末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

風沢そらと『郷愁のモロッコ』

アイカツ!61話の魅力に取りつかれて以来、風沢そらをより深く理解するために、モロッコに関する情報を集めたり、書籍を読みふけったりしていたのですが、その中に、これは!風沢そら!と思うような小説がありましたので、この記事で紹介したいと思います。

その小説とは、エスタ・フロイド著の『郷愁のモロッコ』です。

郷愁のモロッコ

郷愁のモロッコ

 

私がこの本を知ったのは、マラケシュを舞台とする『グッバイ・モロッコ』なる映画があるらしいということからでした。調べてみると原作は小説であり邦訳もあるとのことで、それが『郷愁のモロッコ』だったのですが、より詳しい情報を求め河出書房新社のサイトへ行ってみますと、そこにはこんな惹句が。

『1960年代中頃のロンドンから、自由を求めてマラケシュへ旅立つヒッピーの母親と二人の娘。魔法の地モロッコでの不思議な体験を5歳の娘の目を通して描く。映画「グッバイ・モロッコ」原作。』

自由。マラケシュ。旅。ヒッピー。母親と娘。魔法。これはどう考えてもアイカツ61話なのでは?と思い、さっそく最寄りの図書館で借りて折り返しの著者紹介に目を通してみますと、そこに書かれている情報に胸を撃ちぬかれました。

 

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Esther Freud

1963年ロンドン生れ。4歳の時ヒッピーだった母につれられて姉とともにモロッコを2年間放浪。その時の体験が本書の素材となっている。各地を転々としたのち16歳の時にロンドンにもどって俳優の訓練をうけ、 現在は俳優、脚本家としても活躍している。本書は作家としてのデビュー作。出版と同時にベストセラーとなり、異例の反響を呼んだ。1998年に映画化。ちなみに著者の曽祖父はジークムント・フロイト、父は画家のルシアン・フロイド、そして姉は有名なファッション・デザイナー。

(折り返し部分)

自由。マラケシュ。旅。ヒッピー。母親と娘。魔法。ファッション・デザイナー(New!)。

 

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マラケシュを訪れた少女が後にファッションデザイナーになる、というのは完全にアイカツ61話です。さらに言えばエスタ自身も俳優の訓練を受け、俳優としての仕事もしている、という点も、風沢そらがファッションデザイナーと舞台に立つアイドルとの両方の仕事をしていることとの重なりをみることができて、非常に面白いところです。

この「有名なファッション・デザイナー」である姉とはBella Freud(ベラ・フロイド)のことです。彼女のbiographyについては日本語でまとまっているところがなさそうだったので、WikipediaのBella Freudの項とベラのHPのBIOGRAPHYFashion Model DirectoryのBella-Freudの項の情報を以下にまとめてみました。

61年ロンドン生まれ。77年、ベラが16歳の時にヴィヴィアン・ウエストウッドから『Seditionaries』(現在の『World's End shop』)というショップに職を与えられて働き始めるが、ファッションの勉強を望んで店を去る。イタリアの『Accademia di Costume e di Moda』で3年間学びながら、同時に現地で仕立ての仕事と靴のデザインに取り組む。その後ヴィヴィアンの下に戻り、彼女のデザインスタジオで4年間アシスタントとして働き、技術を完成させる。90年に自身のブランドを立ち上げ、91年にはBritish Fashion AwardsのセレモニーでYoung Innovative Fashion Designer of the Yearとして選ばれるなど活躍し、今に至る。

彼女のブランドについては、ちょっと変わっている、俗っぽい要素の配置されたカラフルなニットで知られている。

そのニットは氏のHPで見られます。

http://www.bellafreud.com/shop/women/

この姉とともに母に連れられ、妹のエスタがモロッコを放浪した2年間の経験をもとに書いた自伝的小説が『郷愁のモロッコ』です。

さて、小説の中身へと話を移しましょう。正直なところ、小説本文からはこの著者紹介を越えるだけのアイカツインパクトは受けなかったというのが正直なところですが、小説は小説で面白かったので、しっかりレビューしていきたいと思います。

 

 

■あらすじ

物語の語り手は、幼い少女であるルーシー。

時代は1960年代。若い母親・ジュリアと二人の娘(姉のビーと妹のルーシー)はロンドンを発ち、モロッコマラケシュへと向かう。ジュリアはイギリスの退屈なしきたりに愛想を尽かして旅に出たのだった。三人はマラケシュの安ホテルに宿をとり、手縫いの人形を売ったり、ロンドンに住む夫からのささやかな送金をあてにしたりして生計を立てる。

そんなある日、ジュリアはマラケシュの広場で魔術師の弟子であるビラルと出会う。ジュリアとビラルは次第に親密になり、二人の娘も父代わりに彼と親しむようになる。

ジュリアは旅の目的の一つであったスーフィズムイスラム神秘主義)を探求したがるが、娘たちは反発する。イギリスでの生活を取り戻したい姉のビーは、学校へ行きたいと訴える。しかしジュリアは、ビーをマラケシュで知り合ったばかりのイギリス人家族のもとへ預け、ルーシーだけをつれて隣国アルジェリアにいる高僧のもとへ旅立つ。

アルジェリアにて修行に入ったジュリアだったが、次第にマラケシュに残していったビーのことが気になり始める。マラケシュへと戻ると、ビーを預かったイギリス人家族はどこかへ消えている。ほうぼう探しまわり、施設へと預けられていたビーを見つけ出す。その施設の長は、ジュリアの苦手な、ジュリアの母そっくりのイギリス式の堅物な女性であった。ジュリアはこの女性と大喧嘩をしたのち、ビーを引き取る。

ビラルとも再会し、再びマラケシュでの生活が始まるが、生活費も底を尽き、ビーの体調もすぐれないことから、ジュリアはロンドンへ戻ることを決断する。乞食をしてお金を集め、マラケシュを去る列車に乗る。共に過ごしてきたビラルはついに駅に現れない。列車に揺られながらルーシーが思うことは、母が途中の駅でふらりと降りてしまわないかということだった。

自由を求めて旅立ったが、ついにはその自由への希求を諦め母国イギリスへと帰っていく母の挫折と、それに振り回される娘たちの困惑が描かれる物語でした。母の放浪の根源的な動機が堅物の祖母への反発に由来し、またその放浪の終焉が娘の病気によって齎されるという、祖母-母-娘の逃れ難い結びつきが物語のひとつの主軸であるように感じました。娘それぞれについても、母とくっついて旅した妹・ルーシーは無事であったが、母と離れた姉・ビーは病気に罹ってしまうという対比があり、ここからは、母と結びついて生きていかざるを得ない娘に関する観念が表されているように思えます。

このようにまとめてみると暗い話のように思えますが、実際の読後感は軽やかなものでした。それは、語り手の少女・ルーシーの認識がとても楽観に満ちたものであることが、大いに影響しています。

母の気分次第で明日がどうなるかわからない異国での暮らしは、娘にとっては不安で厳しいもののように思えるのですが、このルーシーは日々の生活に楽しみを見つけ、姉と可笑しな囃しことばを叫びながら、軽く過ごしていきます。幼い少女ゆえの楽観が物語に不思議なテイストを与えていて、シビアなはずの話であっても、するりと読めるところがありました。

この小説は98年にイギリスで映画化され、主役のヒッピーの母親役を『タイタニック』でおなじみのケイト・ウィンスレットが演じました。邦題は『グッバイ・モロッコ』。日本では99年に公開されました。

映画につきましては、こちらのブログ・『Audio-visual trivia』さまの『グッバイ・モロッコ』のレビュー記事(http://www.audio-visual-trivia.com/2006/07/hideous_kinky.html) が大変詳しく参考になります。

60年代末から70年代初頭にかけてのマラケシュはヒッピーの聖地のひとつであり、多くのヒッピーが集う都市だったそうなのですが、その時代の風俗をうまくとらえた映画となっているようです。

アイカツの方へ話を移しますが、この『郷愁のモロッコ』で描かれている、マラケシュという土地とヒッピーカルチャーとの深い結びつきこそが、風沢そらが「ボヘミアン」であるミミと出会ったのがマラケシュであった理由のひとつであると考えられます。

ヒッピーとボヘミアンは指し示す意味にずれがありますが、そらの言う「自由な生活をする人」という意味に限れば、ボヘミアンはヒッピーを包含する概念として捉えることができます。また『kira・pata・shining』のステージでそらが身に着けていた、自身でデザインしたアクセサリーが「オリエンタルリブラヒッピーバンド」であったことからも、アイカツにおいてボヘミアンとヒッピーの語の間にある程度の互換性があたえられているとみることが可能です。

『郷愁のモロッコ』は、マラケシュとヒッピーカルチャーの強い結びつきを、実際に現地で体験した人が書いた作品であり、風沢そらとマラケシュとヒッピーについて考えを深めたい人にはぜひおすすめしたい作品です。