シャニマスのシナリオイベント「はこぶものたち」と「アジェンダ283」のネタバレが含まれます。
現在シャニマスでは放クラのイベント「アフター・スクール・タイム」をやってますが「はこぶものたち」の話をします。
実は私……イルミネのシナリオイベント「はこぶものたち」に出演していました!
お気づきになりましたか?
イルミネのみなさんの陰で活躍した私の出演シーンはこちら!
もう一度、スローでご覧頂きましょう。
文脈を説明させてください。
話は「アジェンダ283」に遡ります。
私はアジェンダ、めちゃめちゃ好きなんですけど、でもシナリオ中にどうしても割り切れないところもあって、こういう批判的な感想を書いてました。
むしろ全体を通して、アイドルが「過剰」を生み出す役割を果たす仕事であることについて言及がなかったのが気になった。作中アイドルがCMやキャンペーンという広告塔の仕事をしている姿は繰り返し描かれてきたけど、広告そして流行が消費者に過剰な消費を促し、環境への負荷を強めているわけで
— 末吉 (@suekichi) 2020年8月2日
その点への検討なしにゴミを言祝ぐ流れを作っているのはどないやねん、欺瞞とちゃいます?という念がありますね。そういう意味ではノクチルのゴミを拾わない(ゴミについて政治的アティテュードを取らない)姿勢が一番ノれるという感覚はある
— 末吉 (@suekichi) 2020年8月2日
アジェンダでは、SDGsとからめるかたちで、ゴミ拾いの話が展開されました。
夏葉は、ひとりひとりがペットボトルで水を飲む行為がゴミを生む行為だと語りました。それ自体はもちろん正しい主張ですが、アイドルとはマスに対して消費を促す行為であり、ひとりひとりの選好に影響を与えるような存在であるはずです。
広告で何百万人にペットボトルの飲み物を買おう!飲もう!と大きな声で呼びかける。そんなお仕事をアイドルは日々行なっているはずですが、この営みについて、夏葉はSDGsの観点でどういう評価を下すのでしょうか?この問いについての答えは、語られないままです。
アジェンダは、アイドルと環境問題というテーマを設定しつつ、そこに明らかに存在する商業主義、流行、過剰といったクリティカルな要素について触れないでいます。
大量のアイドルのCDが廃棄されているところに出くわしたストレイライトはアイドルと「過剰」の問題について限りなく近づきます。
しかし結局は、冬優子のアイドルとしての感傷に帰着させる話運びでまとめられてしまいます。
真乃たちイルミネは一周回って、消費社会を素朴に礼賛します。
アイドルというのは大量生産/大量消費社会における重要なプレイヤーのひとりであって、そのアイドルが消費を言祝ぐのはきわめて自然なことではあるんですが、自身がプレイヤーとしてどんな影響を与える存在かを無視しながらSDGsのこと考えてます、環境のこと考えてます、ってポーズ取るのは、嫌!!!という気持ちがあり、先程の批判ツイートとなったわけです。
「アイドルという仕事からは、消費者の欲望を喚起して過剰な消費を誘発する広告塔の役割を切り離すことができないのであって、自らの役割がもつ環境に与える悪影響について内省することなしに、環境について考えています!というポーズを取るのは欺瞞だ」
これってつまり「(大量消費を誘発する存在であるアイドルが口にする)エシカルは欺瞞」なんですよね。
そういうわけで、「はこぶものたち」では率直にこのフラストレーションを八宮めぐるさんへお伝えさせていただいたわけですが……。
「はこぶものたち」では、真乃が広告に出てキャンペーンを告知し、たくさんの客を誘引した結果、配達員の労働条件が悪化して事故まで起こるという「広告」の陰の一面が描かれました。これって、アジェンダからの大きな進展だと思うのですよね。アイドルとしての仕事がいかに社会と結びついているか、いい影響だけでなく悪い影響を与えうるか、という面と、イルミネはがっつり向き合おうとしていて、そこには好感をいだきました。
「エシカルは欺瞞」がアイドルの耳に入り、広告をするのにも社会へのさまざまな影響があり……ということを理解し始めたこの「はこぶものたち」は個人的にはアジェンダの続編として楽しんだ次第でありました。
「はこぶものたち」では、アジェンダの環境問題に続く社会的なテーマとして、労働問題がキーになっているように感じました。事故った兄やんも、ハーフタイムショーで焦げ付いてしまったイルミネも「事実上監督下に置かれているにもかかわらず正社員ではなく個人事業主として扱われて会社から守られず、トラブル発生しても自己救済が求められる」存在であるように感じられて、見ていて辛さがありました。
フーデリといえばやはり労働者を労災にも入れずに危険な路上で働かせることで利を得てきた業界というイメージがありましたし。
また、サッカークラブのハーフタイムショーが燃えたのは、クラブがこれまで育ててきたカルチャーにそぐわないアプローチを強行したことに対する当然の帰結であって、なんか派手なことしてオーナー変わったことを印象づけたいというフーデリ会社の持っていたヴィジョン自体が根本の原因のはずなんですよね。
いくら丁寧に給仕したところでアレルギーの出る食材を使った料理は食えないのであって、そこでイルミネがもっとうまく届けていれば……などと考えるのは、なんだか筋の通らない話だなと思いました。
ただ、中間にあって媒体としてはたらく存在にも責任があるはずだと考えるのは、広告塔として仕事することの社会的な意味や重みをきっちり理解するという、私がアジェンダについて感じていたフラストレーションを解消してくれるものではあったので、まあちょっとフーデリ会社をいいところなく描きすぎたんじゃないかなくらいに捉えています。
今後、イルミネや他のユニットがどんな社会的責任と向き合いながらアイドルとして成長していく姿が描かれるのかを楽しみにしながら、一旦筆を置きたいと思います。
ふう、たくさん書いて疲れたな……
あ、めぐるちゃん配信やってんじゃん!
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