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末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

ここさけを観た

アニメ映画、『心が叫びたがってるんだ。』を観た。

めちゃくちゃ良かったが、どう良かったとはなかなか言い表しづらいタイプの作品だった。でもとりあえず何かは言っておきたいということで、作品の全体から、序盤中盤終盤からシーンを一つずつ選んであれこれ言っておくことによって、うさを多少晴らしておこうと思う。後で観返す時用のメモといってもいい。当然ネタバレがある。

 

序盤

冒頭の、順が母に玉子焼きを口に押し込められながらおしゃべりな子であることを咎められるシーン。

ここで順には「口にすること」に対する呪いがかかり、喋ることが禁止され、玉子の空想に囚われるようになった。順の物語においておしゃべりを封印するのが玉子であるのは、この体験が鍵になっている。

 

中盤

順がクラスで披露した即興の歌。今まで話すことのなかった順が口を開く瞬間が、また二人の諍いを歌で止めようとする展開が非常に劇的・ドラマチックであり、そこに歌が合わさることにより、あのタイミングにおいてはドラマと歌の合体、つまり『ミュージカル』が成立していた。だから奇跡も起こる(喧嘩も止まるしミュージカル企画も成立する)。

また、このときの順の歌を、後にDTM研究会のひとりがボーカロイドに歌わせるシーンについて。

これは、アナログに「口で」歌うことと、デジタルに「打ち込む」ことによって歌わせることの対比を描いているのであって、当然これは口で話すことと、メールを打ち込んで読ませることとの対比と重なるものである。順の携帯がガラケーであることも、順のメールが「打ち込まれる」ものであることを強調する。

 

終盤

廃墟となったラブホテルの一室。順はステンドグラスが照らすベッドを背にして床に座っている。

作中、光と影の対比は繰り返し繰り返し、ちょっとしつこいほどに描かれる。光を浴びる人は自分の想いを率直に口にできる。影にいる人はそれができず、言いたいことを胸の内に押しとどめる。

それを踏まえた上でステンドグラスを解釈すると、これはまず電気の通っていない廃ホテルの内部を照らす光源であることに間違いはない。しかしステンドグラスというものは、太陽の白色光を色づいたガラスによってかげらせるものとしても捉えられる。

光でありながら同時に影でもある――ステンドグラスとは、光と影との両方のイメージを併せ持ったものではないだろうか。ステンドグラスに描かれた図像は「太陽」と「月」であった。それぞれが陽と陰の象徴であることは言うまでもない。

ここでの順と坂上とのやりとりは一度では追いきれなかったところがあるので、そう遠くない内にもう一度は観たい。

 

全体を通してみれば、事実を脚色して作った物語を母に語ることによって母を傷つけてしまった順が、再び事実を脚色して作った物語をミュージカルという形で語り直すことによって母との絆を再生させる、という母子のストーリーの部分に強い魅力を感じている。この軸でここさけが好きな人は多分、プリズムショーが原因で傷ついた家族がプリズムショーで再生していく物語であるところのプリティーリズム・オーロラドリームも多分好きだと思うので、プリティーリズムを観てください。