末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

詳説・アイカツ!61話「キラ・パタ・マジック☆」

 先日のバンダイチャンネル3日間無料体験キャンペーンの折、ずっと観なくてはと思っていたアイカツ!をようやっと101話まで観ることができました。その中で、心に残るエピソード数あれど、61話「キラ・パタ・マジック☆」の素晴らしさは別格でして。最初に61話を観終わった瞬間61話をリピート再生しましたし、101話を観終わった後も61話を再生しました。体験期間終了後、禁断症状を抑えられずU-NEXTの余っていたポイントで61話を単話購入したり(最近はdTVがアイカツ2nd観放題になってとても嬉しい)、図書館でモロッコについて調べたりモロッコにゆかりのある作家の小説や伝記を読んだりして、61話と風沢そらへの理解を深めようと努めるようにまでなってしまいました。いじられヴァンパイア目当てに筐体デビューもしました。オリエンタルリブラのカードも揃えました……。

 それで、61話や風沢そらについて語りたいことは頭に浮かび次第ちょいちょいtwitterでつぶやいていたのですが、twitterでは語りづらいまとまった文章を書きたくなってきたので、今回ブログでまとめて語ろうと思い記事を書くことにしました。

 今回は純粋に61話だけを取り上げて語ります。モロッコにまつわる作家と風沢そらとの繋がりについても色々と発見があって大変面白がっているところなのですが、それはまた別の機会に。

 

15/06/21 一部内容を修正・改稿しました。

16/03/24 全体的に表現を改め、一部内容を追加しました。

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アイカツ!61話 「キラ・パタ・マジック」

脚本:加藤陽一 絵コンテ:近藤信宏 演出:福岡大生 作画監督石川恵理、糸島雅彦

挿入歌「Kira・pata・shining」作詞:只野菜摘 作編曲:PandaBoY 歌:すなお from STAR☆ANIS

あらすじ

 風沢そらはドリームアカデミーに在籍しているアイドルであり、デザイナーとしても活躍して世間から注目されている。ある日、ドリームアカデミーのティアラ学園長から、そらによる新ファッションブランド立ち上げという提案をされる。この異例の提案をそらは承諾するものの、その責任の重さとうまく向き合えないでいた。作りたい服を自由に作るのではなく、ブランドとして定期的に作品を作らなくてはならないという重圧に耐えられるか、また、自分のデザインで本当に他人を輝かせることができるのか、と思い悩む。

 その様子を見たきいとセイラは、そらの助けになろうとそらの部屋を訪れる。するとそこにはオウムがいて、セイラときいは驚く。オウムはそらのペットであり、そのオウムのパームについて話し始めたことから、自身がデザイナーを志したきっかけである、モロッコ・マラケシュでの体験について語り始める。

 そらが5歳の頃、マラケシュで出会ったボヘミアンのミミは、ずっと世界を自由に放浪してきた人だったが、今はマラケシュにとどまり、新しい土地へ旅立つことをこわがるようになってしまっていた。そらはミミが作るアクセサリーに影響を受けて、自分でもアクセサリーを作るようになっていった。

 ある日、日々熱中してアクセサリー作りに打ち込むそらに対してミミはすごいねと感嘆の声を漏らすが、そらはそれを否定する。「本当に凄いのはミミさんだよ、わたしが作ってるのはミミさんが頑張ってるのを見ていいなって思ったからだよ。くしゅ、ふわって。あれ見てから私、魔法にかかったみたいなんだもん」と返し、そらは作ったばかりのアクセサリーをミミの髪につける。鏡を見てその出来栄えに感心し嘆息したミミは、「魔法か。アクセサリーも衣装も、おしゃれって魔法なのかもしれない。新しい自分になりたいときに、元気をくれる魔法。うん」とひとりごちる。そらはミミに、「わたしはこういうの作る人になりたいな。わたしもなりたい自分になれる?」とたずねる。ミミは、そらのままで居続ければきっとなれる、今のあなたに元気をもらったからとこたえる。

 後日、そらがミミの部屋を訪ねると、ミミは既に旅立った後であり、残されていたのは置き手紙と髪飾りだけであった。手紙にはそらへの感謝の言葉が書かれており、髪飾りは、今でもそらが大切に身につけているものだった。

 その話を聞いたきいは、そらがあげたアクセサリーが魔法をかけたからミミは旅立つことができたのだ、とミミの旅立ちの理由を説明する。なぜミミが旅立ってしまったのかがわからなかったそらは、晴れやかな顔できいの説明を受け入れる。きいは重ねて、そらがブランドを立ち上げて自分らしく衣装を作ればミミのように元気を受け取る人がかならず現れる、とそらを勇気づける。

 きいたちとの話で踏ん切りがついたそらは、元々ブランドにつけようとしていた名前『ボヘミアン』に、より自分らしくいられるようにと自身の名を加えて『ボヘミアンスカイ』とする。新ブランドのお披露目ステージで、そらは自身がデザインしたプレミアムドレス『オリエンタルリブラ』を着てステージに上がる。

 お披露目ステージは大成功に終わり、そらは建物の外の海辺へ出て独り、空を見上げる。心に思い浮かべるのは砂漠へと消えていくミミの姿である。誰かを元気にできたかな、と想うそら。気づけばあたりに雪が降り始めていた。

 

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ストーリー考察

 エピソード中盤、そらはティアラ学園長のブランド立ち上げの提案を受けたあと、きいとセイラに対し、ブランド立ち上げにまつわる二つの責任について、「どうしていいか悩んでる」と語る。その責任の一つは、自身のブランドを持てば、たとえアイデアがなくとも、新しい衣装を定期的に発表し続けなくてはならないという責任であり、そしてもう一つは、アイドルの魅力を十分に引き立てる衣装を作らなくてはならないという責任であった。ブランドを立ち上げることには賛同したものの、それらの責任を背負ってゆけるかどうかについての悩みがそらの中にはあったのだった。

 これらの悩みのうち、後者の、着た人の魅力を引き立てる責任についての悩みは、きいの説得が大きな支えとなり解消している。ミミが再び旅立つための勇気をそらのアクセサリーから得たことから、そらのデザインには人を元気づける「ファッションの魔法」が備わっているはずだ、というのがきいの説得の論理であり、そらはこの理屈を受け入れた。

 それでは前者の、定期的に衣装を発表し続けなければならないという責任についての悩みはどうだろうか。この悩みが解消されている描写は作中には存在しない。とすれば、そらは定期的に作品を発表する責任についての悩みを抱えたまま、ボヘミアンスカイを立ち上げていることになる。

 そのそらの穏やかならざる内心が垣間見られるのが、ボヘミアンスカイのお披露目ステージの後、会場を出たそらが薄暮の空を見上げてミミを想う、61話のクライマックスともいえるこのシーンだ。

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 そらがイメージするのはミミの旅立ちのシーンだが、砂塵へと消える直前、振り向いたミミの表情には愁いが漂っている。このシーンがはらむ意味あいをより深く検討するために、このミミの旅立ちのシーンを、もうひとつのミミの旅立ちを描いたシーンと比較したい。そのシーンは、きいが、そらがあげたアクセサリーがミミにファッションの魔法をかけたからミミは旅立ったのだとそらを説得するところで映される以下のものだ。

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 ステージ後と、きいの説得中とのふたつのミミの旅立ちのイメージを比較検討してみよう。どちらにも夕空の下に旅立っていくミミの姿が描かれているが、先に挙げた旅立ちの情景は、背景の描き込みや無骨なバックパックの存在から、よりリアルな旅立ちのイメージであることがわかる。次に、ミミが見せるしぐさなどの違いに注目すると、前者のミミが不安げな表情を見せているのに対し、後者のイメージでは、ミミは晴れやかな表情を見せている、前者では後ろ髪を引かれるように振り向くが、後者では振り向かず前へと進んでいく、前者のミミはそらの髪飾りを見せない(つけているのかも不明)が、後者ではそれを大写しにする、という対比が見て取れる。

 これらの対比から、後者のミミの旅立ちのイメージは、「ファッションの魔法」の力に鼓舞されたミミを表現するものであるといえる。それは、このイメージが「そのアクセが、ミミさんにおしゃれの魔法をかけてミミさんは新しい自分になりたいって思ったんだよ」というきいの台詞と共に映しだされたものであることからも明らかだ。

 そして、前者、つまりステージ後にそらがイメージしたミミの旅立ちにおいては、ミミには「ファッションの魔法」の力がほとんど働いていない状態である、ということになる。きいに、そらのデザインには魔法の力が備わっている、人を元気にさせることができると説得されたそらがブランド立ち上げのステージを大成功させたにもかかわらず、そらは「ファッションの魔法」がかかっていないミミの姿を思い浮かべている、ということになる。

 ステージ直前に「魔法をかけてあげる」と言って始めたステージが大成功を収めたにもかかわらず、「ファッションの魔法」のかかっていない愁いの表情のミミを想う。この表現こそ、そらの穏やかならざる内心を描き出すものであり、「定期的に衣装を発表し続けなければならないという責任」についての悩みの深さを示すものであると考えられる。

 定期的に衣装を発表し続けなければならない状況というのは、そら自身が不自由な立場になることを意味する。「私はね、今まで作りたい服を自由に作ってきた。ほとんど趣味みたいにね」と語ったように、そらはこれまで自由な存在であったが、ブランドを立ち上げてトップデザイナーとなれば、様々な制約にしばられて不自由になってしまう。そらにとってブランド立ち上げとは、「ファッションの魔法」を行使するために必要なことであると同時に、自身の自由を奪うことでもあった。この自由を失うことへの「恐れ」が、ステージ後に想像する旅立つミミのイメージを形作ったのだと考えられる。

 ミミはずっと世界を旅していたが「少し、恐くなったんだ。新しい扉を開くのが」とマラケシュに落ち着いていたところにそらと出会った。きいは、そらの「ファッションの魔法」がミミにかかったことにより、ミミは旅立つことができたのだと語る。魔法によって克服される「恐れ」。だが、ステージ後のそらがイメージするミミには、前述のとおり「ファッションの魔法」がかかっていない。それでもミミは砂の中へと旅立ってゆく。胸の内にある「恐れ」と戦いながら。

 ミミは「恐くなった」と語ったが、それはどのような恐怖なのだろうか。自由なボヘミアンらしく、自由な旅を続けてきたミミ。しかし、ミミはマラケシュで立ち止まった。自由とは、孤独と表裏一体だ。ミミの新しい扉を開くことへの「恐れ」とは、この孤独への恐れではないだろうか。

 ミミはそらの「魔法にかかったみたいなんだもん」という言葉と、そらの作ったアクセサリーに心を強く動かされる。そしてミミは「アクセサリーも衣装も、おしゃれって、魔法なのかもしれない。新しい自分になりたい時に、元気をくれる魔法」と語る。

 そらへと「魔法」をかけるのに成功していたこと。そして、そらに教えたアクセサリー作りの技によって創りだされたものが、自分を確かに元気にするものであったこと。これらが一体となって、ミミは勇気づけられたのだと考えられる。自分に憧れて自分と同じ道を志したそら。そのそらのアクセサリーに「魔法」がこめられていたからこそ、ミミは「恐れ」を克服することができたのだろう。

 ミミはそらとの交流を介して、旅先のどこかまったく新しい場所でも、ファッションの魔法を通じて、再び誰かと豊かな関係を結ぶことができるという希望を抱き、それを「恐れ」を克服する助けとした。だが、いかに魔法の力があろうとも、自由を求め続ける限り孤独の恐怖のみを完全に消し去ることはできない。それでもミミは自由な旅を続ける。

 ステージ後のそらが思い浮かべたミミの姿とは、そうした「ファッションの魔法」の力を信じながらも、心に恐れを残しながら前へと進んでゆく姿だったのだと考えられる。そして、そらもまた「恐れ」を抱きながらも前に進もうと、ブランドを立ち上げたのだった。

 そらの「恐れ」は不自由になることへの恐れであったが、これは表現を生業とする者についてまわる責任である。セイラが「アイドルが風邪を引いてもステージに立たないといけないのと同じか」と例示したように、何かを表現しようとする者は、それをプロとして果たし続ける責任と向き合わなくてはならない。責任を背負い、自身の自由を犠牲にしてでも、人に「ファッションの魔法」をかけていく道をそらは選んだのだ。

 ミミは砂嵐の中へ消え、そらは潮風に吹かれながら降り始めた雪を受け止める。砂漠と海辺、砂と雪という対照的な光景から、ミミとそらとの立ち位置の違いが浮き彫りになる。孤独に耐えて自由な道を歩むミミと、不自由なポジションに身を置いてでもファッションで人を自由にしようとするそら。それぞれがそれぞれの道を歩んでいく。

 しかし二人を包む情景には、共有されるものもある。それは、そらの髪色である、青から紫へのグラデーションがかった色の夕暮れの空だ。

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 「誰かを元気にできたかな。私のボヘミアンスカイ…」

 

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その他各シーンについて

早朝、そらの部屋。インテリアに注目すると、マラケシュの部屋のそれと非常に似ていることがわかる。

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ランプ、絨毯、ベッドの柄など、そらが幼少期のマラケシュでの体験に大きな影響を受けていることが伺える。

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ティアラ学園長の

「次のステップに進んでもらうアイドル、決めたんだ」

「風沢そら」

という台詞の後、そらの部屋へと場面が移る。風が吹き込みカーテンが揺れる。

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この風が吹き込みカーテンが揺れるカットはこのエピソードの中で繰り返し描かれる。

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ミミが旅立ったあとの部屋。

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ブランド名をボヘミアンスカイに決めるところ。この後ベッドに腰掛けスケッチブックに「Sky」を書き加える。

風と空はこの回を通して繰り返し描かれるモチーフであるが、特に風は新たな出発のイメージと結びついていることがわかる。

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部屋にミミがいる時のカット。カーテンは揺れておらず、無風である。

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窓際で「クルクルキャワワ」と唱えながら自分の髪を整えるそら。すぐ右手にある鏡を見ながらではなく、窓の外の空を見ながら行っているところに、これが身だしなみを整えるための行動ではなく、おまじない的な行動だということが示されている。

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クラスメイト?に対して、服装、髪型、メイクを手直しし、仕草と表情にアドバイスするそら。きいとセイラにアクセサリーをプレゼントするところも含め、そらが人にファッションの魔法をかけることを好むことが繰り返し表現されている。

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 そらへの「魔法をかけてもらったみたい」という少し不自然な台詞。特に目的がなければ「魔法みたい」と言うのが自然だろうか。後にそらがミミに対して言う「魔法にかかったみたい」を引き立たせるために、あえて引っかかりを作っていると考えられる。

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きい「エスニックに、ウエスタンに」

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エスニックで指される服(右側)はラスタカラーをフィーチャーしている。

そら「ボヘミアン

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ボヘミアンで指される服はカフタンのワンピースのようだ。カフタンはトルコなどのイスラム圏で着られる民族衣装であって、モロッコでも着られている。

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ティアラ学園長の「デザイナーとして自分のブランド作っちゃいなよ」に対する他生徒のリアクションについて、音では「ブランドだって!」「すごいよそらちゃん!」「頑張ってね」などの歓声が上がっているのだが、画の方では周りの生徒は困惑の表情を浮かべている。

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この描写のぶれは興味深い。困惑した表情の生徒たちがデザインコースの生徒で、歓声を上げているのは見学に来ている他コースの生徒である、と読むのは深読みかもしれないが、ブランド立ち上げが手放しには喜べないことだと演出する効果はあるだろう。

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セイラ、きい、そらそれぞれのスリッパ。

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そらのスリッパはモロッコのスリッパ・バブーシュのようでもあるが、バブーシュはかかとを踏んで履くのが特徴なので違うかもしれない。きいのワニスリッパがかわいい。

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マラケシュの街並み。これはマラケシュの観光名所であるジャマ・エル・フナ広場そばにある、Cafe de Franceの最上階テラスから観た景色と一致する。→参考ページ

このジャマ・エル・フナ広場は、各地から集まった芸人が様々なパフォーマンスを行っており、昼夜問わず人波であふれている場所だ。こういったオープンな広場が存在するマラケシュという街を舞台に選んでいることが、踊りで人を集める行商で生計を立てるボヘミアンのミミという存在に更なる説得力を与えている。

また、最後にミミは街を去り砂漠へと足を踏み入れる描写があるが、これもマラケシュがかつてサハラ砂漠のキャラバン貿易で栄えた、砂漠と縁深い内陸の都市であることをうまく要素として活かしている描写だ。実際はマラケシュと砂漠は面しておらず、砂漠へ行くにはアトラス山脈を越えなくてはならないのだが、マラケシュを発ったミミが砂漠へと向かう、という描写にはかなりの妥当性があるといえる。

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ボヘミアンのミミ。「ボヘミアン」は様々な意味を持つ語だが、ここでは民族としてのボヘミアン(ロマ、いわゆるジプシー)か、流浪する生活様式としてのボヘミアンかのどちらかの意味だろう。61話でのボヘミアンについての説明は後者の生活様式についてのみである(そら「ボヘミアンっていうのは、自由な生活をしている人々のこと」)。しかし、続く62話のらいちが書いた壁新聞の記事には少数民族ロマへの言及があり(参考ページ)、またミミの服装がジプシー的なものであることもあり、少しややこしいことになっている。

私は自由に放浪するヒッピーの言い換えとしてボヘミアンという語を用いているのだと解釈している。ロマは自由な生活をしているわけではないし、61話のステージでそらが身に着けていたアクセサリーが『オリエンタルリブラヒッピーバンド』であったこともそれを裏付けているように思える。

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Kira・pata・shiningのCGシーン。

そらが出てくる建物はインド様式のモスクであるように見受けられる。モロッコのモスクとはドームの形状やミナレット(鐘楼)の形が異なっている。

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調べた中で一番形状が似ていたのはタージマハルのモスク。

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前述のロマもインドにルーツをもつ民族であり、インドとモロッコのイメージが繰り返し重ねられていることは非常に興味深い。インドとモロッコの共通項として、かつてヒッピーの聖地であったという点もあげられる。

このムービーは放送できる最高のサイケであり、分身など幻惑的な表現が多用されている。この曲は67話にも用いられており、そちらはそらと蘭とのステージで、背景が万華鏡的に変化するエフェクトが追加されるなどよりサイケ度が増している。

61話と67話のステージを比較してみると、61話のステージにのみ用いられている特徴的な演出があることがわかる。そらが扉の前で立ち止まり、空を見るこのカットだ。DCD版ではたいまつに火が灯っていく演出の部分である。

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扉の前で立ち止まり、壁と扉が消え彩度の低い空が僅かな時間だけ映る。ここの空の描かれ方はこのCGステージ中でも異色である。以下の画像と比較してみよう。

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雲の量、形状や、光線の効果が雲の上に乗っているところなど、ここの「空」の描写が他と大きく異なっていることがわかる。

閉じた扉の奥に広漠とした空を見つつも、妖しげな笑みを浮かべながら堂々と扉を開いてゆく風沢そら。恐れを抱きながらも魔法をまとって前へと進んでいくそらの強さが感じられるシーンだ。扉を開く描写を、ミミの「少し怖くなったんだ。新しい扉を開くのが」という台詞ともかさねてみることもできるだろう。

61話においてきいはそらの悩みを解きほぐす重要な役割を果たすが、それがきいによってなされたのはなぜか、という点について考察する、天秤氏のブログ記事を紹介したい。

azure19s.blog.fc2.com

61話を読み解く上で非常に参考になるものであり、また、このレビューに欠けている視点でもあるので、紹介させていただいた。ご一読を薦めたい。

 

 

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おわりに

61話に関してはこのような記事も書いているので、こちらもぜひ。