

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「μ'sか。オラには無理ずら」と諦めの言葉を漏らしていた花丸が、雑誌の凛の写真を見た後には、ルビィへとスクールアイドル部への体験入部の意向を伝えることを決意したような表情を見せていました。無理ずらから体験入部までには心理的な飛躍が認められますが、この間を埋めたものとは何だったのでしょうか。

それは、アイドル雑誌の写真を見て目を閉じてから開くまでの間に、花丸がまぶたの裏に見た、胸の内に広がったひとつの空想であったのだと思われます。アイドルとしてきらきら輝く自分の姿を、花丸は花嫁姿の凛に自分を重ねる形で想像したのではないでしょうか。

だとすれば、凛の物語から生じた花丸の胸中の物語、という形で、ここでもある種の「別個の物語」の生成、ひとつの翻案がなされているといえます。絵本を読んで太宰の胸中におとぎ話が育ったように、花丸もまたアイドル雑誌を通じて、自分がアイドルになるというとても魅力的な物語を胸中に描くことができたのではないでしょうか。

 

・太宰と「沼津」

ここからは、翻案以外の要素について検討していきます。まずは「沼津」について。サンシャインの舞台である沼津ですが、お伽草紙の作中には沼津について言及している箇所があります。

「浦島さん」の冒頭で語り手は、浦島太郎の舞台である丹後の海に、浦島太郎をも載せられる、たいまいのように手に鰭を持つ大型の亀が居るだろうかと自問自答します。そこで語り手は沼津で大きな赤海亀を見たという自身の体験を引き合いに出して、それならば丹後にも居てもおかしくないはずと結論づけて、おとぎ話の亀を赤海亀と設定します。

そこで、私は考へた。たいまいの他に、掌の鰭状を為してゐる鹹水産の亀は、無いものか。赤海亀、とかいふものが無かつたか。十年ほど前、(私も、としをとつたものだ)沼津の海浜の宿で一夏を送つた事があつたけれども、あの時、あの浜に、甲羅の直径五尺ちかい海亀があがつたといつて、漁師たちが騒いで、私もたしかにこの眼で見た。赤海亀、といふ名前だつたと記憶する。あれだ。あれにしよう。沼津の浜にあがつたのならば、まあ、ぐるりと日本海のはうにまはつて、丹後の浜においでになつてもらつても、そんなに生物学界の大騒ぎにはなるまいだらうと思はれる。それでも潮流がどうのかうのとか言つて騒ぐのだつたら、もう、私は知らぬ。その、おいでになるわけのない場所に出現したのが、不思議さ、ただの海亀ではあるまい、と言つて澄ます事にしよう。科学精神とかいふものも、あんまり、あてになるものぢやないんだ。定理、公理も仮説ぢやないか。威張つちやいけねえ。

お伽草紙・浦島さんより引用)

沼津は太宰が処女作である「思ひ出」を書き上げた土地であり、また代表作のひとつである「斜陽」のはじめ二章までを執筆した場所でもあります。とくに太宰が「斜陽」を書いたのは沼津の安田屋旅館においてであり、この安田屋旅館とは千歌の実家である「十千万旅館」のモデルです。太宰とサンシャインはその土地を介して深く結びついているといえるわけですね。

お伽草紙で書かれている「沼津の海浜の宿で一夏を送つた」とは、前述の「思ひ出」を書いた逗留のことを指すものと思われます。安田屋旅館には「思い出」という名のつけられた風呂があるそうですが、その沼津逗留にあやかったネーミングなのでしょうね。

ちなみに太宰の他の作品だと「富嶽百景」にも沼津への言及があります。こちらでは沼津から見た富士山の眺望について書かれているのですが、そういえば4話には渡辺曜が「富士山くっきり見えてる」と屋上で感嘆するシーンがありましたね。

 

・「引返す」ことは可能か?

さて続いて「浦島さん」からの話なのですが、「浦島さん」において、亀が浦島太郎に対して『引返す』という語について説教をぶつ箇所があります。

 性温厚の浦島も、そんなにまでひどく罵倒されては、このまま引下るわけにも行かなくなつた。
「それぢやまあ仕方が無い。」と苦笑しながら、「仰せに随つて、お前の甲羅に腰かけてみるか。」
「言ふ事すべて気にいらん。」と亀は本気にふくれて、「腰かけてみるか、とは何事です。腰かけてみるのも、腰かけるのも、結果に於いては同じぢやないか。疑ひながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ。試みたとたんに、あなたの運命がちやんときめられてしまふのだ。人生には試みなんて、存在しないんだ。やつてみるのは、やつたのと同じだ。実にあなたたちは、往生際が悪い。引返す事が出来るものだと思つてゐる。」

お伽草紙・浦島さんより引用、強調は原文ママ

浦島太郎の云った「腰掛けてみる」という言葉の尻をとらえて、引き返すことの不可能性を亀が厳しく説くものなのですが、これは花丸が体験入部という「~してみる」理屈をつかった上で、結局入部しようとしなかった(=引き返した)ことに結びつくものとして読めます。花丸は体験入部でアイドルになってみることを選び、そして社へと続く石段を途中で引き返します。社への石段を登り切ることは、ルビィが登り切った時のメンバーのリアクションや、元スクールアイドルと思しき果南がゆうゆうと石段を登っていることなどを加味すれば、アイドルとなることのひとつのイニシエーションであると捉えられるわけですが、花丸がそれを途中で引き返すのは、彼女がアイドルとならないことを強く印象づけます。しかし最終的に花丸はアイドルとなるわけであり、結果的に亀の「どつちにしたつて引返すことは出来ないんだ」という理屈が通っているかたちになっているわけです。このお伽草紙との重なりは実に面白い調和だと思います。

さて、浦島太郎といえば竜宮城、そして乙姫ですが、Aqoursのシングル曲、「恋になりたいAQUARIUM」 は竜宮城の乙姫のイメージをジャケットや歌詞から感じます。

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「サカナたちのパーティー」は竜宮城での「タイやヒラメの舞い踊り」かという感じですが、あわあわ、と泡と恋が取りざたされる2番の歌詞は人魚姫を想起させるものでもあります。ジャケットの花丸なんかは人魚っぽいポーズを取っているようにも見えますし、陸から海へ行く浦島太郎と海から陸へ行く人魚姫の両方をモチーフにしていたりするところに何かしらの意味があるのかもしれません。

 

・「日本一」の物語

少し話が逸れましたが、今一度お伽草紙に話をもどします。次は「日本一」についてです。
ラブライブ!2期において、μ'sはラブライブ!大会で優勝し、日本一のスクールアイドルとなったわけですが、この「お伽草紙」には、太宰が日本一である「桃太郎」のような存在については書けないと語る箇所があります。

(…)しかし、私は、カチカチ山の次に、いよいよこの、「私の桃太郎」に取りかからうとして、突然、ひどく物憂い気持に襲はれたのである。せめて、桃太郎の物語 一つだけは、このままの単純な形で残して置きたい。これは、もう物語ではない。昔から日本人全部に歌ひ継がれて来た日本の詩である。物語の筋にどんな矛盾があつたつて、かまはぬ。この詩の平明闊達の気分を、いまさら、いぢくり廻すのは、日本に対してすまぬ。いやしくも桃太郎は、日本一といふ旗を持つてゐる男である。日本一はおろか日本二も三も経験せぬ作者が、そんな日本一の快男子を描写できる筈が無い。私は桃太郎のあの「日本一」の旗を思ひ浮べるに及んで、潔く「私の桃太郎物語」の計画を放棄したのである。
 さうして、すぐつぎに舌切雀の物語を書き、それだけで一応、この「お伽草紙」を結びたいと思ひ直したわけである。この舌切雀にせよ、また前の瘤取り、浦島さん、カチカチ山、いづれも「日本一」の登場は無いので、私の責任も軽く、自由に書く事を得たのであるが、どうも、日本一と言ふ事になると、かりそめにもこの貴い国で第一と言ふ事になると、いくらお伽噺だからと言つても、出鱈目な書き方は許されまい。外国の人が見て、なんだ、これが日本一か、などと言つたら、その口惜しさはどんなだらう。だから、私はここにくどいくらゐに念を押して置きたいのだ。瘤取りの二老人も浦島さんも、またカチカチ山の狸さんも、 決して日本一ではないんだぞ、桃太郎だけが日本一なんだぞ、さうしておれはその桃太郎を書かなかつたんだぞ、だから、この「お伽草紙」には、日本一なんか、もしお前の眼前に現はれたら、お前の両眼はまぶしさのためにつぶれるかも知れない。いいか、わかつたか。この私の「お伽草紙」に出て来る者は、日本一でも二でも三でも無いし、また、所謂「代表的人物」でも無い。これはただ、太宰といふ作家がその愚かな経験と貧弱な空想を以て創造した極めて凡庸の人物たちばかりである。

お伽草紙・舌切雀より引用、強調は引用者による)

お伽草紙に現れる人物は「極めて凡庸の人物」であり、決して日本一ではないということを太宰は荒っぽく語ってみせるのですが、それではさて、このお伽草紙を引用し、構造によっても深く重ねられたサンシャインにおいて、Aqoursラブライブ大会を優勝することができるのでしょうか?お伽草紙同様に、極めて凡庸な普通星人たちの物語こそがサンシャインであるならば、Aqoursが日本一になることはない……のかもしれません。

 

・よしまるなんだよな…
最後はただのトリビアですが、太宰治は本名を津島修治といい、善子と同じ津島姓です。つまり太宰を読む花丸というのは即ちよしまるなのですよね。よしまる、一番すきなカップリングです。

以上がお伽草紙から読むサンシャイン4話でした。ここからは4話の演出でこれは、と思った箇所などの列挙です。

  • 中学の図書室でお伽草紙を読むシーンと、沼津の本屋でアイドル雑誌を読むシーンは前述の通り、本を介した空想という点で重なりあうシーンではあるのですが、その他にも花丸が読み終えたあと、本を抱えた少女へと振り返るというところも共通しています。図書室ではアイドル雑誌を読むルビィへ、本屋では天使大辞典を抱える善子へと振り向きます。よしまるなんだよな……。
  • 千歌の「絶対悪いようにはしませんよ~」はサンシャイン1話でも使われていた言い回しですが、これはラブライブ!1期4話で穂乃果が花陽に対して使っていた誘い文句でもありました。これも凛の写真同様、1期4話→2期5話→サンシャイン4話の流れを押さえた参照なのでしょう。
  • 2期5話は最後の台詞が凛の「さあ、今日も練習、いっくにゃー!」だったのに対して、サンシャイン4話の最後の台詞は「さあ、ランニング行くずらー!」であるのも対比が効いたにくい演出です。

サンシャイン、キャラの可愛さと繊細な演出と過去への参照が醸し出す奥行きの深さが合わさり最高ですが、この4話はとくにその表現において傑出しているエピソードだと思います。これからもっと凄いエピソードが来ることに期待しています。