末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

デカルコマニーとしての『リズと青い鳥』と『響け!ユーフォニアム2』(1)

リズと青い鳥』は『響け!ユーフォニアム2』に続く物語である。また、『リズと青い鳥』は「写し取ること」を繰り返し描いた物語である。そして、『リズと青い鳥』は『響け!ユーフォニアム2』を写し取った物語である。

 

「リズ」冒頭で、ありがとう?と疑問形で述べる鎧塚みぞれに対し、傘木希美はどういたしましてとスカートの端を摘み上げる仕草を見せる。この所作は、「ユーフォ2」最終話で、副部長となった中川夏紀が新部長の吉川優子に対してスカートを慇懃無礼につまみ上げてお辞儀してみせた仕草の引き写しと捉えられる。この参照により、「リズ」が「ユーフォ2」と繋がる作品であることを示しつつ、以後作中で幾度も繰り返される、他人の振る舞いを写し取るという営みが導入されているのである。

 

「リズ」は「ユーフォ2」の諸要素を写し取っている――この視点でもって、ラストシーンに現れる「かき氷」について解釈をあたえていく。

 

「リズ」のエンディング直前、校門を希美とともに出たみぞれは「かき氷」を食べたがる。このシーンについて監督の山田尚子は、インタビューで次のように語っている。

――ハッピーアイスクリームがキーワードになってますね。

「みぞれはかき氷を食べたいと、あのシーンはいろんなものを象徴しています。本当にスーパーミクロな詰将棋のような現場でした(笑)」

(「spoon.」2018年6月号 p52)

みぞれがかき氷を所望するシーンが「いろんなものを象徴」しているとはどういうことか。

「みぞれ」とはかき氷の味のバリエーションのひとつであり、「みぞれ」が「かき氷」を選択したということから、みぞれに芽生えた自己愛のイメージを読み出すことが可能だろう。みぞれによる意志決定自体が「希美の決めたことが私の決めたこと」からの逸脱であり、みぞれの変化を端的に示すことがらである。

また、このシーンではみぞれが望むものがかき氷であるにもかかわらず、みぞれによる「ハッピーアイスクリーム!」の発話により、希美にアイスを食べたがっていると誤解されてしまう。このことから、希美とみぞれの二人が宿命的にずれていってしまうことを示すアイテムとして機能してもいる。

これらのみでも十分に意味を取り出せているようにも思えるが、先に指摘した「ユーフォ2」への参照という見地から、「ユーフォ2」第一話において、「かき氷」というモチーフが非常に重要な役割を果たしていたことが指摘できる。

 

花火大会会場近くの橋のたもとにて、黄前久美子は片手にかき氷の容器を持ち、もう片手で高坂麗奈の手を握りながら「源氏ロマン 光源氏は永遠に」と題された花火に見入る。そして次のようなモノローグを語る。

この時間は永遠ではない。大好きな友達ともいつか離れ離れになって、どんなに願っても全てはまたたく間に過去になっていく。今というこの瞬間を容器に詰め込んで冷凍保存できればいいのに。そうすれば、こわがることなんてなにもないのに。

花火の題とモノローグから、このシーンのテーマが永遠への願いと、それがけして満たされないことが示されている。モノローグが語り終えられたあと、久美子は溶けてしまった、かき氷だったものをストローで啜る。この行為は、「冷凍保存できればいいのに」という反実仮想のイメージと響き合う。溶けゆくかき氷は「冷凍保存」の不可能性、すなわち、時間はとめどなく流れ、何もかもが変わってゆくということの象徴である。

花火という瞬間の芸術に永遠への願いがこめられていることと、溶けゆくかき氷を持ちながら冷凍保存について考えることが、ここではパラレルに配置されているわけであるが、吹奏楽部員である彼女たちにとっては、ずっと一緒に居たい人とともにコンクールで一瞬の合奏に取り組むことも、花火やかき氷とパラレルな事象であるはずである。「コンクールなんて来なくていい」とは、みぞれにとってコンクールが希美との永遠を否定するものであったことを端的に示す台詞であったはずだ。みぞれは変化を遠ざけ否定に閉じこもり、窓を閉ざしていた。

そんなみぞれが、「コンクール、頑張ろう」と前向きに口にするという変化をみせる。永遠を望みながらも終わりに向かって羽ばたきはじめたみぞれが所望する食べ物として、永遠への反実仮想の祈りがこめられた「かき氷」以上にふさわしいものは、存在しないのではないだろうか。そう私は考えている。

 

続く(2)では「みぞれのオーボエが好き」周辺のシーンについて、ユーフォ2第四話との対照を軸に解釈していく予定である。