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末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

kira・pata・shiningといちそら

アイカツ! アニメ 風沢そら

昨日Twitterにて次のツイートから始まって連なるいくつかのリプライをいただきました。

 

@suekichi 末吉さん、初めまして。いつもブログのいちそら記事、楽しく拝見しております。
突然ですが、末吉さんはキラパタシャイニングといちそらの関係についてはどうお考えでしょうか。そらマリの曲とされることが多いキラパタですが、いちそら的にも美味しい曲だと思います→

@suekichi 「人魚姫は綺麗な足になれた」の歌詞は明らかにいちごのことを指していると考えられますし、何よりDCD版でのMVではいちごとそらのCGが一緒に踊っています!!
一度考えてみてくだされば嬉しいです。もうとっくに言及してたよ、ならすみません…→

@suekichi お忙しい中見てくださってありがとうございます。突然すみませんでした。
いちそらはそら登場初期気になっていた組み合わせでした。末吉さんが言及してくださりいつも嬉しい思いをしております。
これからも応援しております!頑張ってください!

 (ツイート1/2/3

 

いちそらに想いを寄せる方がいらしたこと、拙ブログをお読みいただいていること、応援の言葉をいただけたことに深く感謝しながらkira・pata・shiningといちそらについてのお返事をしたためていたのですが、あまりにもtwitterで書くには長大になってしまったので、ひみゆりさんのご厚意によって、こちらのブログでの記事によってご返答差し上げるかたちを取らせていただきました。ありがとうございます。

 

そういうわけでkira・pata・shining(以下キラパタ)といちそらについてなのですが、私の解釈としましては、「人魚姫はきれいな脚になれた」を含む1番の詞は、いちそらというよりはむしろ、61話「キラ・パタ・マジック☆」と強く結びつくものとして捉えています。そして「私の恋」についての描写が深められる2番の詞においてはじめていちそらが前景化してくるのだと解釈しています。このテキストではそのあたりを詳しく取り上げていきたいと思います。

具体的にいうと1番の「人魚姫」というモチーフに61話性を見いだし、そしてそこで取り沙汰される「脚」のイメージをとっかかりに2番の詞を読んでいきます。

 

キラパタに出てくる「人魚姫はきれいな脚になれた」ですが、人魚姫の脚とはその童話を紐解いてみれば、人魚姫が自身の声を犠牲に捧げて得たものであり、そしてその脚で一歩足を進めるごとにナイフで抉られるような痛みを味わうような代物なわけです。キラパタにはさらっと出てきますが、かなりヘビーなモチーフです。

1番の詞の展開を追ってみますと、人魚姫が脚を得るとは「Changing」であり、すなわち「自分が変わる」ということであり、それはボヘミアの空へ飛び込む=自由を得る ということへと繋がってゆきます。つまり、自由を獲得するには犠牲・痛みが伴うということを、この曲は「人魚姫」という物語の引用によって暗示しているのであり、そしてその自由とそれに伴う痛みというテーマは61話でミミが自由な旅の中で新しい扉を開くことを恐れていた描写と密接に結びつくものです。

人魚姫は魔女の薬で得た脚で痛みに耐えながら歩むことを決意します。恐れを抱きながらもそらのファッションの魔法によって再び自由な旅を始めた、魔法によって「Changing」したミミこそが、人魚姫のイメージに深く重なる存在なのではないでしょうか。そして脚=自由を与える魔法を行使する海の魔女としてそらは描かれているのだと考えられます。

人魚姫といえば(2期までの範囲でいえば)たしかにいちごのマーメードピスケスコーデが真っ先に思い出されますが、振り返ってみれば1期の美月もまたマーメイドの名を冠するコーデを着ていたのですよね。

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マーメイドジュエルコーデを着る47話の美月です。このコーデは48話のアイカツ格言で紹介されているコーデでもあります。

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いちごと人魚姫の物語とのあいだにはさして響き合うところはありませんでしたが、47話で体調不良をおしてステージに立つ美月は、痛みを押し殺しながら脚で歩いた「人魚姫」と重なる存在として描かれていたといえます。

以前の記事において、61話のそら-ミミと劇場版のいちご-美月の関係性の相似について指摘しましたが、加えて二人の共通項として人魚姫のイメージと結びつく人物であるということが挙げられるわけです。更にいえば、47話の体調不良の美月とは、他ならぬ61話で、セイラが参照を促すような発言をしていた箇所でもあります。

そら「私はね、今まで作りたい服を自由に作ってきた。ほとんど趣味みたいにね。でも、ブランドを立ち上げたらそうはいかなくなる。新しい衣装を定期的に発表する責任が生まれる。たとえアイデアがなくたって、作らないといけないよね。お仕事だから」

セイラ「アイドルが風邪を引いても、ステージに立たないといけないのと同じか」

そら「うん。それが私にできるかなって思うし、(以下略)」

 61話は、不自由になることを受け入れながらブランドを立ち上げた風沢そらと、自由と隣り合わせの恐怖を見据えながら自由な旅立ちを選んだミミがかつて「ファッションの魔法」によって結ばれ、そして別れていたことを描く物語でした。犠牲を払いながらも前へと進んでゆくそらやミミと重なるように、体調を崩しながらもステージに上がった美月が参照されているのではないでしょうか。

 

そういうわけで私は、キラパタの人魚姫はいちごというよりはむしろミミ、ないし美月と結びつくイメージとして解釈したいと考えています。

以前は人魚姫だからいちそらという解釈をしていて、それに基づいたツイートなどもしていたのですが、最近考えが変わったところなので、こうやって改めて解釈を示す機会ができて本当によかったと感じています。

 

つづいて2番ですが、1番の歌詞で人魚姫と絡めて展開された「脚」のイメージは、2番ではいちど反転させた形で出てきます。「素足」というワードがそれであり、これは「人魚姫の脚」と対になる語と思われます。苦心して犠牲を払ってようやく得られる人魚姫の脚と、生まれつき持っているありのままの素足(=想像を越えた才能)という対比です。この素足を持つ人こそが「私の恋」の相手と思しき人物なのですが、これはどのような人物なのでしょうか。

この人物像と結びつく存在として登場するオブジェクトがカモシカです。彼の人は「風に吹かれてるカモシカのよう」と形容されています。しかしこの「カモシカ」ということばは非常にやっかいです。何がやっかいなのかというと、この「カモシカ」という語には、まったく別種である複数の種の生物が従属しているのです。

詳しくはWikipediaを読んでいただきたいのですが、ざっくりまとめると、

  • ウシ科ヤギ亜科かつヤギ族以外の生物→広義のカモシカ
  • ウシ科ヤギ亜科カモシカ族→狭義のカモシカ
  • ウシ科からウシ族とヤギ亜科を除いた残り→レイヨウ=羚羊(カモシカと呼称されることがある)

の3つが、カモシカと呼ばれうる生物のグループたちです*1

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これはWikipediaを参考にざっくり作った図です。ピンク色に塗りつぶされた部分がカモシカと呼ばれることもあるレイヨウ、黄緑から緑にグラデーションがかかっている部分が狭義のカモシカ、グラデーションがかかっているところを含め、黄緑色の部分が広義のカモシカです(いちおう断っておきますがこの図において面積にはなんの意味もないです)。以下括弧にくくられていないカモシカは「広義のカモシカ」を指します。

 

さて、kira・pata・shiningに現れる「カモシカ」はレイヨウとカモシカ、どちらのカテゴリに入るのでしょうか。

まず着目したいのは、「カモシカのよう」という句です。「カモシカのよう」とは、よく知られる「カモシカのような脚」という定型句を想起させる句であり、楽曲中で展開されてきた「脚」のイメージを改めて提示するものです。風に吹かれてる、という修飾から、自然の中に野生で生きる動物として「カモシカ」を登場させているようであり、その脚とは「素足でも美しく魅せる」といわれた「素足」に近しいイメージをもつものと捉えられます。

カモシカのような脚」というときの「カモシカ」は、平地を強力で特徴的なストライドで駆けることのできるレイヨウのことを指すというのが通説ですから、上図のピンク色の領域で示されるところにいるレイヨウこそが、キラパタの「カモシカ」に彫り込まれた陰影であると解することができます。

 

ただそれと同時に、レイヨウではない(広義の)カモシカという色彩を、キラパタの「カモシカ」に見いだすことも可能だと私は考えています。カモシカの多くは山地に生息し、その蹄の特性から崖を登ることを得意としています。アイカツ!といえば斧と崖であり、崖を登るアイドルといえば主人公たる星宮いちごでありますから、アイカツに登場する楽曲に崖登りを得手とする動物が出てきた場合、それを星宮いちごと関連付けて解釈することには一定の正当性があります。

この解釈にはいささか飛躍を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、その正当性を示すひとつの傍証として、コミカライズであるところのぷっちぐみベスト!!まんが&まんが家カツドウ!の第7話「みんなでアイカツ!」を参照してみましょう。このエピソードはいちごがデザイナーズアクセサリーコレクションのアクセサリーを得るために、フランスの別荘にいる天羽あすかを訪ねるというものなのですが、その過程において、いちごたちはガケの上に建つあすかの別荘へ行くためにガケをのぼります。そこに、ガケをのぼるのが上手である動物としてヤギが、やや唐突に登場します。

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(ぷっちぐみベスト!!アイカツ!まんが&まんが家カツドウ!P69)

このエピソードでは、みんなを先導するように崖を登るヤギが、みんなを鼓舞しながら引っ張っていく星宮いちごと重なるように描かれているわけです。

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(同P69)

ヤギはヤギ族でありカモシカの定義にはあてはまりませんが、カモシカと近縁の動物ではあります。例えばシロイワヤギのように、分類学カモシカに含まれていてもヤギと名に冠するものも存在します。このヤギとカモシカの近縁性、また、アイカツ!においてはいちごとヤギとが皆を先導するように崖を登る存在として並置されうる、という2つのファクトを前提にキラパタを解釈すれば、「風に吹かれてるカモシカのよう」というフレーズの向こうに、崖を登りきったカモシカが悠々と風に吹かれている姿を見ることが可能であることをご理解いただけるものと思います。

以上をまとめますと、キラパタの「カモシカ」はレイヨウとしても広義のカモシカとしても解釈可能であり、そして、その脚に力を持つ才能あふれる人物、または崖を悠々と登り頂上で風に吹かれる人物のどちらに解釈したとしても、星宮いちごという人物が「私の恋」の想い人としてふさわしい人物として浮かび上がってくるのです。

くわえて2番の歌詞「媚薬をじょうずにお砂糖でくるみましょう」とは、エンジェリーシュガー(=砂糖)のクリスマスケーキを通じて、いちごへの愛情のこもったパーティーをデザインした62話のそらの行動と結びつくものである、という解釈をあわせれば、kira・pata・shiningのいちそら性というものについて一通り語ったこととなるかなと思います。

 

補足的に語るとすれば、ミツバチと、羽の音・周波数という波動性と恋愛を関係させる詞は、キラパタのみならずG線上のShining Sky(恋するミツバチの鼻唄)やハートのメロディー(恋のテレパシー送信するから ビビビッと受け止めてよ 君のアンテナで)に共通するということを指摘できます(アンテナとは電波を送受信する空中線であり、また昆虫の触角でもある)。このことから、たとえばハートのメロディーをいちそら曲と解釈する視座をもつことなどが可能になるでしょう。

まとめますと、1番はそらミミ、2番はいちそらという解釈で私はkira・pata・shiningを聴いています!ということでした。

改めまして、今回この記事を書くきっかけを与えてくださったひみゆりさんに感謝を捧げながら、この記事を閉じたいと思います。ありがとうございました。

 

17/2/24 一部改稿しました。

*1:Wikipediaカモシカの項をみるとシャモア族カモシカ属という分類が書かれているのですが、ヤギ亜科の項はそうなっていません。ヤギ亜科の項の方が参照している資料が新しいようなので、ここではヤギ亜科の項の分類に即して記述しました