末吉日記

マンガとアニメのレビューとプリズムの煌めき

アイカツ!53話のいちごの火の輪くぐりのニュース(英字)

アイカツ53話、「ラララ☆★ライバル」に出てくる英語の記事3つのうち、サーカスでの火の輪くぐりのものについてテキストに書き起こしてみました。

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正確さは保証できません。あくまで参考程度にしてください。
一箇所潰れて読み取れなかった部分を*とおいています。

最後の一行は下が見切れているせいで語も不正確な可能性が高い上にピリオドも適当につけてるのでとくにご注意ください。

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Ichigo passes
through the ring of
the fire of circus!!

The new "star" of
expectation to "the greatest show
in the ground" appeared.

A November certain day..
The Richmond public performance of ring ring Brothers and Barnum
and Bailey circus [following ring ring circus] opened the curtain bril-
-liantly. About 15,000 spectators thronged the RED public performa-
-nce performed in the Richmond Colosseum on that day. Various sho-
-w unfolded by the specialty of the ring ring circus which is proud of
100 years of history, and animals.
The smoke covered the stage top suddenly just before jumping thro-
-ugh flaming hoop by the climax and a big cat.
The spectators who lighting also falls and begin to be noisy. Then, the
announcement of babble resounded through in the hall suddenly.
「Ladies and gentlemen. It's a Amazing "AIKATSU" show!」 a tiger
with cute the smoke having disappeared and having been compared
with the spotlight on the stage -- she was the cute Japanese girl who
were not __ but the stuffed-animal suit of the tiger.
「Ichigo __ !?」 One of spectators shouted.
She is the finalist of an idol excavation program to whom she was
performed in Octorber, this year, Ichigo Hoshimiya. She who stared
Hart, the judge, by the sensational appearance by the parachute
jump from a Cessna plane by the initial screeming of audition beca-
-me a celebrity of the living room instantly. (Incidentally the parac-
-hute at this time is inherited from the super idol of our country un-
-der activity, and maple in Japan now.)
Since then, her who attracted attention of the world with the eye cu-
-tlet which goes the stunt top of anticipation. It is the appearance of
when [which regar               ded as -- what kind of performance you
would next show ]. The ring of the fire for big cats in the point which
Ichigo who flew and was waving the hand to the spectator with the
smiling face of * in the "Noriben call" not coating showed." -- future
-- today's special event and me -- it is jumping through flaming hoop
by Ichigo Hosyimiya -- the rise of the flow lit by." assistant in the

-

要点

  • 11月某日、「ring ring Brothers and Barnum and Bailey circus」というサーカス団がリッチモンド・コロシアムにて公演(Ringling Bros. and Barnum & Bailey Circusのもじり)。ここでいちごは虎の着ぐるみを着て火の輪くぐりをした。
  • いちごは10月に行われたアイドル発掘番組のファイナリストになっている。その番組への登場がセスナ機からパラシュートでの降下であったこともあり、瞬く間にお茶の間の人気者になった。また、そのパラシュートはmaple(=かえで)から継承されたものでもある。

50話でかえでに託されたパラシュートはちゃんと活かされたらしい。それでかえではやっぱり向こうでも人気があるのだなあ…(the super idol of our countryとは)

ここさけを観た

アニメ映画、『心が叫びたがってるんだ。』を観た。

めちゃくちゃ良かったが、どう良かったとはなかなか言い表しづらいタイプの作品だった。でもとりあえず何かは言っておきたいということで、作品の全体から、序盤中盤終盤からシーンを一つずつ選んであれこれ言っておくことによって、うさを多少晴らしておこうと思う。後で観返す時用のメモといってもいい。当然ネタバレがある。

 

序盤

冒頭の、順が母に玉子焼きを口に押し込められながらおしゃべりな子であることを咎められるシーン。

ここで順には「口にすること」に対する呪いがかかり、喋ることが禁止され、玉子の空想に囚われるようになった。順の物語においておしゃべりを封印するのが玉子であるのは、この体験が鍵になっている。

 

中盤

順がクラスで披露した即興の歌。今まで話すことのなかった順が口を開く瞬間が、また二人の諍いを歌で止めようとする展開が非常に劇的・ドラマチックであり、そこに歌が合わさることにより、あのタイミングにおいてはドラマと歌の合体、つまり『ミュージカル』が成立していた。だから奇跡も起こる(喧嘩も止まるしミュージカル企画も成立する)。

また、このときの順の歌を、後にDTM研究会のひとりがボーカロイドに歌わせるシーンについて。

これは、アナログに「口で」歌うことと、デジタルに「打ち込む」ことによって歌わせることの対比を描いているのであって、当然これは口で話すことと、メールを打ち込んで読ませることとの対比と重なるものである。順の携帯がガラケーであることも、順のメールが「打ち込まれる」ものであることを強調する。

 

終盤

廃墟となったラブホテルの一室。順はステンドグラスが照らすベッドを背にして床に座っている。

作中、光と影の対比は繰り返し繰り返し、ちょっとしつこいほどに描かれる。光を浴びる人は自分の想いを率直に口にできる。影にいる人はそれができず、言いたいことを胸の内に押しとどめる。

それを踏まえた上でステンドグラスを解釈すると、これはまず電気の通っていない廃ホテルの内部を照らす光源であることに間違いはない。しかしステンドグラスというものは、太陽の白色光を色づいたガラスによってかげらせるものとしても捉えられる。

光でありながら同時に影でもある――ステンドグラスとは、光と影との両方のイメージを併せ持ったものではないだろうか。ステンドグラスに描かれた図像は「太陽」と「月」であった。それぞれが陽と陰の象徴であることは言うまでもない。

ここでの順と坂上とのやりとりは一度では追いきれなかったところがあるので、そう遠くない内にもう一度は観たい。

 

全体を通してみれば、事実を脚色して作った物語を母に語ることによって母を傷つけてしまった順が、再び事実を脚色して作った物語をミュージカルという形で語り直すことによって母との絆を再生させる、という母子のストーリーの部分に強い魅力を感じている。この軸でここさけが好きな人は多分、プリズムショーが原因で傷ついた家族がプリズムショーで再生していく物語であるところのプリティーリズム・オーロラドリームも多分好きだと思うので、プリティーリズムを観てください。

風沢そらと『郷愁のモロッコ』

アイカツ!61話の魅力に取りつかれて以来、風沢そらをより深く理解するために、モロッコに関する情報を集めたり、書籍を読みふけったりしていたのですが、その中に、これは!風沢そら!と思うような小説がありましたので、この記事で紹介したいと思います。

その小説とは、エスタ・フロイド著の『郷愁のモロッコ』です。

郷愁のモロッコ

郷愁のモロッコ

 

私がこの本を知ったのは、マラケシュを舞台とする『グッバイ・モロッコ』なる映画があるらしいということからでした。調べてみると原作は小説であり邦訳もあるとのことで、それが『郷愁のモロッコ』だったのですが、より詳しい情報を求め河出書房新社のサイトへ行ってみますと、そこにはこんな惹句が。

『1960年代中頃のロンドンから、自由を求めてマラケシュへ旅立つヒッピーの母親と二人の娘。魔法の地モロッコでの不思議な体験を5歳の娘の目を通して描く。映画「グッバイ・モロッコ」原作。』

自由。マラケシュ。旅。ヒッピー。母親と娘。魔法。これはどう考えてもアイカツ61話なのでは?と思い、さっそく最寄りの図書館で借りて折り返しの著者紹介に目を通してみますと、そこに書かれている情報に胸を撃ちぬかれました。

 

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Esther Freud

1963年ロンドン生れ。4歳の時ヒッピーだった母につれられて姉とともにモロッコを2年間放浪。その時の体験が本書の素材となっている。各地を転々としたのち16歳の時にロンドンにもどって俳優の訓練をうけ、 現在は俳優、脚本家としても活躍している。本書は作家としてのデビュー作。出版と同時にベストセラーとなり、異例の反響を呼んだ。1998年に映画化。ちなみに著者の曽祖父はジークムント・フロイト、父は画家のルシアン・フロイド、そして姉は有名なファッション・デザイナー。

(折り返し部分)

自由。マラケシュ。旅。ヒッピー。母親と娘。魔法。ファッション・デザイナー(New!)。

 

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マラケシュを訪れた少女が後にファッションデザイナーになる、というのは完全にアイカツ61話です。さらに言えばエスタ自身も俳優の訓練を受け、俳優としての仕事もしている、という点も、風沢そらがファッションデザイナーと舞台に立つアイドルとの両方の仕事をしていることとの重なりをみることができて、非常に面白いところです。

この「有名なファッション・デザイナー」である姉とはBella Freud(ベラ・フロイド)のことです。彼女のbiographyについては日本語でまとまっているところがなさそうだったので、WikipediaのBella Freudの項とベラのHPのBIOGRAPHYFashion Model DirectoryのBella-Freudの項の情報を以下にまとめてみました。

61年ロンドン生まれ。77年、ベラが16歳の時にヴィヴィアン・ウエストウッドから『Seditionaries』(現在の『World's End shop』)というショップに職を与えられて働き始めるが、ファッションの勉強を望んで店を去る。イタリアの『Accademia di Costume e di Moda』で3年間学びながら、同時に現地で仕立ての仕事と靴のデザインに取り組む。その後ヴィヴィアンの下に戻り、彼女のデザインスタジオで4年間アシスタントとして働き、技術を完成させる。90年に自身のブランドを立ち上げ、91年にはBritish Fashion AwardsのセレモニーでYoung Innovative Fashion Designer of the Yearとして選ばれるなど活躍し、今に至る。

彼女のブランドについては、ちょっと変わっている、俗っぽい要素の配置されたカラフルなニットで知られている。

そのニットは氏のHPで見られます。

http://www.bellafreud.com/shop/women/

この姉とともに母に連れられ、妹のエスタがモロッコを放浪した2年間の経験をもとに書いた自伝的小説が『郷愁のモロッコ』です。

さて、小説の中身へと話を移しましょう。正直なところ、小説本文からはこの著者紹介を越えるだけのアイカツインパクトは受けなかったというのが正直なところですが、小説は小説で面白かったので、しっかりレビューしていきたいと思います。

 

 

■あらすじ

物語の語り手は、幼い少女であるルーシー。

時代は1960年代。若い母親・ジュリアと二人の娘(姉のビーと妹のルーシー)はロンドンを発ち、モロッコマラケシュへと向かう。ジュリアはイギリスの退屈なしきたりに愛想を尽かして旅に出たのだった。三人はマラケシュの安ホテルに宿をとり、手縫いの人形を売ったり、ロンドンに住む夫からのささやかな送金をあてにしたりして生計を立てる。

そんなある日、ジュリアはマラケシュの広場で魔術師の弟子であるビラルと出会う。ジュリアとビラルは次第に親密になり、二人の娘も父代わりに彼と親しむようになる。

ジュリアは旅の目的の一つであったスーフィズムイスラム神秘主義)を探求したがるが、娘たちは反発する。イギリスでの生活を取り戻したい姉のビーは、学校へ行きたいと訴える。しかしジュリアは、ビーをマラケシュで知り合ったばかりのイギリス人家族のもとへ預け、ルーシーだけをつれて隣国アルジェリアにいる高僧のもとへ旅立つ。

アルジェリアにて修行に入ったジュリアだったが、次第にマラケシュに残していったビーのことが気になり始める。マラケシュへと戻ると、ビーを預かったイギリス人家族はどこかへ消えている。ほうぼう探しまわり、施設へと預けられていたビーを見つけ出す。その施設の長は、ジュリアの苦手な、ジュリアの母そっくりのイギリス式の堅物な女性であった。ジュリアはこの女性と大喧嘩をしたのち、ビーを引き取る。

ビラルとも再会し、再びマラケシュでの生活が始まるが、生活費も底を尽き、ビーの体調もすぐれないことから、ジュリアはロンドンへ戻ることを決断する。乞食をしてお金を集め、マラケシュを去る列車に乗る。共に過ごしてきたビラルはついに駅に現れない。列車に揺られながらルーシーが思うことは、母が途中の駅でふらりと降りてしまわないかということだった。

自由を求めて旅立ったが、ついにはその自由への希求を諦め母国イギリスへと帰っていく母の挫折と、それに振り回される娘たちの困惑が描かれる物語でした。母の放浪の根源的な動機が堅物の祖母への反発に由来し、またその放浪の終焉が娘の病気によって齎されるという、祖母-母-娘の逃れ難い結びつきが物語のひとつの主軸であるように感じました。娘それぞれについても、母とくっついて旅した妹・ルーシーは無事であったが、母と離れた姉・ビーは病気に罹ってしまうという対比があり、ここからは、母と結びついて生きていかざるを得ない娘に関する観念が表されているように思えます。

このようにまとめてみると暗い話のように思えますが、実際の読後感は軽やかなものでした。それは、語り手の少女・ルーシーの認識がとても楽観に満ちたものであることが、大いに影響しています。

母の気分次第で明日がどうなるかわからない異国での暮らしは、娘にとっては不安で厳しいもののように思えるのですが、このルーシーは日々の生活に楽しみを見つけ、姉と可笑しな囃しことばを叫びながら、軽く過ごしていきます。幼い少女ゆえの楽観が物語に不思議なテイストを与えていて、シビアなはずの話であっても、するりと読めるところがありました。

この小説は98年にイギリスで映画化され、主役のヒッピーの母親役を『タイタニック』でおなじみのケイト・ウィンスレットが演じました。邦題は『グッバイ・モロッコ』。日本では99年に公開されました。

映画につきましては、こちらのブログ・『Audio-visual trivia』さまの『グッバイ・モロッコ』のレビュー記事(http://www.audio-visual-trivia.com/2006/07/hideous_kinky.html) が大変詳しく参考になります。

60年代末から70年代初頭にかけてのマラケシュはヒッピーの聖地のひとつであり、多くのヒッピーが集う都市だったそうなのですが、その時代の風俗をうまくとらえた映画となっているようです。

アイカツの方へ話を移しますが、この『郷愁のモロッコ』で描かれている、マラケシュという土地とヒッピーカルチャーとの深い結びつきこそが、風沢そらが「ボヘミアン」であるミミと出会ったのがマラケシュであった理由のひとつであると考えられます。

ヒッピーとボヘミアンは指し示す意味にずれがありますが、そらの言う「自由な生活をする人」という意味に限れば、ボヘミアンはヒッピーを包含する概念として捉えることができます。また『kira・pata・shining』のステージでそらが身に着けていた、自身でデザインしたアクセサリーが「オリエンタルリブラヒッピーバンド」であったことからも、アイカツにおいてボヘミアンとヒッピーの語の間にある程度の互換性があたえられているとみることが可能です。

『郷愁のモロッコ』は、マラケシュとヒッピーカルチャーの強い結びつきを、実際に現地で体験した人が書いた作品であり、風沢そらとマラケシュとヒッピーについて考えを深めたい人にはぜひおすすめしたい作品です。

いちそら学序論Ⅱ アイカツ!67話 蘭とそらの迷いとコンパス

このテキストは以前にアップした「いちそら学序論Ⅰ」の続きです。

前回同様、アイカツのエピソードをいちごとそらの関係性を中心に読みこんでいくものです。

前回取り上げた62話、クリスマス回は明確にそらといちごを中心とした物語でありましたが、今回取り上げる67話「フォーチュンコンパス☆」は、迷える蘭がエピソードの中心人物です。この蘭の迷いに対して、そらといちごはそれぞれどのように関与したのか、というのがこの論の論点のひとつです。

そしてこの論のもうひとつの論点は、蘭が迷子になった山中において、そらもまた迷子であった、というところにあります。蘭の迷子は、恵方巻きの具をどうするべきかについての迷いと一体のものでした。であるならば、そらの迷子もまた単純な迷子ではなく、何かしらの迷いや葛藤の現れだと解釈することが出来ます。であれば、この時のそらの迷いとは、いったい何に対しての、どのような迷いなのでしょうか?

 

まず一つめの論点について論じるために、62話における蘭のストーリーを追っていきましょう。

 

■あらすじ-蘭を中心とした

蘭は「料理の材料は必ず体にいいものを」という祖母の心得を守りながら料理を作っており、『Yeah!Hoo!!巻き』のオーディションへ向けての特訓でも、体によい具ばかりを用いた恵方巻きを作っていました。

しかし、『スイーツアイドル大集合!』という手作りお菓子を振る舞うイベントにおいて、自身の作った体によい具を用いたクッキーが客を満足させられていないことを認識し、再び恵方巻きの特訓に挑みます。そこでは彩りを重視した普通の具の恵方巻きを作った蘭でしたが、蘭の中の迷いは消えず、テレビ番組のロケでいちごとあおいとともに訪ねた山の中で、蘭は迷子になってしまいます。そこで、蘭は同様に迷子となったそらと出会います。

お腹を空かせた蘭に、そらは山の幸のみを具とする恵方巻きを作り食べさせようとします。蘭は斬新な具に当惑しますが、そらの言葉に説得され、その恵方巻きを口にし、おいしいと感想を語ります。そのうちに、二人は恵方の方角へと蘭を探して走ってきたいちごに見つけられます。

オーディション当日、恵方巻き作りに不安を抱く蘭に対して、いちごは「本当の蘭が一番おいしい!」と応援の言葉をかけます。蘭は祖母が「味も大事。見た目も大事。でも一番大切なのは、どんな想いを込めるか、どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」と語っていたことを思い出し、自分の祖母への想いを込め、体によい恵方巻きを作ります。結局、この恵方巻きは審査員を感動させ、蘭と、同じくオーディションに出ていたそらが合格し、ふたりは『Yeah!Hoo!!巻き』のキャンペーンガールとなりました。

 

■蘭の迷いとコンパス

67話では蘭の迷いとその解消が中心に描かれているわけですが、ここでタイトルを見てみますと、67話のタイトルは「フォーチュンコンパス☆」です。67話のテーマである『迷い』とタイトルの『コンパス』という取り合わせから見えてくるのは、迷える人がコンパスを頼りに歩むことによって迷いから脱する、というイメージです。そして67話においてその役割を果たすものとは、恵方巻きです。

コンパスとは南北を向く磁針から方角を知るものですが、コンパスの持つこの『特定の方角を向く』という性質が、恵方巻きの『恵方を向いて食べるもの』という性質と重ねられているわけです。

蘭に「自分を貫くしかない」ことを伝えたそらの恵方巻きや、恵方巻きの風習に感化されて今年の恵方へ向けて走ったいちごによって、蘭は迷いから解放されたのであり、迷いを恵方巻きというコンパスを助けに乗り越えるのが、67話における蘭の物語であるといえます。

 

 

■そらといちごの共通点

つまりこの67話においては、そらといちごが蘭を助ける人としてセットで描かれているわけなのですが、くわえて指摘しておきたいのが、そらが山中で蘭に語った「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」という台詞が、いちごが蘭の恵方巻きの特訓中に語ったことと同じ内容である点です。いちごの台詞は以下の通り。

「やり方は人それぞれで絶対なんてない。だから料理は面白いんだよ」

「ねえ!恵方巻きの中身選びって、カードをコーデするのに似てるね」

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そらといちごの間に見られる、料理をコーディネートにたとえるこのシンクロは非常に興味深いポイントです。そらはいちごのたとえ話を知る由がないわけですから、このシンクロは、いちごとそらの間に深いつながりが存在することの証左と捉えることができます。

ふたりのシンクロといえば、62話「アイドルはサンタクロース!」にも、等身大いちご人形の不足というトラブルを解決するそらのアイデアを、いちごはそのそらの言葉を聞くことなしに理解する、という表現がありました。それが可能だった理由について、前回の論では、そらがいちごのアイカツを深く理解し、またいちごもそらの深い理解を認識していたからだと論じました。

そして67話のこの『料理をコーディネートにたとえる』というシンクロは、62話の『キラメキドレスケーキ』に由縁があると考えられます。『キラメキドレスケーキ』とはケーキをドレスに見立てたものであって、そのケーキを共に作り上げたそらといちごが、恵方巻きをコーデにたとえるという発想を共有しているのは必然ともいえることなのではないでしょうか。

そらがいちごを深く理解していることから生まれたドレスケーキ、そしてそれをふたりが作り上げたことから生じた『恵方巻きの具選び=コーデ』というシンクロ。ここから、そらが蘭を前に語った言葉の内に、いちごへの想いが交じっていたのではないか、と考えられます。それがそらの『迷い』とも関連しているはずだーーということについて、後半で論じていきます。

 

■蘭の恵方巻き-具について

と、その前に、67話のキーアイテムである恵方巻きについて細かく取り上げたいと思います。まずは蘭の恵方巻きの具の変遷を見ていきましょう。

蘭が一度目の特訓の際に選んだ恵方巻きの具は、わかめ、ひじき、じゃこ、めかぶの4種でした。どれも海の幸であり、山での迷子の際にそらが蘭に食べさせた「山の幸だけで作った」恵方巻きと対をなしています。

その後蘭がYeah! Hoo!! 巻きオーディションの際に作った恵方巻きの具は、わかめ、めかぶ、ひじき、ゴマ、ごぼう、大豆と、海の幸と山の幸の混合となっていました。ここに、蘭がそらの恵方巻きから受けた影響の大きさを見て取ることができます。蘭がそらの恵方巻きを指針としている、ということを示すものともいえるでしょう。

 

■蘭の恵方巻き-食べた人の反応

次に、蘭の恵方巻きを食べた人の感想やリアクションについて見ていきます。

一度目の特訓で作った恵方巻きは、食べたらいちをがっかりさせる出来でした。

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二度目の特訓での恵方巻きは、彩りを重視した無難な具選びで、いちごにおいしいと言わせるには至りましたが、オーディション直前にいちごが「迷うことなんてないよ。本当の蘭が一番おいしい!」ということから、いちごはこの恵方巻きは「本当の蘭」ではないと感じていたことがわかります。

そして、オーディションの時の恵方巻きは、最初のらいちが食べたものと同じコンセプト、同じ系統の具選びでありながらも、審査員たちを感動させることができました。

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体によい具材というコンセプトが変わっていないにもかかわらず、食べたらいちと審査員との間には大きなリアクションの差が生まれています。この理由は、回想で蘭の祖母が語る「味も大事。見た目も大事。でも一番大切なのは、どんな想いをこめるか。どんな気持ちで作るか。それが一番の調味料」という台詞によって説明されています。オーディション本番で作った恵方巻きには、蘭の祖母への想いがこめられており、それが調味料となり、食べた審査員を感動させるに至ったのでしょう。

蘭の料理が、体にいいものでつくるという祖母の心得をうわべだけなぞったものから、真に想いがこめられたものになったこと。この変化が、蘭の作った3本の恵方巻きへのリアクションの変化によって表現されているわけです。

 

■もう一人の迷子、そらの迷い

さて、ここからはそらの『迷い』について考えていきます。前述のとおり、蘭の迷子が心の迷いとリンクしていたのと同様に、山で迷子となるそらにも、何かしらの心の迷いがあったものと推測されますが、このそらの迷いとはどのようなものだったのでしょうか。

そらは山へ行くより前に、ドリームアカデミーにて恵方巻きを作っています。

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この恵方巻きに対し、セイラは「あたし、こんな恵方巻き見たことない」と言いますが、この恵方巻きを食べたきいには「おお~!おいしい!これならオーディション、オケオケオッケーかも」と大好評でした。

しかしそらは、きいに太鼓判を押されるほどの恵方巻きをすでに作り上げているにもかかわらず、恵方巻きのひらめきを求めて山へと向かい、そこで迷子となります。なぜ、そらはこのフルーツの恵方巻きがあるにもかかわらず、山へと向かったのでしょうか?その動機こそが、そらの『迷い』にほかならないと考えられます。

 

■そらの恵方巻き・蘭のクッキー・いちごとスイーツ

このフルーツの恵方巻きに注視してみましょう。恵方巻きにミスマッチな苺などの果物やクリームといったスイーツの具材が用いられているのが特徴的ですが、この特徴は、蘭が『スイーツアイドル大集合!』のイベントに向けて作ったクッキーと好対照をなしています。

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甘いはずのクッキーにスイーツらしからぬ具材(わかめ、ひじき、じゃこ)を入れた蘭のクッキーと、甘くないはずの恵方巻きにスイーツのような具材を入れたそらの恵方巻き。これらはどちらも料理のカテゴリと具材がミスマッチである、という点が共通しているのですが、それを食べた人のリアクションもまた対照的です。

恵方巻きを食べたきいは満足げなのに対し、クッキーを食べたいちごは不満足そうな顔を見せます。

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具材とカテゴリがミスマッチなふたつの料理に生じた反応の違いは、一体何を示しているのでしょうか?

まず一つは、『想い』の差が考えられます。一番の調味料である、「どんな想いをこめるか、どんな気持ちで作るか」というところで、そらと蘭とで差がついているということです。そらの恵方巻きにはしっかりと想いがこめられていたために、きいを軽く感動させることができたのに対し、蘭のクッキーには想いがこめられていなかった、という差が浮き彫りになっていると考えられます。

そしてもう一つは、蘭のクッキーが甘くなかったことに対する示唆です。そもそもいちごは甘いお菓子が好物であり、蘭もそれをよく知っているはずでした。たとえば50話で、あおいが注文したお祝いパフェを自分が食べる前にあおいと蘭に食べさせたときに、あおいも蘭も、このパフェの甘さがいちご好みであると語っています。

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そしてこの67話では、蘭は「たとえば今日のいちごは、昨日お腹いっぱいになるまで食べたパフェでできてるんだぞ」と語り、いちごの好物が甘いスイーツであることを改めて示しています。

いちごが蘭のクッキーを食べて疑問を抱くような表情を見せるのは、このクッキーがいちごの期待から外れた、甘くないお菓子であったことを示すものと思われます。

 

さて、いちごを満足させられなかった蘭のクッキーと対になっている風沢そらの恵方巻きは、クリームとフルーツの具材から察するに、おそらくは甘いものであると思われます。そして、食べたきいを感動させていたことから、蘭のクッキーとは違い、この恵方巻きにはきちんと「想い」がこめられていたと考えられます。

想いをこめ、甘く作られた恵方巻き。そしてその中央に位置する具材が『苺』であること。これらのことから類推するに、そらのこの恵方巻きにこめられた想いとは、いちごへの想いであったのではないでしょうか。

前回の記事で62話の合同クリスマスパーティー・巨大クリスマスケーキの企画は、そらからいちごへの強い想いから始まったものであることを指摘しました。この恵方巻きもまたいちごへの想いがこめられたものであるならば、フルーツの恵方巻きをうち捨てて山へ向かうというそらの『迷い』は、いちごへの想いを持ち続けることに対する迷いを意味するでしょう。

 

■そらの迷いの出発点、福女レース

いちごへの想いについての迷い。この迷いがそらに生じた理由とは何でしょうか?

これについては、64話「ラッキーアイドル☆」のこのシーンに尽きると思います。

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「新春 福女ラッキーアイドルレース」で優勝し、星座プレミアムドレスお仕立て券を受け取るいちごにへとスターライト、ドリアカ各校の生徒が拍手を送るなか、そらだけが後ろ手に立ちすくんでいます。レースでいちごに負けたアイドルたちさえもいちごを讃える拍手を送っているのに、レースに参加すらしていないそらが拍手を送っていないのはどこか奇妙です。ここから、このときのそらの心理状態が非常に穏やかでない、複雑な状態であったことが伺えます。

64話においてそらは、アイドルとしてではなく、デザイナーとして福女レースに関わることを選びました。

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そらは「これでも私なりのアイカツに燃えてるの」と語り、きいやセイラが走りこみの特訓を行うそばで、新作の星座プレミアムドレスのデザインを熱心に描いていました。そらはレースに優勝したアイドルにデザイナーとして選ばれることを熱望し、走る代わりにデザインで福女レースと真剣に向き合っていたわけです。

そこから考えれば、いちごが星座プレミアムドレスお仕立て券を受け取った時の、そらの拍手をしないという反応からは、自身がデザイナーとして選ばれなかったことへの強い落胆を読みだすことができます。

62話「アイドルはサンタクロース!」において、そらはいちごへの強い想いから、天羽あすかにあすかがデザインしたキラメキドレスケーキを自身の手で大きくデザインし直す許可をもらい、デザイナーとしていちごにドレスのようなケーキを着せる、という体験をしていました。そらはこの成功の体験から、いちごにデザイナーとして選ばれることへの期待をふくらませていたと考えられます。

しかしその期待は、お仕立て券を使うデザイナーとして、いちごが天羽あすかを選んだことによって破られます。いちごに選ばれなかったというショックから、そらはいちごに拍手することもできず、ただ立ち尽くすことしかできなかったのではないでしょうか。

 

■そらを導くフォーチュンコンパス

つまり、そらはいちごへの想いから苺を含むフルーツの恵方巻きを作るが、いちごから選ばれなかったことから、その想いを持ち続けるべきかを迷うーーというのが、そらの『迷い』であったということです。そしてそらは、新たなる恵方巻きのひらめきを求めて向かった山で迷いながら、同じく道に迷える蘭と出会います。

蘭の迷いとは、祖母への想いを捨てるべきかについての迷いであったわけですが、これはそらの迷いと重なるものでもあったわけです。

 

そらはお腹を鳴らす蘭に、山の幸だけで作った恵方巻きを渡します。この恵方巻きについて、蘭はそらに「ええっ、これオーディションに出そうと思ってる恵方巻き?」と尋ねますが、ここでそらは肯定も否定もせず、ただ「召し上がれ」と恵方巻きを蘭に差し出します。

この恵方巻きを受け取った蘭は、「こんなの今まで見たこと……」と戸惑いますが、その蘭の言葉を遮ってそらは「恵方巻きは自由な巻き物。正解なんてない。だからこそ、自分が本当に信じるコーデを貫くしかない」と語ります。

 

自分が信じるコーデを貫くしかない。これは蘭のみが迷っているのでならば、そらが蘭を諭す台詞として解釈されますが、ここではそらもまた迷える存在であることから、この台詞は自分自身に対しても言い聞かせるような台詞であるものと解釈できます。そもそも蘭がどのような迷いを抱いているのか、そらには知る由もないわけですから、蘭に対して諭すような話をし始めるというのは不自然です。

であればこの台詞は、迷えるそらが同じように迷える蘭と出会い、その蘭のために恵方巻きを作ることを通して、「自分が信じるコーデを貫く」ということについて改めて考え始めていることを示すものと考えられます。

そらの恵方巻きを一口食べた蘭は、「おいしい!」と感嘆の声をあげます。これは単に味がよいということではなく、この恵方巻きにもまたそらの『想い』がこめられている、ということを意味します。このそらの『想い』とは、いちごと同じ、「困っている人を放っておけない」という想いであったと考えられます。それは、山で空腹な人に食べ物を渡して助けるというそらのこの行動が、71話「キラめきはアクエリアス」でいちごが山中で困り果てるあおいにおにぎりを食べさせること重なることからもいえます。

62話で、ブランド立ち上げる動機についてそらは次のように語りました。

「自分が作った服で、誰かを元気に、ハッピーにできたらいいと思って、私のブランド、ボヘミアンスカイを作った」

前回の記事において、62話の時点では、この「誰か」が一見広い人を指しているようでいて、その実いちごやミミといったごく限られた人物のみを指すものであったことを指摘しました。そこから67話に至るまで、そらはそのデザインの力を、自身を除けば、クリスマスパーティ、福女レースと、いちごのためだけに用いてきました。しかし、山中で空腹の蘭に会うに至って初めて、そらは自身のデザイン(=コーデ)の力をいちご以外の人のために用いました。目の前で困っている人をハッピーにする、という、いちごと同じやりかた。それこそが、そらにとって貫くべき「自分が信じるコーデ」であったということなのでしょう。

そらは迷いの果てに、いちごのためのアイカツから離れ、しかしいちごと同じ思いを抱きながら、より広い「誰か」のためにアイカツしていく道を見つけました。

蘭は、恵方巻きの見た目にこだわるあまりに祖母への想いを捨てそうになっていましたが、見た目にこだわらないそらの恵方巻きによって、自分の迷いを断ち切るきっかけを得ました。

二人は恵方巻きによってそれぞれの道をみつけ、そして、恵方へと向けて走るいちごによって見つけられます。

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いちごと出会ったときのそらのこの笑顔を、ドリアカにて恵方巻きをきいが食べたときのそらの笑顔と比較してみましょう。

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感情が「おもてに出ない」タイプであるはずのそらが、ドリアカでは頬を染めています。これはこの時のそらにはいちごを想う大きな心のうねりがあり、一方、山でいちごと出会ったときには、もはやそらには頬を染めさせるだけの心の動きはなかったということが読み取れます。ここから、そらの傷心が癒えつつあること、いちごから静かに心が離れていくさまをみることができるでしょう。

 

■終わりに

そらがいちごへの想いを巨大ケーキとツリーという形に成就させた62話。

そらがいちごへと抱く想いが裏切られてしまう64話。

そらが抱いていたいちごへの想いを、異なる方向へと向け始めた67話。

62話から67話までのそらの物語が、そらからいちごへの想いを中心に読み解くことができる、ということをここまでのテキストで示してきました。ここまで示してきたそらの一連の心の動きを、私は「失恋」と呼びたいと思います。他にも様々な解釈はあり得るかとは思いますが、やはりそらのいちごへの想いは、「恋みたいな気持ち」だったのではないかなと私は考えています。

風沢そらにまつわるテキストとして、既に85話へのレビューを上げていましたが、今回67話を観返してみて、85話を67話と対応させながら読む必要性を感じてきたので、そう遠くないうちに85話レビューの改訂を行いたいと思います。

85話と67話の共通項として、蘭が一度は自分を否定しながら最後には取り戻すというプロットや、キーワードとして「心得」と「特訓」が出てくることが挙げられます。当然蘭とそらにまつわるストーリーであるのも共通項のひとつでしょう。

こういった対称が織り込まれていることに気づいて改めて、アイカツという物語の周到さ、深さに感じ入るところであります。

たとえ3月末でアイカツという物語にひとつのピリオドが打たれようとも、それはけして全ての終わりなどではなく、まだまだアイカツを深く読み込んでいくという楽しみは残されているわけでありまして、むしろ物語が完結することによって初めて、物語を詳細に読みこむという営みは本格的にスタートするのだと思います。アイカツの放送が終わっても、むしろここがスタートラインという思いで、アイカツという物語と向き合って行きたいと思っています。

このいちそら学序論が、皆様における、アイカツを読むという営みの一助になりましたら幸いです。

KING OF PRISMの輝き

劇場版アニメーション、「KING OF PRISM by pretty rhythm」(以下キンプリ)を公開初日に観てきました。

もの凄く良かったです。

その良さを書き留めるべくレビューを試みたのですが、お読みになる前に一点ご注意いただきことがあります。

私はプリティーリズムシリーズが好きで好きで、そのプリリズを継承したプリパラや、プリパラの劇場版作品も楽しんで観てきました。このレビューには、キンプリについてはもちろん、以上に挙げましたプリリズ、プリパラシリーズへの言及が多く含まれます。ですので、今回キンプリを観て初めてプリティーリズムに触れた!という方にはピンと来ないものになっている可能性が高いです。そのような方は、レビューを読まれるよりも先に、兎にも角にもまずプリティーリズムを観てください。キンプリから入った方はプリティーリズム・レインボーライブ→劇場版プリパラ み~んなあつまれプリズム☆ツアーズと観るのがお薦めですよ。

なんらかの動画配信サービスで観られると思いますので、キンプリに惹かれた方ならぜひぜひ観てください。

 

それではキンプリをレビューしていきます。以下ネタバレを含みます。

17/6/7編集。

19/5/6編集。(すでに配信終了した動画配信サービスを勧めていた点など修正)

 

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元旦にライフ・オブ・パイを観た

2016年の抱負は「たくさん文章を書く」に決めたのでたくさん文章を書いていくぞ!というわけで、このブログもたくさん更新していけたらいいなと思います。

そういうわけで、本年の書き初めとして、今回は元旦にテレビでやってる映画を観たぞ、観たんだぞ~~という話をざっくりと書いていきたいと思います。

観たのは「ライフ・オブ・パイ」です。

私はこれタイトルとなにやら虎が出てくるらしいってこととポスターが「百剣-HYAKKEN-」のビジュアルとそっくりであることくらいしか知らなかったのですが。

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観てみるとこれ、「『語ること』についての物語」で、私の好きなタイプのやつでした。

あらすじはwikipediaとかを参照してもらって…なんかwikipediaのあらすじ、くせのある文章ですね…。あらすじというよりは重要なファクトの列挙という感じ。私もあらすじを書こうとしてよくこういう文章を書いてしまうので親近感がわきます。筋をまとめる際に、作中の表現をとりこぼさないように、可能な限り要約せずにまとめるとこうなりますよね。ほんとは読み易くするためにもうちょっと要約した方がいいのでしょうが、そうすることによって削り取られてしまう情報量に後ろ髪を引かれて、こういう「AがBと言った。」みたいな記述の羅列になってしまうこと、あるなあ~。

話がそれましたが、まず私が印象深く感じたのは、この物語が小説家のヤン・マーテル(原作小説の作者)がパイという男性の語りを聞くという形式になっているところです。ドン・キホーテから脈々と連なるメタフィクションアーキタイプですね。好きです。

物語の最後、パイは、トラとの漂流記と、人間との漂流記とのどちらがpreferかとヤンに問いかけます。これはかなり面白いところで、どちらが真実と思うか、ではなく、どちらが好ましいかをパイは尋ねます。この問いかけはずるいというか、そりゃ散々CGをふんだんに使った壮大な映像で長い時間かけてじっくり描写されたパイと動物との神話的物語の方が、暗い病室でごく短い時間で淡々と語られたコックや母との地味かつ陰惨な物語より好ましいと思いますよね。ヤンもトラが出てくるほうがよいと答えます。

冷静に考えると虎とシマウマとハイエナとオランウータンと漂流してきました~なんて話より人と乗っていて色々事件が起こって自分だけ助かりましたって話のほうが信頼に足るもっともらしい話ではあるのですが、"よりよい"のはやはり良く語られた面白い物語であって、これは、少年時代のパイがヒンドゥーの祭りの流し灯籠や荒唐無稽な神話や、田舎のキリスト教会の荘厳な雰囲気や、あるいはモスクから聞こえる言葉の美しさに、つよく心打たれて信仰心を得た体験とかさなるものなのではないかなーと私は受け取りました。

ヤンはこのふたつの物語のどちらを好むかについて「神の話でもある」と言いました。パイにとっての神は、ヒンドゥーの踊りや、キリスト教の建築や、イスラムの祈りの言葉の中にこそ存在し、それは「物語」にも当然ながら宿るということなのだと思います。

ヤンは虎との物語を選び、そしてこの物語はヤンのものとなり、ヤンはこの小説を世に著します。ふたたび物語を紡ぎはじめた彼に訪れたのは「ハッピーエンド」であったに違いないでしょう。

いきいきと魅力たっぷりと語ることによって荒唐無稽な筋書きのお話に命がふきこまれ脈打ち出し、美しく輝く――という、物語ることの魔力を壮大なCGによる映像美とメタフィクション構造で語りきった面白い作品でありました。映画館で3Dでみたらより強い魔法にかかったろうと思います。

 

原作についてもwikipediaでざっと読んでみたところ、虎とボートで漂流するというプロットと「命の輝き」についてはMoacyr Scliar“Max and the Cats”を基にしているそうです。Moacyr Scliarはブラジルのマジック・リアリズムの作家で、Max and the Catsは1981年発表の小説。邦訳はなさそうなのがかなしいところですね。

あと、虎の名前のリチャード・パーカーはこれが元ネタですね。

http://enigma-calender.blogspot.jp/2015/07/Mignonette.html

ポオの小説の登場人物であり、実在の事件の被害者のひとりであり、そしてどちらでも海難事故で人に食べられてしまったという数奇な運命の人物。虎が現実なのか、それとも虚構なのかを問うお話にひっかけるフックとして最高に決まっててめちゃアガりますねこれ。最高。

 

なんかまとまりない感じですがライフ・オブ・パイ、面白かったぞという話でした。これくらい雑な感じで今年はたくさん日記更新していけたらと思います。

アイカツ!コミカライズのぷっちぐみベストシリーズが"凄い"

 

アイカツ!のぷっちぐみベスト!シリーズのコミカライズを読みました。

アイカツ!まんが&まんが家カツドウ! (ぷっちぐみベスト!!)

アイカツ!まんが&まんが家カツドウ! (ぷっちぐみベスト!!)

 
アイカツ!まんが&12星座うらない (ぷっちぐみベスト!!)

アイカツ!まんが&12星座うらない (ぷっちぐみベスト!!)

 

 読む前はふーん?ぷっちぐみ?幼年誌だしな~~という感じで正直ナメてたんですけど、読んだら圧倒的な出来にブチのめされました。

凄い、凄いですこのコミカライズ。

アイカツ!のぷっちぐみベスト!!シリーズは2冊出てまして、「まんが&12星座うらない」にはぷっちぐみ2013年11月号から2014年10月号までの連載が、「まんが&まんが家カツドウ!」にはぷっちぐみの2014年3月号付録の別冊小冊子のために描き下ろされた連作短編が収録されています。

どちらの本のどのエピソードもアイカツ!らしくよく練られていて素晴らしいのですが、そのなかでも特に感動したのが「まんが&まんが家カツドウ!」収録の「キラ☆パタ☆キャワワ♪」というお話でした。わずか8ページの短編なのですが、これがほんとに研ぎ澄まされた凄みを感じる作品だったので、この記事ではこの短編について詳細に語っていきたいと思います。

 

■シリーズ「アイドル7人物語」とは

まず「まんが&まんが家カツドウ!」について説明していきます。この「まんが&まんが家カツドウ!」に収められているのは「アイドル7人物語」というタイトルのもとに描かれた連作短編で、ソレイユの3人とドリアカの4人、合わせて7人のアイドルたちが、デザイナーズアクセサリーコレクション(DCD2014年第3弾キャンペーンレアのシリーズ)のアクセサリーを得る過程をそれぞれ描いたものです。

今回取り上げる第5話の「キラ☆パタ☆キャワワ♪」はタイトルからわかる通り風沢そらが主役の回で、そらがいかにして自らのブランド、ボヘミアンスカイのデザイナーとして「ボヘミアンサークレット」を作り上げたかが主題になっています。

作品のあらすじを紹介しましょう。


■あらすじ

いちごとそらはショーの仕事のために動物園を訪れていました。ふたりがショーまでの空き時間に園内を散策していると、飛んできた一羽の鳥にいちごのカチューシャが掠め取られてしまいます。その鳥を追いかけるいちごは、道中で仲良くなった大きな鳥の助けを借りてカチューシャを取り戻しますが、取り戻したカチューシャは壊れてしまっていました。すると、そらは壊れたカチューシャを即興でアレンジしてアクセサリーを作り、いちごへ渡します。大いに喜ぶいちごでしたが、そうこうしているうちにショーの時間が迫ってきていました。ふたりは大きな鳥に教わった会場への近道を急ぎますが、会場すぐ手前の切り立った急な坂に足止めされてしまいます。途方にくれるそらでしたが、いちごはためらいなくその坂を飛び降りてゆきます。それにつられるように、そらも坂を飛び降り、無事間に合ったふたりは見事にショーを成功させます。後日、この日のいちごの自由な姿に着想を得て、そらはボヘミアンサークレットを完成させたのでした。

 

■作品の美点:華麗な対比
この作品の演出上の要点は、そらのデザインした二つのアクセサリーをめぐる対比にあります。すなわち、壊れたカチューシャを鳥の羽根でアレンジしたアクセサリーと、そらが最後に作り上げたボヘミアンサークレットをめぐって、相似を演出する描写がなされています。詳しく見ていきましょう。

それぞれのアクセサリーについて、「どうやってデザインの着想を得たのか」という質問がそらに投げかけられます。そらの返答は、カチューシャについては「今日は鳥からイメージをもらったの。鳥はきれいで自由で…大すきよ。」、サークレットについては「今回のイメージは…、さい高に自由でキャワワな女の子から!」と答えます。

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カチューシャのアレンジについて(まんが&まんが家カツドウ!P49)

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サークレットのデザインについて(まんが&まんが家カツドウ!P52)

この二つのアクセサリーをめぐる問いかけと返答が対をなしていることは明らかでしょう。「どうやって考えるの?/どうやって思いつくの?」という問いと、「イメージ」をもたらした存在が「きれい/キャワワ」で「自由/さい高に自由」である「鳥/女の子」だというそらの返答。

「鳥/女の子」の対は、ストーリーの中で、いちごに鳥としてのイメージが繰り返し付与されていることによって暗示されています。

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柵をとび越えて鳥のすみかへと入り込むいちご(まんが&まんが家カツドウ!P47)

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「鳥だったらとべる」坂をとび下りるいちご(まんが&まんが家カツドウ!P50)

 

 

 ■作品の美点-対比の乱れ-

さて、先ほど、アクセサリーをめぐる二つのやり取りは綺麗に対をなしていると語りましたが、ひとつだけ対称から外れた要素があります。それは鳥に対してだけ語った「大好き」という言葉です。

ここまで語ったとおり、この短編全体を通して周到にいちごと鳥の対比は用意され、力強く演出されているわけです。そして、そらは鳥が大好きであるわけですから、その鳥と相重なるイメージを持ついちごに対して「大好き」と思っていなかったとは思えません。

むしろ、「大好き」をあくまで対称による暗示に留めることによって、かえってそらの抱く思いのひそやかさと真摯さが感じられるようになっているのではないか?と思います。

わずか8ページながら、織り込まれた美しいパターンとそこから浮き上がるそらの愛情の紋様に魅了されずにはいられない、珠玉の短編。まさかぷっちぐみでこんな比喩を巧みに使った技巧的な物語が語られていたとは…!

 

■驚くべきさらなる仕掛け
これだけでももう十分な傑作といえるこの「キラ☆パタ☆キャワワ♪」ですが、コミックス「まんが&12星座うらない」とあわせて読むと、この「キラ☆パタ☆キャワワ♪」に織り込まれていたさらなる仕掛けに気づくことができます。

「キラ☆パタ☆キャワワ♪」でいちごがつけていたカチューシャは、ぷっちぐみ2014年2月号付録である「ジュエリーハートカチューシャ」(おもちゃ・アイカツカードともに付録)なのですが、「まんが&12星座うらない」収録の第5話ではなんと、「ジュエリーハートカチューシャ」のカードをいちごとあおいが交換しているところが描かれているのです。

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(まんが&12星座うらないP24)

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(まんが&12星座うらないP25)

ということは、そらがアレンジする壊れたカチューシャは、いちごがあおいと交換した、元はあおいのものだったカチューシャということになります。

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(まんが&まんが家カツドウ!P48)

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(まんが&まんが家カツドウ!P49)

つまり、あおいがいちごに渡した親友としての象徴たるカチューシャを、そらは愛情をこめてリメイクしていたわけで、いちごをめぐる3人の関係がカチューシャを介して密やかに描かれていた、ということになります……。いや、本当に凄い、凄い以外の言葉を失います……。こんな心に鋭利に突き刺さるやり口が…幼年誌で行われていいのか…?

 

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(まんが&まんが家カツドウ!P64)

いちごをイメージしてそらがデザインしたボヘミアンサークレットをあおいがすてきと褒めるシーンなどもエピローグ的に描かれており、この物語がいかに周到に描かれているかについては皆さんにも十分ご理解いただけたことと思います。

このかなき詩織先生&小鷹ナヲ先生のタッグが描くぷっちぐみベスト!シリーズ新刊、「まんが&クイズ」は12/2に発売!あかりジェネレーションの面々がどのように描かれているのか。めちゃくちゃ楽しみです。

アイカツ!まんが&クイズ (ぷっちぐみベスト!!)

アイカツ!まんが&クイズ (ぷっちぐみベスト!!)