末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

『新緑のラルゴ』に見るガルパシナリオの技巧

f:id:yoshidastone:20180412021903p:image

紗夜が「正しく弓を引く」と言うとき、それを聞くわれわれの胸中には、「正確にギターを弾く」『秋時雨に傘を』の紗夜の姿が立ち現れる。

弦を介して連想をうながすこの暗喩表現こそが、『新緑のラルゴ』のストーリーを決定的に素晴らしいものにしている、というのが本稿の主張だ。どういうことか、以下明らかにしていく。

 

「正確にギターを弾く」こととは、『秋時雨に傘を』において紗夜が思い悩まされた自身の特性であり、また紗夜が到達した結論でもあった。

f:id:yoshidastone:20180412022658p:image

自らの「正確な」演奏を、日菜の自由なそれと比べてつまらなく思い、もがき苦しんだ紗夜。

f:id:yoshidastone:20180412022909p:image

日菜との諍いの果てに、紗夜は苦しみながらも、正確さをもって精進し続けるという結論を出した。

「秋時雨」は、そんな紗夜の苦闘を描いたストーリーであった。だから、正しく弾き続けることこそが自分の歩むべき道であると定めた紗夜の語る「正しく弓を引く」という言葉には、「秋時雨」の雨音が混ざって響くのである。

 

また、「正しくひくこと」は、燐子と紗夜を結びつける要素でもある。

「秋時雨」において燐子は、悩み苦しむ紗夜にシンパシーを、そしてそれを受け入れながら前へ進む紗夜に憧れを抱いていた。

f:id:yoshidastone:20180412030259p:image

f:id:yoshidastone:20180412030319p:image

「[微かな心配]白金 燐子」の「自由に憧れるのは」。紗夜の「正確すぎる」という悩みに共感する燐子。

f:id:yoshidastone:20180412023435p:image

f:id:yoshidastone:20180412024151p:image

同じく「[微かな心配]白金 燐子」の、「ボレロを奏でて」。正確さを貫き通す覚悟を決めた紗夜の演奏に、燐子は感銘を受け、憧れるようになる。

燐子は紗夜の「正確さ」を媒介に紗夜を理解し、また、紗夜への憧れを抱く。「ラルゴ」において燐子が「正射必中」を成し遂げてみせるのは、燐子が憧れへと向かって新しい一歩を踏み出せたことの、この上なく鮮やかな表現なのである。

 

弾くこと/引くこと。ギター、弓、そしてピアノへ……。先を歩む紗夜から燐子へと伝わってゆく、優しさに溢れた教え。

過去への参照が織り成す美しい比喩へ存分にひたれる『新緑のラルゴ』、本当に素晴らしいシナリオである。

 

マジ文章が書けなかった

 最近マジ文章が書けねえ、ということで、今日ふらっと寄った本屋で見かけた「マジ文章書けないんだけど」という本を買って読んだ。

 

マジ文章書けないんだけど ~朝日新聞ベテラン校閲記者が教える一生モノの文章術~

マジ文章書けないんだけど ~朝日新聞ベテラン校閲記者が教える一生モノの文章術~

 

 



 博学なおじさんが知識のない女学生に文章術を教える、というキツいテンプレートにウッとはなるが、気軽に文章を書いてみたくなる、そして推敲してみたくなる本であるところは、とても良かった。

 そういうわけで、文章を書いてみた。この本のことを忘れるまでは、今までより少し軽率にブログを書いていこうと思う。

 

 

 

過去のアイカツ!記事の紹介

おかげさまでアイカツ!を読む ワークショップは大盛況となりました。ご登壇いただきましたしゅらさん、hegemonさん、ご来場いただいたみなさん、様々な面で協力してくださった視線と沈黙くんと大阪大学SF研究会に対し、感謝申し上げます。本当にありがとうございました。

 

会場で私が色々言ってたことの一部はブログで書いたことの繰り返しであったことも多かったですので、ワークショップの補足的な意味も込めまして、過去に自分の書いたアイカツ!に関する記事のうち、おすすめのものを5本選んで紹介してみることにしました。

 

 

氷上スミレが初めてのプレミアムドレスを得るため魔夜の屋敷を訪れる108話についての考察記事です。タイトルにもなっているリンゴというモチーフが108話においてどのように物語に組み込まれているかについての考察から、ユリカ=白雪姫、スミレ=女王という、白雪姫の童話との対応があることを明らかにし、その引喩の巧みさについて解説しています。

 

風沢そらが初めてメインキャラクターとして登場し、ボヘミアンスカイを立ち上げる61話についての考察記事です。ブランドの立ち上げに伴い生じる、そらを悩ませる二つの責任のうち、アイドルを輝かせる責任については61話中で葛藤の解決が描かれているが、デザインを不自由な境遇で続けなくてはならなくなる責任については解決されないまま(=葛藤を抱えたまま)そらは前に進んでいるという分析を、ミミの二つの旅立ちのカットを対比ととらえることによって成立させています。

 

 

いちそら論についてはたくさん記事を書きましたが、これが最もとっつきやすいものになっていると思います。62話(2期のクリスマス回)における風沢そらの発言が32話「いちごパニック」における天羽あすかの発言とまったくの同質なものであることを指摘し、そこから天羽あすかが星宮いちごをアイドルとして強く求めたのと同様に、風沢そらもまた星宮いちごをアイドルとして強く求めていたのだと結論づけています。

 

 

WM論です。WMという二字には美月とみくるの二つのMという意味以外にも沢山の意味が重ねられています。100話と173話に立ち現れるWMのシルエットを軸に美月の物語を概観します。

 

 

アニメではなくコミック版の紹介記事です。ある短編を詳しく読んでいく記事なのですが、本当に最初読んだときには感動して興奮がおさまらなかったくらい素晴らしい短編でした。ぜひぷっちぐみベスト・アイカツ!まんが&まんが家カツドウ!を読んで下さい。

『アイカツ!を読む』ワークショップ開催のお知らせ

来る4月30日、大阪大学ではいちょう祭という学祭が開催されるのですが、そこで、わたくし末吉は、大阪大学SF研究会のご協力のもと、『アイカツ!を読む』と題したワークショップを開催いたします。

アイカツ!についてのアツい思考が盛り込まれた同人誌を出されたお二人を登壇者としてお招きし、お話を伺い、ディスカッションを行って、アイカツ!に関する知見を深める会としたいと考えています。

 

f:id:yoshidastone:20170420200658p:plain

日時・タイムテーブル

大阪大学いちょう祭 1日目

2017年4月30日(日) 13時~15時半

第一部 『アイカツ!を読む』ことについてのトーク

13時~13時50分

第二部 アイカツ!を読んで生じた疑問点についてのディスカッション

14時~15時10分

質疑応答

15時10分~15時30分

場所・アクセス

大阪大学豊中キャンパス 共通教育棟B棟 B208

大阪大学SF研究会』スペースにて

f:id:yoshidastone:20170420192232p:plain

豊中キャンパス — 大阪大学

の「全学共通教育機構」の建物です。

 

アクセスは阪急宝塚線石橋駅か、大阪モノレール柴原駅から徒歩です。

f:id:yoshidastone:20170420192213g:plain

アクセスマップ — 大阪大学

 

ワークショップ開催に寄せて

アイカツ!」とはアーケードゲーム、アニメーション、ライブステージ、コミック、アパレルなど様々な領域にまたがって展開されてきたメディアミックス作品です。このワークショップでは主にアニメーション作品としてのアイカツ!を取り扱います。

アニメーション作品としてのアイカツ!はTVシリーズ全178話、映画作品3本からなる映像作品であり、178本のエピソードは2012年10月から16年3月までの3年半にわたって放映されました。

アイカツ!という作品はアニメに限っても膨大なテクストからなります。1話あたり24分として、178話で71時間を越える長さですから、この長大さゆえに、アイカツ!を鑑賞する人の内面には、アイカツ!を読み解くための固有の形式が醸成されてゆくものと考えられます。たとえるなら、巨大な氷河が大地を削り独特な地形を作るように、アイカツ!は鑑賞者を変容させてゆくでしょう。

この変容というものが、鑑賞者それぞれの個性を基に生み出されることに異論はないでしょうが、また同時に、その変容とはアイカツ!という作品が固有に持つ性質をも孕んだものとなっているはずです。

このワークショップは、アイカツ!をわれわれがどう読んできたかについて語ることを通じて、アイカツ!という作品をより深く知ろうとする試みであります。

第一部では、登壇者それぞれがアイカツ!をどのように観てきたかについて、自身の立場を示しながら語ります。ことによって、アイカツ!を読解する方法論の複数性と、それぞれの方法の功利について明らかになるでしょう。

第二部では、アイカツ!を読んでわれわれが行き当たった疑問点についてのディスカッションを行います。それぞれの異なる視点から得られた問いと答えていくことによって、より立体的なアイカツ!像を捉えることが可能になると考えられます。

ワークショップを通じて、アイカツを今一度深く読むことのきっかけづくりとなれれば嬉しく思います。

末吉

登壇者紹介

hegemon(@_hegemon_)

同人誌『アイカツ!全体主義合同』主宰

しゅら(@syura1357)

サークル『アイカツ大学』にて同人誌『詳説 アイカツアイカツ史A』発行

末吉 (@suekichi)

アイカツ!を読む』ワークショップ主催

 

hegemonさんの『アイカツ!全体主義合同』は、アイカツシステムを用いたアイカツがアイドルにとって表現を行うことのできるツールであるとともに、それを管理・運営する強大な権力が存在するはずである、という視点を軸にあつめられたマンガ、評論、小説からなる合同誌です。hegemonさんによる全体主義合同についての記事をご紹介させていただきます。

 

しゅらさんの『詳説 アイカツ史』は、アイカツ!の世界における歴史的な事実関係にフォーカスを当てて書かれた本です。アニメ本編やアニメ雑誌など周辺の資料から丹念に材を取り、主要キャラクターごとにそのキャラクターの歴史が詳細にまとめられています。また巻末の年表は、本編では断片的にしか語られなかった、いちごが編入する以前の時間を概観できるまたとない資料となっています。

 

それぞれ独自の視点からなる本を編まれたお二人に、『アイカツ!を読む』ことをテーマに語っていただきます。

私、末吉も、アイカツ!を読むことについて、当ブログで語ってきたことや、ここでは語りきれなかったことなど、いろいろとお話させていただきます。アイカツ!のことを深く考えたい、またはアイカツ!の話が聞きたい、アイカツ!の話がしたい!という方はぜひお越しになってください!

 

kira・pata・shiningといちそら

昨日Twitterにて次のツイートから始まって連なるいくつかのリプライをいただきました。

 

@suekichi 末吉さん、初めまして。いつもブログのいちそら記事、楽しく拝見しております。
突然ですが、末吉さんはキラパタシャイニングといちそらの関係についてはどうお考えでしょうか。そらマリの曲とされることが多いキラパタですが、いちそら的にも美味しい曲だと思います→

@suekichi 「人魚姫は綺麗な足になれた」の歌詞は明らかにいちごのことを指していると考えられますし、何よりDCD版でのMVではいちごとそらのCGが一緒に踊っています!!
一度考えてみてくだされば嬉しいです。もうとっくに言及してたよ、ならすみません…→

@suekichi お忙しい中見てくださってありがとうございます。突然すみませんでした。
いちそらはそら登場初期気になっていた組み合わせでした。末吉さんが言及してくださりいつも嬉しい思いをしております。
これからも応援しております!頑張ってください!

 (ツイート1/2/3

 

いちそらに想いを寄せる方がいらしたこと、拙ブログをお読みいただいていること、応援の言葉をいただけたことに深く感謝しながらkira・pata・shiningといちそらについてのお返事をしたためていたのですが、あまりにもtwitterで書くには長大になってしまったので、ひみゆりさんのご厚意によって、こちらのブログでの記事によってご返答差し上げるかたちを取らせていただきました。ありがとうございます。

 

そういうわけでkira・pata・shining(以下キラパタ)といちそらについてなのですが、私の解釈としましては、「人魚姫はきれいな脚になれた」を含む1番の詞は、いちそらというよりはむしろ、61話「キラ・パタ・マジック☆」と強く結びつくものとして捉えています。そして「私の恋」についての描写が深められる2番の詞においてはじめていちそらが前景化してくるのだと解釈しています。このテキストではそのあたりを詳しく取り上げていきたいと思います。

具体的にいうと1番の「人魚姫」というモチーフに61話性を見いだし、そしてそこで取り沙汰される「脚」のイメージをとっかかりに2番の詞を読んでいきます。

 

キラパタに出てくる「人魚姫はきれいな脚になれた」ですが、人魚姫の脚とはその童話を紐解いてみれば、人魚姫が自身の声を犠牲に捧げて得たものであり、そしてその脚で一歩足を進めるごとにナイフで抉られるような痛みを味わうような代物なわけです。キラパタにはさらっと出てきますが、かなりヘビーなモチーフです。

1番の詞の展開を追ってみますと、人魚姫が脚を得るとは「Changing」であり、すなわち「自分が変わる」ということであり、それはボヘミアの空へ飛び込む=自由を得る ということへと繋がってゆきます。つまり、自由を獲得するには犠牲・痛みが伴うということを、この曲は「人魚姫」という物語の引用によって暗示しているのであり、そしてその自由とそれに伴う痛みというテーマは61話でミミが自由な旅の中で新しい扉を開くことを恐れていた描写と密接に結びつくものです。

人魚姫は魔女の薬で得た脚で痛みに耐えながら歩むことを決意します。恐れを抱きながらもそらのファッションの魔法によって再び自由な旅を始めた、魔法によって「Changing」したミミこそが、人魚姫のイメージに深く重なる存在なのではないでしょうか。そして脚=自由を与える魔法を行使する海の魔女としてそらは描かれているのだと考えられます。

人魚姫といえば(2期までの範囲でいえば)たしかにいちごのマーメードピスケスコーデが真っ先に思い出されますが、振り返ってみれば1期の美月もまたマーメイドの名を冠するコーデを着ていたのですよね。

f:id:yoshidastone:20170116223550j:plain

マーメイドジュエルコーデを着る47話の美月です。このコーデは48話のアイカツ格言で紹介されているコーデでもあります。

f:id:yoshidastone:20170116224052j:plain

いちごと人魚姫の物語とのあいだにはさして響き合うところはありませんでしたが、47話で体調不良をおしてステージに立つ美月は、痛みを押し殺しながら脚で歩いた「人魚姫」と重なる存在として描かれていたといえます。

以前の記事において、61話のそら-ミミと劇場版のいちご-美月の関係性の相似について指摘しましたが、加えて二人の共通項として人魚姫のイメージと結びつく人物であるということが挙げられるわけです。更にいえば、47話の体調不良の美月とは、他ならぬ61話で、セイラが参照を促すような発言をしていた箇所でもあります。

そら「私はね、今まで作りたい服を自由に作ってきた。ほとんど趣味みたいにね。でも、ブランドを立ち上げたらそうはいかなくなる。新しい衣装を定期的に発表する責任が生まれる。たとえアイデアがなくたって、作らないといけないよね。お仕事だから」

セイラ「アイドルが風邪を引いても、ステージに立たないといけないのと同じか」

そら「うん。それが私にできるかなって思うし、(以下略)」

 61話は、不自由になることを受け入れながらブランドを立ち上げた風沢そらと、自由と隣り合わせの恐怖を見据えながら自由な旅立ちを選んだミミがかつて「ファッションの魔法」によって結ばれ、そして別れていたことを描く物語でした。犠牲を払いながらも前へと進んでゆくそらやミミと重なるように、体調を崩しながらもステージに上がった美月が参照されているのではないでしょうか。

 

そういうわけで私は、キラパタの人魚姫はいちごというよりはむしろミミ、ないし美月と結びつくイメージとして解釈したいと考えています。

以前は人魚姫だからいちそらという解釈をしていて、それに基づいたツイートなどもしていたのですが、最近考えが変わったところなので、こうやって改めて解釈を示す機会ができて本当によかったと感じています。

 

つづいて2番ですが、1番の歌詞で人魚姫と絡めて展開された「脚」のイメージは、2番ではいちど反転させた形で出てきます。「素足」というワードがそれであり、これは「人魚姫の脚」と対になる語と思われます。苦心して犠牲を払ってようやく得られる人魚姫の脚と、生まれつき持っているありのままの素足(=想像を越えた才能)という対比です。この素足を持つ人こそが「私の恋」の相手と思しき人物なのですが、これはどのような人物なのでしょうか。

この人物像と結びつく存在として登場するオブジェクトがカモシカです。彼の人は「風に吹かれてるカモシカのよう」と形容されています。しかしこの「カモシカ」ということばは非常にやっかいです。何がやっかいなのかというと、この「カモシカ」という語には、まったく別種である複数の種の生物が従属しているのです。

詳しくはWikipediaを読んでいただきたいのですが、ざっくりまとめると、

  • ウシ科ヤギ亜科かつヤギ族以外の生物→広義のカモシカ
  • ウシ科ヤギ亜科カモシカ族→狭義のカモシカ
  • ウシ科からウシ族とヤギ亜科を除いた残り→レイヨウ=羚羊(カモシカと呼称されることがある)

の3つが、カモシカと呼ばれうる生物のグループたちです*1

f:id:yoshidastone:20170116124130p:plain

これはWikipediaを参考にざっくり作った図です。ピンク色に塗りつぶされた部分がカモシカと呼ばれることもあるレイヨウ、黄緑から緑にグラデーションがかかっている部分が狭義のカモシカ、グラデーションがかかっているところを含め、黄緑色の部分が広義のカモシカです(いちおう断っておきますがこの図において面積にはなんの意味もないです)。以下括弧にくくられていないカモシカは「広義のカモシカ」を指します。

 

さて、kira・pata・shiningに現れる「カモシカ」はレイヨウとカモシカ、どちらのカテゴリに入るのでしょうか。

まず着目したいのは、「カモシカのよう」という句です。「カモシカのよう」とは、よく知られる「カモシカのような脚」という定型句を想起させる句であり、楽曲中で展開されてきた「脚」のイメージを改めて提示するものです。風に吹かれてる、という修飾から、自然の中に野生で生きる動物として「カモシカ」を登場させているようであり、その脚とは「素足でも美しく魅せる」といわれた「素足」に近しいイメージをもつものと捉えられます。

カモシカのような脚」というときの「カモシカ」は、平地を強力で特徴的なストライドで駆けることのできるレイヨウのことを指すというのが通説ですから、上図のピンク色の領域で示されるところにいるレイヨウこそが、キラパタの「カモシカ」に彫り込まれた陰影であると解することができます。

 

ただそれと同時に、レイヨウではない(広義の)カモシカという色彩を、キラパタの「カモシカ」に見いだすことも可能だと私は考えています。カモシカの多くは山地に生息し、その蹄の特性から崖を登ることを得意としています。アイカツ!といえば斧と崖であり、崖を登るアイドルといえば主人公たる星宮いちごでありますから、アイカツに登場する楽曲に崖登りを得手とする動物が出てきた場合、それを星宮いちごと関連付けて解釈することには一定の正当性があります。

この解釈にはいささか飛躍を感じられる方もいらっしゃるかもしれませんが、その正当性を示すひとつの傍証として、コミカライズであるところのぷっちぐみベスト!!まんが&まんが家カツドウ!の第7話「みんなでアイカツ!」を参照してみましょう。このエピソードはいちごがデザイナーズアクセサリーコレクションのアクセサリーを得るために、フランスの別荘にいる天羽あすかを訪ねるというものなのですが、その過程において、いちごたちはガケの上に建つあすかの別荘へ行くためにガケをのぼります。そこに、ガケをのぼるのが上手である動物としてヤギが、やや唐突に登場します。

f:id:yoshidastone:20170116180904j:plain

(ぷっちぐみベスト!!アイカツ!まんが&まんが家カツドウ!P69)

このエピソードでは、みんなを先導するように崖を登るヤギが、みんなを鼓舞しながら引っ張っていく星宮いちごと重なるように描かれているわけです。

f:id:yoshidastone:20170116184522j:plain

(同P69)

ヤギはヤギ族でありカモシカの定義にはあてはまりませんが、カモシカと近縁の動物ではあります。例えばシロイワヤギのように、分類学カモシカに含まれていてもヤギと名に冠するものも存在します。このヤギとカモシカの近縁性、また、アイカツ!においてはいちごとヤギとが皆を先導するように崖を登る存在として並置されうる、という2つのファクトを前提にキラパタを解釈すれば、「風に吹かれてるカモシカのよう」というフレーズの向こうに、崖を登りきったカモシカが悠々と風に吹かれている姿を見ることが可能であることをご理解いただけるものと思います。

以上をまとめますと、キラパタの「カモシカ」はレイヨウとしても広義のカモシカとしても解釈可能であり、そして、その脚に力を持つ才能あふれる人物、または崖を悠々と登り頂上で風に吹かれる人物のどちらに解釈したとしても、星宮いちごという人物が「私の恋」の想い人としてふさわしい人物として浮かび上がってくるのです。

くわえて2番の歌詞「媚薬をじょうずにお砂糖でくるみましょう」とは、エンジェリーシュガー(=砂糖)のクリスマスケーキを通じて、いちごへの愛情のこもったパーティーをデザインした62話のそらの行動と結びつくものである、という解釈をあわせれば、kira・pata・shiningのいちそら性というものについて一通り語ったこととなるかなと思います。

 

補足的に語るとすれば、ミツバチと、羽の音・周波数という波動性と恋愛を関係させる詞は、キラパタのみならずG線上のShining Sky(恋するミツバチの鼻唄)やハートのメロディー(恋のテレパシー送信するから ビビビッと受け止めてよ 君のアンテナで)に共通するということを指摘できます(アンテナとは電波を送受信する空中線であり、また昆虫の触角でもある)。このことから、たとえばハートのメロディーをいちそら曲と解釈する視座をもつことなどが可能になるでしょう。

まとめますと、1番はそらミミ、2番はいちそらという解釈で私はkira・pata・shiningを聴いています!ということでした。

改めまして、今回この記事を書くきっかけを与えてくださったひみゆりさんに感謝を捧げながら、この記事を閉じたいと思います。ありがとうございました。

 

17/2/24 一部改稿しました。

*1:Wikipediaカモシカの項をみるとシャモア族カモシカ属という分類が書かれているのですが、ヤギ亜科の項はそうなっていません。ヤギ亜科の項の方が参照している資料が新しいようなので、ここではヤギ亜科の項の分類に即して記述しました

大スター宮いちごまつり=実質アイカツ!61話説などにみられるいちそら

この記事はいちそらアドベントカレンダー5日目の記事です。遅刻遅刻…*1

 

www.adventar.org

 

今日は話数単位にこだわらず、アイカツ!のさまざまな場所からいちそら!と思うシーンを抽出して並べてみようと思います。

75話、「アゲイン♪オフタイム」にて、風沢そらが路上で曲芸をしている一ノ瀬かえでの手をとって服飾店へと連れ込み、かえでに服をコーディネートする、というエピソードが描かれます。ここでそらがかえでに着せた服がこちらです。

f:id:yoshidastone:20161222224927j:plain

ところでこの服のシルエットどこかで見たことがありませんか?腰で留められたリボン、まるく膨らんですぼまるスカート……

f:id:yoshidastone:20161222224942j:plain

そう、Angely Sugarのなないろマカロンワンピ!……と似ているといえなくもなくもないのではないでしょうか。なくもなくってよ。

エンジェリーシュガーを着たいちごちゃんをずっと見ていた風沢そらですから、このようなキュートなコーディネートにはある種の納得感がありますが、しかしなぜそらはかえでを見てインスピレーションを湧かせたのでしょうか?

それはかえでがやっていた曲芸に理由があると考えられます。かえでがやっていた曲芸とはサーカスと縁深いものですが、サーカスといえばいちごが渡米中にやった火の輪くぐりが思い出されますよね。

f:id:yoshidastone:20161223000249j:plain

53話。いちご渡米中のサーカスでの火の輪くぐり

 

かえでもまた、火の輪をくぐるアイドルです。

f:id:yoshidastone:20161223000500j:plain

79話。火のついたトーチの輪をくぐり抜けるかえでとユリカ。このトーチを投げる男性は75話でかえでと共に曲芸をやっていた人

そらはかえでの曲芸から、いちごと相通じる魅力をかえでの中に見いだしたのではないでしょうか。二人を重ねて見たそらが、かえでにいちごみたいなキュートな服を着せた、という婉曲的ないちそらがここに描かれているのかもしれません。

 

-

つづいて、70話「おしゃれ探検隊 クールエンジェルス!」より。

f:id:yoshidastone:20161223001820j:plain

f:id:yoshidastone:20161223001844j:plain

f:id:yoshidastone:20161223001915j:plain

f:id:yoshidastone:20161223001958j:plain

f:id:yoshidastone:20161223001943j:plain

画の説得力が強いのでとくに何も言い添えることはないんですが、そら→いちで割を食う霧矢あおい概念はぷっちぐみベストのコミカライズにもありましたね。過去に書きました。

ぷっちぐみベストのまんが&まんが家カツドウ!はいちそら好きには2億点くらいある最強コミカライズなのでとてもおすすめです。

 

 -

劇場版・大スター宮いちごまつりにて、最後に円陣を組んで、いちご、おめでとう!と成功を祝うシーンがありますが、そのシーンにおいて、劇中で重要な小道具であったクリスタルマイクを、それをいちごから受け取ったあかりとともに、風沢そらが掲げていることに注目したいと思います。これは端的にいちそらですが、そこにもうちょっと深い含意を見出してみようと思います。

このクリスタルマイクとは、繋がっていくアイドルの夢の象徴、「SHINING LINE*」の象徴です。それを大空あかりと風沢そらという二人の「そら」が掲げることに、一体どのような意味を見出すことが可能でしょうか。

f:id:yoshidastone:20151116174643j:plain

まず指摘しておきたいのが、大スター宮いちごまつりで描かれるいちごと美月の物語が、61話「キラ・パタ・マジック☆」におけるそらとミミの物語と強い相似をみせている点です。

61話において、そらはミミを見て、ミミに憧れてアクセサリーを作りはじめ、そしてそらがアクセサリーによってミミを勇気づけた結果、マラケシュで立ち止まっていたミミはふたたび旅を始めました。「どうして今はここにいるの?」と問われたミミが「すこし、こわくなったんだ。新しい扉を開くのが」と答えていたことを思い出しておきましょう。

いちごは美月に憧れてアイドルになり、そして大スター宮いちごまつりにおいては「輝きのエチュード」のステージによって美月を勇気づけ、アイドルを辞めようとしていた美月はふたたびアイドルとして活動し始めます。これは61話のそらとミミの物語と同一の構造であり、にくわえて、アイドルを辞めることを決め、いちごのステージを観ようとしなかった自分を、いちごの輝きのエチュードを観たあとの美月はこういって振り返ります。「ここに来るつもりはなかった。新しい時代を目のあたりにするのは、すこし、こわくて」これがミミの台詞とぴったり重なるわけですね。

つまり61話/劇場版においてそらといちごは、悩み、恐れる人に対して、新しい扉を開く/素敵な明日を迎える ための助けを為す役割を持つ存在として重なり合う存在であり、このクリスタルマイクはいちごからあかりへと授けられたものであるとともに、また同時にそらからあかりへと授けられたものである、という解釈が成り立ちます。これがひとつめの解釈です。

 

もうひとつの解釈として、クリスタルマイクをそらが持つことの意味を重視する解釈も成り立ちます。クリスタルマイクとはマスカレードに憧れた美月、美月に憧れたいちご、いちごに憧れたあかり、と連なってゆくアイドルの系譜の象徴です。とくにここではいちごに憧れたあかりという存在を際立たせる効果を持つ小道具ですから、それをそらも掲げているというのは、そらもまたいちごに憧れてアイドルになった存在であるという可能性を示すものとして解釈できます。

そらがデザイナーとなった理由はミミとの出会いによって説明されているわけですが、一方アイドルになった理由については、学園長からやってみないかと言われたという説明しかありません。デザイナーとしてブランドを立ち上げないかという学園長の誘いにすらその不自由な境遇を想像して顔をしかめてみせたそらが、デザイナーとアイドルとの二足のわらじを履くことの不自由さを考えなかったとは思えません。そらがアイドルになると決めたその胸の内には、アイドルになることへの強い動機があったはずです。その動機が、大空あかりと同様、星宮いちごと結びついているという可能性を、あかりとそらとが掲げるクリスタルマイクに見ることができるのではないでしょうか。

いちごについてそらは62話で「ずっとかわいいなって見てた」と語っていましたが、その関心はいつ頃から抱いていたものなのでしょうか。これについては過去に62話の考察で結論を出しており、あのクリスマスパーティーのデザインを鑑みるに、少なくともいちごの渡米より前であると考えられます。より具体的にいつからそらがいちごのファンだったのかについて思いを巡らせてみますと、本編中に全く描写はありませんが、私は、そらはあかりと同様に、12話で描かれたクリスマスパーティーを観ていちごのファンとなったのではないか、という考えに行き着きました。なぜならあのいちごによる巨木の伐採は、中山ユナという、ある一人のアメリカ帰りの帰国子女のために為されたことであったからです。風沢そらもまた帰国子女であるわけで、もしそらがあの映像を観ていたならば、ユナのために頑張るいちごの姿に強く心動かされたのではないか、と想像できます。紅林珠璃が親と離れて過ごすクリスマスにあの伐採を観てスターライトのクリスマスパーティーに憧れを抱いたのと、ちょうど同じように。

もしそうだとすれば、いちごまつりの終わりにいちごから渡されたマイクをそらとあかりが共に掲げることにより深い意味を見いだすことができますよね。アイドルとしての起源を全く同じくする二人が、一つのマイクを掲げる、というシーンとして捉えることができるわけです。

 

クリスタルマイクについての二つの解釈をお読み頂きましたがいかがでしょうか。

まあ美月・いちご・あかりの三人の手を繋がせたかったから余ったあかりのマイクを持つ手がそらと繋がれただけでは、とお考えの方もいらっしゃると思います。私も実のところ胸の内の5割くらいはそう思っていますし、とてもとても正当な見方だと思います。そうお考えの方は、このようなわずかな断片からもいちそらを紡ぎ出すことができるのだ、という一種のパフォーマンスとしてお読みいただければと思います。

この記事のいちそら解釈が合わなかった方も、なぜ学園長のアイドルへの誘いに対し、デザイナーになりたかったはずの風沢そらは首を縦に振ったのか、ということについて考えてみるのは面白い試みになると思います。ぜひ考えてみてください。

予定とは違う感じの内容になりましたが、今日はここまでにします。お読みいただきありがとうございました。

17/2/24 一部リライトしました。

*1:カレンダーに沿うよう投稿日時を改竄していますが実投稿日時は12/23 3時半ごろです

アイカツ!67話にみる風沢そらの失恋の痛手、と藤堂ユリカのそれと79話

この記事はいちそらアドベントカレンダー4日目の記事です。

www.adventar.org

アニメ本編中において、そらはいちごに対して失恋した――ドレスがいちごに選ばれなかった――のだという主張を、アドベントカレンダーが始まって以来繰り返してきました。風沢そらの失恋が64話にあり、そしてそらがそこから立ち直るプロセスとして67話があった、という話は以前の記事でも書きましたが、以前の記事では冗長に書いてしまったきらいがあるので、改めて手短に67話について語っておきましょう。

67話のタイトルは「フォーチュンコンパス☆」ですが、このコンパスとは恵方巻きのことを指していると考えられます。恵方を向いて食べる風習があるため、恵方巻きは恵方という特定の方角を向くことになります。この性質が南北を決まって指すコンパスの針として擬えられているわけですね。

67話では蘭もそらも迷子になっています。蘭の迷子についてはそうなるに至った理由が明確です。恵方巻きの具を見栄えのよいものにすると決めたはいいものの、その内心ではまだ迷っていたために、ロケで来ていた山の中で迷子になります。つまり蘭については、心にある迷いと山での迷いが結び付けて描かれているわけですが、そらの迷子に対しても同様に、心のなかに何かしらの迷いがあったのだと考えることができます。そのそらの迷いとは、やはり恵方巻きについての迷いだったのだと考えられます。そらは山へ向かうよりも前に恵方巻きを作り、それを食べたきいから太鼓判を押してもらっています。にも関わらずそらは恵方巻きについてのひらめきを求めて山へと向かってそこで迷子になっているわけですから、そらの恵方巻きへの思いも何かしら複雑なところがありそうです。そらの迷いとは、きいに太鼓判をもらった恵方巻きをうち捨てて山へ向かったことと密接に関係があるはずです。なぜそらは既存の恵方巻きを捨てたのでしょうか?

それを考えるために、そらの恵方巻きにこめられた思いについて類推してみましょう。その時そらが作った恵方巻きとは、恵方巻きとしては異様な、クリームと苺などの果物が巻かれたものでした。

f:id:yoshidastone:20160216155845j:plain

この恵方巻きは、67話に登場するある食べ物と対になるものと捉えられます。それは、蘭の作った海の幸入りのクッキーです。

f:id:yoshidastone:20160304113425j:plain

恵方巻きにフルーツやクリームを巻くそらと、クッキーに海藻や小魚を混ぜる蘭。どちらも大変個性的な料理となっていますが、そらの恵方巻きがきいを笑顔にしたのに対して、蘭のクッキーは食べたいちごの顔を曇らせます。

f:id:yoshidastone:20161221192952j:plain

f:id:yoshidastone:20160224052645j:plain

67話において食べ物へと下される評価は、かつて蘭の祖母の語っていた「一番大切なのはどんな思いを込めるか。どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」の言葉にしたがいます。蘭のクッキーには思いがこめられていなかったため、いちごやファンの皆を喜ばせることができなかったのでした。そして、そらの恵方巻きには十分に思いがこめられていたということになります。

その思いとは、62話でそらがデザインした巨大ケーキと同じものなのではないかと私は考えます。甘いものが大好きないちごのために甘いケーキのような恵方巻きを作って、いちごを笑顔にしたい。その思いがそらの恵方巻きにこめられていたのではないでしょうか。この苺の恵方巻きを作ったのはいちごへの思いゆえであり、それゆえに、64話でいちごに選ばれなかった、いちごへの失恋を味わったそらは、この恵方巻きを没にして新たな恵方巻きのイメージを求める必要があったのではないでしょうか。

そして、そらと蘭の二人の迷子は山で出会います。そらは山の幸だけで作った恵方巻きをお腹を空かせた蘭のために作って蘭を満足させながら、「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」と語ります。この恵方巻き=コーデという発想は、蘭の恵方巻きの特訓の際にいちごが語ったものと全く同じものです。

f:id:yoshidastone:20160216183952j:plain

恵方巻きの中身選びって、カードをコーデするのに似てるね!」

ここに、そらが本当にいちごのことを深く理解し、そしていちごに強く影響されていることを読み取ることができます。そらはいちごを「ずっと可愛いなって見てた」わけですが、ただその可愛さを愛でていただけではなく、そのいちごの持つ自由で豊かな発想に共感し、同調していたことが、このシンクロニシティから伝わってきます。そらはいちごから強い影響を受けており、そしてその、まさにいちごから影響されて得たであろう「恵方巻き=コーデ選び」という視座に立って、そらは蘭を元気づけたのでした。

そらは自らの恵方巻き=コーディネートを蘭へと食べさせました。そして85話において、蘭はそらのブランドであるボヘミアンスカイのドレスを着ることになります。あの苺の恵方巻きは、いちごが食べることのなかった恵方巻きとして、64話においてそらがデザインしたが着られることのなかったプレミアムドレスを想起させるものといえるでしょう。

こうした経緯を経て、そらはいちごのためのデザイナーというところから、蘭を含むより多くの人々のためにデザインしていくようになったのではないか、と私は考えています。

 

こういうわけで、風沢そらというキャラクターの物語の中核には失恋があるわけですが、同様に失恋をきっかけに成長したキャラクターとして、藤堂ユリカがいます。

79話「Yes!ベストパートナー」において、ユリカは蘭への思慕を、蘭をパートナーとして選ぶことによって明らかにしました。しかし、蘭はそらを選んでいて、そらもまた蘭を選んでいました。この失恋をきっかけに、ユリカはかえでと絆を深め、トライスターとしての過去を精算することができました。ユリカは失恋をきっかけに成長を遂げたキャラクターであり、そういう点で風沢そらと同じであるといえます。

79話といえば蘭の「わたしかそらの名前書いたのか?」が名言としてよく知られていますが、その言葉を曖昧に肯定したユリカに対して、そらは「なら、三人で話し合って……」と語りかけます。私はこのそらのセリフがとても好きなんですよね。かつていちごに選ばれなかったそらが、ユリカの悲しみを察して歩み寄るというシーンとなっていて。

あの時ユリカがそらの提案を受けていたらどうなっていたでしょう。または、もしあの時そらがもっと強くいちごへアピールして、いちごが福女レースの賞品としてボヘミアンスカイのドレスを所望していたら……。そういったもしもへの想像を、二次創作にぶつけていきたいと思います。

クリスマスに合わせて発表できるよう、いまいちそら小説を書いているのですが難航しています。なんとか書き上げられますように……。